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宙ぶらりん≠中途半端な理由

あれもこれもしたい、こう思うことは、小さな夢ではないかと思うようになってきた。おこがましいというか厚かましい。
だから、大きな夢を持つことは大事だけれど、小さな夢をたくさん持つことも、夢と言えばそれは夢だと言えるのかなと、この辺りもまた強引な感じ((* ´艸`))

中途半端とは少し意味が違う気がする。中途半端は、漢字の通り、カットされている。その道はもう二度とその先には行かない、リアル道路で言えば、行き止まりなイメージがあるからです。

断定口調から、ですます調に変化しま~す🙎🙏(勝手にグラデーション文体と呼んでいます。)

一方、宙ぶらりんは、宇宙の中に浮いている惑星、衛星のように軽い、重力からある程度開放されている、つまり、収納ボックスに押し込められていなくて、いつでも手に取れる、そんな身近なイメージです。そして、中途半端、のようにジッパーでぴっちり道を塞ぐのではなく、完成こそしていませんがいつでも着手できる、できるもんならしたい、そう思っている状況ではないかと思うのです。

なので、その日一日をいい気分で過ごすためにも、「あれもこれもしたい、でも出来ない」と、結論を出すのではなく、「あれもこれもしたい、きっと」のままでいること、そうすることで、今しなければいけない事も捗ると思うのです。そして、宙ぶらりんなことは多ければ多いほどやっぱりいいものなんだろう。そして、小さな夢が多ければ多い、ということはかなり楽観的になれているということでもあるんだと。

もちろん、スケジュールを綿密に組んで、宙ぶらりん領域をそつなくこなすこともできるのかも、いや、出来るでしょう。いわゆる分散型ですね。そこからまた派生して新しい小さな夢が出来る可能性を秘めている。でも、それがキャパを超えるくらいの数だったら?(笑)

そう考えると宙ぶらりんな小さな夢はやはり、客観的に見たら中途半端なだけであり、いわゆる宙ぶらりんのままで放置?とも言えるんだと。放置、ってのもなんだかな、温めるってことにしよう。

さらに、やっぱりそれは、夢なんだよ、中途半端の解釈と同じくそこで止まっている?やっぱりカットされている?とも言える。

さらに楽観的に考えてみた。宙ぶらりん→→やり直す、だったら?新しい目標にしてしまうってことになる。
中途半端とも言える宙ぶらりんな状況の続きでなく、全く別のスタート地点から、コンテンツ同じなのに新しい目標にしてしまう?

宙ぶらりんを再始動する場合、客観的にみたら、結局やり直すってことになるんだろうか?だったら、やり直すって事は肯定的でもある。

いつでも学び直し、やり直しができる社会を作る。

by 安倍晋三前総理大臣
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201711/30jinsei100.html

とても勇気付けられます。

一方、「やり直す」は、やり直す前の時間の全てを否定している感、無意味感が否めないだから、完成こそしなかったものの、その時々の事柄は全然無意味じゃなくて、十二分な経験だから肯定したいなぁ。

ゆえに、あれもこれもしたい、宙ぶらりん、小さな夢なんかは、経験の上乗せだと思うことにしよう。

「willよりもmustも時にはいいね」
「頑張ろうと?」
「ま、そういうことかな」
「昔の通知簿は『頑張ろう』が最低評価だった!」
「let'sのニュアンス」
「厚切りジェイソンさんの厚切りって何のことだろね。」
「厚揚げのことだと思ってたけど?」
「ハムだと思ってた。かまぼこかもね。」
「やっぱり厚揚げとサメ、??かな~。」

それでは。

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