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はみ出した人間の受け皿、伊勢佐木町

関内駅の海側には歴史を感じさせる建物がある。おしゃれで綺麗な街並みが続いて、国土交通省の『都市景観100選』にも選ばれているらしい。

そんな場所とは、駅を挟んで反対側にある、まるできちんと分別がされていないゴミ溜めのような街、伊勢佐木町。

ひどい言いようだが、僕はこの街が大好きだ。

なぜなら、とても居心地がいいから。

幼稚園を卒業すると同時に、両親は離婚し、僕は母と一緒に暮らすことになった。父は仕事の関係であちこちを転々としていたが、13年前に伊勢佐木町に住み始めた。「伊勢佐木町を死に場所に決めた」と言っていた。

僕と父は不定期で会っていた。場所は伊勢佐木町であることが多かった。

ある秋、いつものように伊勢佐木町で食事をしていた時のこと。僕は父に相談した。

「部活を辞めて時間に余裕ができたから、1つ経験として一人暮らしをしてみたいんだけど、お金が結構かかるのが辛いんだよね」

「じゃあ、お父さんのとこに住んでもいいよ」

「いや、それじゃ一人暮らしにならないよね?」

「俺は別の場所に部屋を借りてそこに住む。だから住んでもいいよ。家賃も出すし、置いてある家具もそのままにしておくよ。ただ、あそこはすごい気に入ってるから学校卒業したら絶対に出ていってくれ」

『絶対に』という言葉に少し引っかかったが、こんなありがたいことはないと思い、早速父の住むワンルームに自分の荷物を持っていった。そして父はそこから少し離れたところに新しい部屋を借りた。

お互いの住まいが近くなり気軽に会えるようになったからか、一緒に食事をする機会が多くなった。ある時、酔っぱらった父が勝手に自分語りをし始めた。

だいぶ壮絶な人生を送っていたようだが、そこは省略して、大学生活からプロフィール風に紹介するとこんな感じだ。

大学を休学し演劇に専念。その後、休学の最長期間、6年を越えて強制的に退学させられる。それから一年ほど役者を続けるも、守るべき人ができたとか、貧乏な生活が辛くなったとかで、結局辞める。数か月のバイト生活を経て、不動産の営業職に就くが、そこの社長が詐欺で捕まり無職になる。その後、IT業界の人手不足もあってか、30代でようやくIT系の一般企業に就職。現在はフリーランスで働き、2020年、ようやく滞納していた年金を全て払い終える。

ちなみに伊勢佐木町に引っ越してくるのと同時にフリーランスになったそうだ。

最後に、父はこんなことを言っていた。

「伊勢佐木町には、お父さんみたいに、紆余曲折を経て、たどり着いた人がいっぱいいる。あとは警察のお世話になった人。それが伊勢佐木町の住人だ」

確かに僕はこの街に住み始めてからそういう人たちをたくさん見てきた。

商店街の人混みの中には、昼間から酒を飲んでいるしょうもないジジイ3人組がいた。

夏には、シャツ全開ほぼ上裸で、ブリーフを見せながら地べたに座ってるジジイがいた。

こんなジジイたちは紆余曲折を経ているに決まってる。

そして、マンションの同じ階の住人は、夜中の夫婦喧嘩で死にそうなくらい何度も悲鳴をあげていた。もちろん警察沙汰だ。

伊勢佐木警察署の警部は万引きをして捕まっていた。この街では警察ですら、警察のお世話になる。

夜の伊勢佐木町には、パトカーの音が毎日鳴り響いている。

この街では既に、全ての法律が破かれていると思う。

父はそんな伊勢佐木町の住人たちと、一緒にお酒を飲んだり、時には奢ってあげたり、時には返ってこないとわかりながらもお金を貸してあげて愉快に暮らしているそうだ。

この人たちは本当に、愛すべきどうしようもない人たちだ。

伊勢佐木町には、外国人、水商売の人、ただ遊びに来ている人、ヤクザ、もちろん普通に暮らしている人も、とにかく色々な人がいっぱいいる。そしてその多くが、様々な苦労や事情があってこの街に来た人やどうしようもない人だったりするんじゃないだろうか。

そして僕もどうしようもない人間の一人だ。なんてったって、あまりにも常識が無い。そのせいで人生なんだかんだ苦労してきた。それは伊勢佐木町に引っ越してからもそうだった。

この先は、どうか暖かい目で読んでほしい。

伊勢佐木町に住み始めたばかりの頃、ロードバイクのフレーム(車体部分)が割れ一切使えなくなったので、分解してフレーム以外の部品をメルカリで売ろうとしたことがあった。しかし、1つだけフレームから外せないパーツがあった。パーツを押さえつけているプラスチック製の蓋のネジ山が削れていたのだ。

そこで僕は、蓋を燃やしてパーツを取り外すことにした。パーツは金属でできているので蓋だけが燃えて無くなるだろうと考えてのことだった。

父に事情を話し「(父から借りてる部屋の)ベランダで燃やしてもいい?」と聞くと「危ないから公園でやれ」と言われた。僕は、調理用の油、ライター、捨てられていた大量のチラシや新聞紙、水の入ったペットボトル、パーツが取れないフレームを持って、山吹公園というところに行った。

伊勢佐木町の中では比較的きれいなマンションと伊勢佐木警察署との間にある公園だ。日中は子供連れの方も多く、だいぶ賑わっている。その代わり夜になると誰もいなくなる。いるとしても、何をやってるのかよくわからないオラついた若者がオラついているだけか、浮浪者がステイしているだけだ。僕は公園の中に入り、水飲み場の近くに荷物を置いた。

20時頃、その日は風がだいぶ強かった。ライターで新聞紙に火をつけ、それが消えないよう、風を遮るような位置に立った。燃えている新聞紙の上にチラシや他の新聞紙を載せて、油を垂らして火を大きくした。ある程度火の勢いが強くなったところで、フレームを持ってプラスチックの蓋を炙った。

それでもやっぱり風が強いせいで火がすぐに消えてしまい、中々蓋が溶けきらず何度も火を焚いては蓋を炙った。

すると公園の外から「あれ、ヤバくね」とヤンキーっぽい口調の若い男の声がうっすら聞こえた。が、どうでもいい。邪魔したら水をかけてやろうと思いつつ、ただただじっと火を見つめて黙々と蓋を炙った。

しばらくしてから真後ろで「この人です!」と、あの若い男の声が聞こえた。ヤンキーの先輩でも連れてきやがったかと思いながら振り返ってみると警察官4人がそこに立っていた。

通報されていた。

そもそも、警察署の隣の公園でロードバイクのフレームを炙っていること自体アホすぎる。仮に通報されなかったとしても異変に気づいた警察官がサボってもいない限りはやってくるだろう。しかし、常識が足りない僕には行動に移す前にそのことが予測できなかった。

「何をしているの」と警察官に聞かれた。嘘を言ったらかえって面倒なことになると思い正直に全て話した。

「ロードバイクのパーツを取り外したいんですけど、蓋のネジ山が削れて取れなかったので、燃やして溶かそうと思ったんです」

結局、伊勢佐木署の中に連れて行かれた。

パーツを取るためにやったのであり、このことは親にも言ってあると警察に話すと、父を呼ぶ流れになった。仕事終わりからやってきた父は「事前に『公園でプラスチックの蓋を燃やす』と言われていた」と警察に伝えて謝った。

ようやく帰れることになり警察署から出ると、父が笑いながらこう言った。

「これでお前も伊勢佐木町の住人だ!」

僕はこの街に認められた気がして、とても嬉しかった。補導された直後とは思えないほどの嬉しさだった。紛れもなく伊勢佐木町の住人である父からのお墨付きをもらえたのだ。

行動や発言からして、僕らは本当にどうしようもない親子だと思う。

だが、伊勢佐木町は僕らのようなどうしようもない人間を受け入れてくれる。この街はどんな人がいたって気にしやしない。全部を受け入れてくれる。

それは、この街がどうしようもない人たちで溢れかえってるからだ。

そういう人たちは、自分がどうしようもない人間だと自覚しているから、他人のどうしようもなさを非難することはない。この街のスーパーに売ってる天ぷらの衣は厚すぎたり、店員の対応が悪かったりする。でも「どうしようもねえなあ笑」って思って許すだけだ。仮にこの街に、どうしようもないことを非難するような人がいても、どうしようもない人がどうしようもないことに対してごちゃごちゃ言ってること自体がどうしようもないから、それを見ているどうしようもない人はその人を許すだろう。

だから伊勢佐木町は、どんな人も受け入れてくれる、はみ出している人間が安心していられる街だ。


残念ながら、今現在、さまざまな都合で伊勢佐木町には住めていない。

しかし、僕もまた、父と同じように紆余曲折を経て、この街に戻ってくるだろう。

今度は公園で何を炙ろうか。

小さい頃からお金をもらうことが好きでした