生きることをあきらめない 鬼滅の刃 考
映画「無限列車」の大ヒット、続編の「遊郭編」TV放映がちょうど終わった、鬼滅の刃。
鬼を滅する刃を持つ鬼殺隊が、かつては人間であった鬼を退治する。鬼は人間を食べるという、とんでもなく恐ろしい設定である。
はっきり言って、まったく見たくなかった。き、気持ち悪い。
鬼が人間を食べるのも、もちろんだが、鬼を倒すためには、鬼の首を切る必要がある。
だから、頻繁にこれでもかと、鬼の首が飛んでいく…。
こんなのが、なんで大ヒットするんだ?
何も得られるものがない。。。
だが、ヒットしている。
何かあるんだろう。
これは見てみよう。
数年前に報道で、癌の小児病棟にいる男の子が、炭治郎(主人公)みたいに強くなりたい、と言っていたことを、うっすら思い出した。
やはり気持ち悪くて、なかなか慣れない。
ふとセリフが独特なことに気づいた。
主人公が頭の中で考えていることが、ダダ漏れなのだ。
鬼と闘っていて命が危ぶまれる中でさえ、
考えろ、考えろ、どうしたら、いい、
なんでもいい、考えろ…!
すごすぎる。
主人公の炭治郎は終始、このような感じだ。
そして、亡くなった家族が、危機的な時、そっと語りかけ助ける。
父親、母親、弟、妹たち。
あまりにも出来すぎていて、今どきの子にウケるのかと心配してしまうくらい。
それを率直に描くストーリーは素晴らしい。
炭治郎を取り巻く人たちは決して完璧ではなく、それぞれ何かを抱えている。
だが、あきらめない。
生きること、老いることの美しさを語っている。
最初に触れた小児病棟の男の子は、生きるのをあきらめない、あきらめたくない感情が病と闘う自分と重ねたと勝手に思ってしまう。
自分もよくあきらめかける。
怒りで
泣きたいときもある。
炭治郎のように、泣いて、笑って、生きている実感をもって、生き続けたい。
人によって解釈は違うと思う。
作品とはそんなもの。
鬼滅の刃がヒットするのは納得である。
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