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超訳ニーチェの言葉

初めの一歩は自分への尊敬から
自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。
まだ何もしていない自分を、まだ実績のない自分を人間として尊敬するんだ。
自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。 
自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊敬しよう。


一日の終わりに反省しない
疲れきったときにする反省など、すべてウツへの落とし穴でしかない。
自分をだめだと思ったり人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときはさっさと自分を休ませなければいけない。


自分自身を見つけたい人に
これまで自分が真実に愛したものは何であったか?自分の魂を高みに上げたものが何であったか?何が自分の心を満たし喜ばせたか?
これらの問いに答えたとき、自分の本質が明らかになるだろう。それがあなた自身だ。


いつも機嫌よく生きるコツ
不機嫌になる大きな理由の一つは、自分のなしたこと、自分の産んだことが人の役に立っていないと感じることだ。
したがって、いつも機嫌よく生きていくコツは、人の助けになるか、誰かの役に立つことだ。そのことで自分という存在の意味が実感され、これが純粋な喜びになる。


喜び方がまだ足りない
もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。喜ぶことは気持ちいいし、体の免疫力だって上がる。
素直な気持ちになって、子供のように喜ぼう。
喜べば、くだらないことを忘れることができる。他人への嫌悪や憎しみも薄くなっていく。周囲の人々も嬉しくなるほどに喜ぼう。
喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう。


朝起きたら考えること
一日をよいスタートで始めたいと思うなら、目覚めたときに、この一日のあいだに少なくとも一人の人に、少なくとも一つの喜びをあたえてあげられないだろうかと思案することだ。
この習慣を多くの人が身につければ、自分だけが得をしたいという祈りよりも、ずっと早く世の中を変えていくことだろう。


人生を最高に旅せよ
旅行先での観察や体験をそのままにせず、これからの自分の仕事や生活の中に生かして豊かになっていく人もいる。
人生という旅路においてもそれは同じだ。そのつどそのつどの体験や見聞をそのとき限りの記念品にしてしまえば、実人生は決まり切った事柄のくり返しになってしまう。
そうではなく、何事も明日からの毎日に活用し、自分を常に切り開いていく姿勢を持つことが、この人生を最高に旅することになるのだ。


少しの悔いもない生き方を
今のこの人生を、もう一度そっくりそのままくり返してもかまわないという生き方をしてみよ。


断言すると賛同してくれる
多くの人々を納得させたり、彼らになんらかの効果を及ぼしたいのなら、物事を断言すればいい。
自分の意見の正当性を、あれやこれや論じてもだめだ。そういうことをすると、かえって多くの人々は不信感を抱くようになるのだ。
自分の意見を通したいのなら、まずは断言することだ。


おじけづいたら負ける
「ああ、もう道はない」と思えば、打開への道があったとしても、急に見えなくなるものだ。
「危ないっ」と思えば、安全な場所はなくなる。
「どうしよう」と思えば、たちまちにしてベストな対処法が見つからなくなる。
いずれにしても、おじけづいたら負ける、破滅する。
心が恐れを抱き、おじつけづいたとき、自分から自然と破滅や敗北の道を選ぶようになってしまうのだ。


飽きるのは自分の成長が止まっているから
なかなか簡単には手に入らないものほど欲しくなるものだ。
しかし、いったん自分のものとなり、少しばかり時間がたつと、つまらないもののように感じ始める。それが物であっても人間であってもだ。
手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。すなわち、それに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ。つまり、自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる。
そうではなく、人間として成長を続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ。


友人と話そう
友人とたくさん話そう。それはたんなるお喋りではない。自分の話したことは、自分が信じたいと思っている具体的な事柄なのだ。腹を割って友人と話すことで、自分が何をどう考えているかがはっきりと見えてくる。


必要な鈍さ
特に人との交わりにおいては、相手のなんらかの行為や考えの動機を見抜いていても知らぬふうでいるような、一種の偽りの鈍さが必要だ。
また、言葉をできるだけ好意的に解釈することだ。
そして、相手をたいせつな人として扱う。
しかし、こちらが気を遣っているふうには決して見せない。相手よりも鈍い感じでいる。


友情の才能が良い結婚を呼ぶ
子供というものは、人間関係を商売や利害関係や恋愛から始めたりなんかしない。まずは友達関係からだ。楽しく遊んだり、喧嘩したり、慰め合ったり、競争したり、互いに案じたり、いろんなことが二人の間に友情というものをつくる。
良い友達関係は、良い結婚を続けていく基礎にもなる。なぜならば結婚生活は、男女の特別な人間関係でありながらも、その土台には友情を育てるという才能がどうしても必要になるからだ。
したがって、良い結婚になるかどうかを環境や相手のせいにしたりするのは、自分の責任を忘れたまったくの勘違いということになる。


自分の生きた意見を持つ
生きた魚を手にするためには、自分で出かけていきうまく魚を釣り上げなければならない。これと同じように、自分の意見を持つためには、みずから動いて自分の考えを掘り下げ、言葉にしなければならない。
そしてそれは、魚の化石を買う連中よりもましなことだ。自分の意見を持つことを面倒がる連中は、金を出してケースに入った化石を買う。この場合の化石とは、他人の昔の意見のことだ。
そして彼らは、買った意見を自分の信念としてしまう。そんな彼らの意見はいきいきとしておらず、いつまでたっても変わらない。けれども、この世にはそういう人間が数多くいるのだ。


批判という風を入れよ
批判は、疑い深くて意地悪な意見ではない。批判は風だ。頬には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。だから批判は、どんどん聞いたほうがいい。


体験だけでは足りない
体験しても、あとでよく観察しなかったら、何にもならないのだ。どんな体験をしても、深く考えてみることがなければ、よく噛まずに食べて下痢をくり返すようなことになる。つまり、体験から何も学べていないし、何も身につかないということだ。


勝手に行為の大小を決めつけない
人間は、自分がしなかった行為を悔いる。しなかった行為なのに、あれは大きなことだったと本気で思う。あれをしていれば、今が大きく変わっていたと本気で思い、悔やんだりする。また、自分のした行為、自分のしなかった行為の大小を、自分が決定できると思い込んでいる。その大小が事実だとさえ思っている。
自分のした小さな行為が、実はある他人にとっては大きなことかもしれない。その反対かもしれない。いずれにしても、過去の行為を価値づけることは無意味なことだ。


夢に責任を取る勇気を
過失には責任を取ろうとするのに、どうして夢に責任を取ろうとはしないのか。
それほど弱いのか、勇気がないのか。
最初から自分の夢に責任を取るつもりがないのなら、いつまでも夢が叶えられないではないか。


人の高さを見る眼を
その人の低劣な面や表面上のことばかりが見えるのなら、自分がとても良くない状態になっている証拠だ。それは、誰かの低さばかり見ることによって、自分が愚かで努力していないことに目をつむり、自分はああいう人間よりは高いのだと思いたがっていることになるからだ。
また、人の高さを見たがらないような人とは交わらないように。それは、自分もまたすぐに、彼と同じような低い人間になってしまうからだ。


そのまま相手を愛する
愛するとは、自分とはまったく正反対に生きている者を、その状態のままに喜ぶことだ。自分とは逆の感性を持っている人をも、その感性のままに喜ぶことだ。
愛を使って二人のちがいを埋めたり、どちらかを引っ込めさせるのではなく、両者のちがいのままに喜ぶのが愛することなのだ。


愛の病には
愛をめぐるさまざな問題で悩んでいるのなら、たった一つの確実な治療法がある。
それは、自分からもっと多く、もっと広く、もっと暖かく、そしていっそう強く愛してあげることだ。
愛には愛が最もよく効くのだから。


新しく何か始めるコツ
たとえば勉強でも交際でも仕事でも趣味でも読書でも、何か新しく事柄にたずさわる場合のコツは、最も広い愛を持って向き合うことだ。
つまり、いやな面、気にくわない点、誤り、つまらない部分が目に入ったとしても、すぐに忘れてしまうように心がけ、とにかく全面的に受け入れ、全体の最後まで達するのをじっと見守るということだ。
そうすることで、ようやく何がそこにあるのか、何がその事柄の心臓になっているのかがはっきりと見えてくるだろう。
好き嫌いなどの感情や気分によって途中で決して投げ出さない。最後まで広い愛を持つ。これが、物事を本当に知ろうとするときのコツだ。


ずっと愛せるか
行為は約束できるものだ。しかし、感覚は約束できない。なぜなら、感覚は意思の力では動かないものだからだ。
よって、永遠に愛するということは約束できないように見える。しかし、愛は感覚だけではない。愛の本質は、愛するという行為そのものであるからだ。


人間的な善と悪
悪とは何か。人をはずかしめることだ。
そして、人が得る自由とは何か。どんな行為をしても、自分に恥じない状態になることだ。


真の教育者は解放する
教師や学校によって、教える事柄が変わるのだろうか。
あなたがいきいきと自由に、活発に、能力を存分に発揮できるようにさせてくれる人こそがあなたの本当の教育者であり、そこがあなたの学校ということだ。


物事の完成まで待つ忍耐を持つ
才能や技量に恵まれていても、物事を完成させることができない人がいる。彼は時間を信じて待つことができない。自分が手をかけさえすれば、どんなことでも完成すると思っているのだ。そのため、いつも中途半端な結果で終わってしまう。
性急に取り組むほど早く完成するというわけではないからだ。
したがって、物事を完成させるには、才能や技量よりも、時間による熟成を信じながら絶えず歩んでいくという気質が決定的な役割を果たすのだ。


力を入れすぎない
自分の力の四分の三ほどの力で、作品なり仕事なりを完成されるくらいがちょうどいい。
全力量を用い精魂を傾けて仕上げたものは、なんとも重苦しい印象があり、緊張を強いるものだからだ。それは一種の不快さと濁った興奮を与えることをまぬかれない。しかも、それにたずさわった人間の臭みというものがどこかについてまわる。
しかし、四分の三程度の力で仕上げたものは、どこか大らかな余裕といったものを感じさせる、ゆったりとした作品となる。それは、一種の安心さと健やかさを与える快適な印象を与える作品だ。つまり、多くの人に受け入れられやすいものが出来上がるのだ。


自分の哲学を持つな
そのつど人生が語りかけてくるささやかな声に耳を傾けるほうがましだ。そのほうが物事や生活の本質がよく見えてくるからだ。
それこそ、哲学するということにほかならない。


心をもっと大きくする
たくさんの言葉を知ることは、実は、たくさんの考えを持つことになる。たくさんの考えを持てば、より広く考えられることになるし、ずっと広い可能性を手にすることになる。これは生きるうえで利用できる武器の最大のものだ。
言葉を多く知ることは、この人生の道をとても歩きやすくする手立てになるのだ。


理想や夢を捨てない
理想を捨てるな。自分の魂の中にいる英雄を捨てるな。
誰でも高みを目指している。理想や夢を持っている。それが過去のことだったと、青春の頃だったと、なつかしむのようになってはいけない。今でも自分を高くすることをあきらめてはならない。
いつのまにか理想や夢を捨ててしまったりすると、理想や夢を口にする他人や若者を嘲笑する心根を持つようになってしまう。向上する力や克己心もまた、一緒に捨てられてしまう。
よく生きるために、自分を侮辱しないためにも、理想や夢を決して捨ててはならない。


絶えず進んでいく
「どこから来たか」ではなく、「どこへ行くか」が最も重要で価値あることだ。栄誉はその点から与えられる。
絶えず進め、より遠くへ。より高みを目指せ。


自然のやさしさ
たまには広々とした自然の中に出てリラックスしよう。
自然は清々しいばかりではなく、わたしたちになんの意見も文句も言わないのだから。 


自分しか証人のいない試練
自分を試練にかけよう。人知れず、自分しか証人のいない試練に。
たとえば、誰の目のないところでも正直に生きる。たとえば、独りの場合でも行儀良くふるまう。たとえば、自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない。
そして多くの試練に打ち勝ったとき、自分で自分を見直し、自分が気高い存在であることがわかったとき、人は本物の自尊心を持つことができる。
このことは、強力な自信を与えてくれる。それが自分への褒美となるのだ。


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