いつかの夢はいつ叶うのか?
NYからお久しぶりの投稿です。
今年は全速力で走っており、4、5月にニューシングルを発売、現在各シングルのMVと、アメリカ移住後最初のフルアルバムの制作にとてんこもりです。
そんな怒涛の制作を通じて私にとって大きな発見がありました。
それは、「成功」の定義のついて。
成功って幸せですか?
日本にいた時の私は、いつも無尽蔵に貪欲でエネルギッシュで、じゃんじゃか目標に向かって邁進して何かしら成果を出していたのですが、その一方でいつもどこか「自分の夢は追っても追っても叶わない」という底無しとも思えるような虚しさがありました。
子供の頃から歌手に憧れて、切望してきたのに、なかなか自分が歌手としてなかなか日の目を見ることができなかった一方で、
すっとうまくいってしまった作曲家としての仕事は本当に楽しくて大好きで、お金ももらえるし、こんな最高な仕事はないなあという喜びはありましたし
自分自身が歌手としてではなくとも、自分より遥かに大きな魅力や才能や人気を持つアーティストさんの裏方として、自分の長年憧れていた環境で社会のお役に立てる感覚はとても幸せでした。
でも、どうしても
「いつかは自分自身がステージに立って歌えたら。」
という夢がよぎっては、「それが叶えられない私はまだまだダメだなあ。」と落ち込んだりしていました。
表面的に最も成功していた頃に経験した不思議な不幸。
2015年、思い返せば私は作家として自分の人生の中ではもっともノリに乗っていた。
自分の書いた曲がオリコントップチャートに入っているのもすっかり普通のことになり
TVやラジオ、雑誌などに出たり、音楽家として当たり前に生活している感覚。
こんな楽しい仕事をして評価してもらえるなんて
幸せだなあありがたいなあ、と日々夢のように思ったりしていた。
でもその一方で、不思議なことに私の心はかなり不安定になっていた。
周りからの扱い方が変わったり、今までの人生では経験したことがなかった環境の変化が多くあり、当時の自分が考えていたこと、悩んでいたことなど、周りに話しても誰にも理解してもらえない、と感じて人知れず孤独を感じていた。
今となってはそれが具体的にどういう悩みだったかハッキリ思い出せないのですが、その一つは、「この頑張り方は間違っているのがわかっているのに流れが怒涛すぎて変えることができない。」
というような類のものだった気がする。
2015年9月4日。35歳の誕生日。
私は翌日に自身のバースデーソロライブを控えてその準備に奔走していた。
あるあるなんだけど、アーティストが自分のバースデーライブを開催すると、忙しすぎて自分が誕生日であることをすぐ忘れちゃうんです。
ご多分に漏れず、すっかり忘れて深夜まで忙しく準備していたら、日付が変わり、それと同時にTwitterでファンの人たちが一斉に「おめでとう」コメントを送ってくださいました。
「忘れてた!わあ!嬉しい!!」
最初は単純に嬉しくて、ニコニココメントを読んでいた。
そして「このあときっといつも通り友人や家族から一斉にLINEメッセージが届いたりするんだろう。」
と思った。
のだが、この年はなぜだか色々と偶然の不幸が重なった。
誰からも届かないバースデーメッセージ
待てど暮らせど誰からもおめでとうメッセージがこないのだ。
嘘でしょ?
いつも絶対にあの人から、この人からくるよね。
別に友達は少ない方ではないし、毎年長年の恒例行事として同じ現象を期待していただけだった。
でも、この年だけなぜか誰からも、プライベートのおめでとうがなかったのだった。
家族からも来ないし、当時お付き合いしていた彼氏からすらなかった。
さっきまで連絡しててもうすぐ誕生日だね!
って話してたのに。。
(後で寝落ちしていたことが判明。
いつもお花を贈ってくれてた父もこの年だけたまたま忘れていたらしい。)
深夜2時頃になって、一人の当時仲良かった友人から「遅れてごめんねー!おめでとう!」とやっとその年最初のメッセージが到着した時、
私はもう号泣してしまった。
忙しくしくせわしなく展開していく日々の中で、人知れず味わったことのない孤独感を募らせていた私にとって、たまたま複数の友人や家族がみんな私の誕生日のことを忘れていた、このことは決定的にぐっさりと心を傷つけた。
(当時友人の多くが結婚して子供ができたりして、それぞれの家庭に集中していたり、本当にたまたまこの年だけ忘れていただけだったのだが、それと同時に、傍から見たら飛ぶ鳥を落とす勢いだからしほりは大丈夫だろう。誰かがいるだろう、なんかすっかり遠くへ行ってしまったな、という感じで思われていたことはあとでわかった。)
「え、たったそれだけのことでなんでそんな傷つくの?」
と思われるかもしれないが、その時の私にはめちゃくちゃクリティカルヒットだった。
「私なんか誰からも必要とされてないんだ。
私なんか死んだほうがいい。」
という程までに傷ついてしまって、何時間もひとりで泣き続けた。
(だいぶ壊れてますね。。)
うまくいっているように見える芸能人や有名人がふと自殺してしまったりというケース、たぶんそんなようなことが起きているんだろうなと思います。
普通の常識で考えたら「え、なんで!?」となるんだけど、何か、この表面的な「成功」と言われるものが、本人の心と乖離したままずっと進んでしまうと、どうしようもない破壊に繋がる。
結局、泣き通すうちに、同時リリース準備中だった、田中公平先生とのコラボ曲「無限方程式」のブックレットに収録した、「試死屋」という死を試せるお店を舞台にした小説のアイディアが思い浮かび、
表現に昇華することができたので元気になったのですが、この出来事はかなり自分としても衝撃的で、「本当の成功、幸せとはなんだろう?」
と自分に問いかけるようになりました。
「どんなに成果を出しても満足しない」はいいことなのか?
「どれだけ成果を出したって永久に満足しない」
というフレーズは、わりと「かっこいいもの」として称賛される傾向が当時の音楽業界自分の周りでは強くあって、
「何かが違う」という確信に近いSOSが自分の中で鳴っているものの、「え、かっこいいじゃないっすか!!」と言われてしまう。
違うんだよ、違うの。
それは本当の幸せじゃないしかっこよくもないんだよ。
お願いだから誰か止めてよ。
私は本当に幸せになりたいのに
どうしたらそうなれるのかわからなかった。
「いつかの夢」のために、貪欲に無限に頑張り続ける人生に身も心もすっかり疲れ果てていた。
それだけが理由ではないけど、少なからずそういう自分のいた環境の大きな変化、人生への疑問なども相まって、ももクロちゃんの紅白落選が決定打となり、その年末にはNYへ移住することを決意するに至った。
様々なことが、必然的にこの運命に導いていったようです。
アメリカ移住から4年目に気づいた答え
さて。
今の話に戻ります。
去年のコロナ禍を通じて、むしろガシガシと制作に励むようになった私。
アメリカ移住4年目に突入し、本当にすべてが手探りながら少しずつがんばって築いてきた最初の土台といえるものに、やっと建造物らしきものを建てられそう、というのがまさに今だ。
ここで、今年は一番大きな勝負に打って出たい。
今まで、作家業をいつも優先して、空いた時間でなんとかソロの活動を再始動して、という、どちらからというと「おまけ」の立ち位置でしか、オリジナルの活動ができていなかったことを、後悔してはいないのだが
そりゃあそれだけ力と時間を注いできた作家業で成果が出ていて、オリジナルの活動で成果が出ていないのは、当然じゃん。
今更ながら、長年全然積み重ねていなかった歌手としての努力、練習量、習慣の足りなさを思い知った。
また、ビジュアル面でどうしたい、とかいうアイディアも最初なかなか浮かばずに、もどかしく思った。
単純な算数です。
時間とエネルギーを、どれだけどこに投資したか、多く費やしたところに成果が出てそうじゃないところで出ないのは当たり前すぎた。
と思い知ったのが去年だった。
歌の練習や、リリース計画、自分のシンガーソングライターとしての時間を費やすことをやっとこさ本当の意味で再開できた。
そして、去年もLAでMV撮影しましたが、今制作しているMVは、ぐっと予算を増やして、今までこんなにたくさんの人を雇ったことはない!という人数感のクリエイターたちを雇っています。
そうするうちに、よく考えたらごく当たり前なのに気付かなかったことに気付いてしまった。
自分で夢を叶えればいい
あれ?
私、今めっちゃアーティストとして自分のやりたいことやってるなあ。
あれ?
これって、夢が叶ってるんじゃね?
定期的に曲を作ってはリリースする。
アートワークに想像を馳せ、イメージに合うクリエイターをインスタやその他オンラインで発掘しては声をかける。
スタジオに行き、写真やMVを撮影する。
子供の頃から夢だけど今世ではできないと諦めていたダンスを、MVで披露する。
そうして自分の頭の中にあったイメージを現実に変えて行く。
変な話なのですが、私は子供の頃から歌手として活躍したい!という夢に執着するあまりなのか、なまじ作家として身近で輝くメジャーのアーティストさんたちの現場で働いてきたからなのか
彼らのような活動をするには、誰かに選ばれて周りにお金やエネルギーもかけてもらって、としないと叶わない、となぜだか思い込んでたことにふと気づいたんです。
あれ?
なんだ、自分でお金をかけて自分で好きな人たちを雇ってチーム作って活動すればよかったのか。
お恥ずかしい話ですが、そんな当たり前のことにやっと、最近急に気づいたんです。
MV撮影、チームをまとめたりするのはめちゃめちゃしんどくて時にとんでもないトラブルも起きたり本当に泣きたくもなるけど、(人をまとめたりきちんと計画立てたりするのが本当に苦手なので。)
作品が形になると本当に嬉しい。
そしてまた、作家という受け仕事を長年してきて、「クライアントの要望に応えたい!」というプロフェッショナルな生き方に、柄にもなく(笑)慣れすぎていたことにも気づかされました。
そんなプロフェッショナルな自分の仕事っぷりは自分で大好きだったけど、自分らしさという点でみたら、かなり真逆なベクトルに努力していたのかもしれない。
メンバーから「それはイメージと違うよ。」という意見が出てきたときに、「この人の意見を否定するのは申し訳ないな。」と罪悪感を感じて苦しんでいたのだが、結果、
「え、私の作品なんだから私がこれがいい!!というものができなきゃ意味がないじゃん。」
という、アーティストとして当然のところにやっと戻ってこられるようになってきました。
自分が自分の人生におけるコントロールを持つ
そして私はやっとやっと気づいてしまった。
今までいつになっても夢が叶わなかったのは
私自身が
「自分には決定権がない、コントロールがない」
と思っていたからなのだ、と。
たしかにオーディションやコンペに常に勝ち抜いていかないといけない世界だし、ファンになってもらうことだって、結局「選ばれる」こと。
だから、「選ばれないと成功できない。」
と思い込んでた。
そのマインドセットこそが
夢が叶わない、はたまたどんなに表面上成功してるように見えても心が満たされない、
というこれまでの人生を作っていたのだと。
なんだなんだ!
2015年の誕生日の自分の疑問は、これで完全に晴れた。
今はどうだろう?
あれをやりたい、こんな成果を出したい
様々、形的に見たら全然まだ成し遂げられてないことだらけだが、心の幸福度で言うと、なんだかとても楽しくて満たされている。
たまに作家の仕事ができるのも楽しければ、自分の音楽を作ったり、撮影などをしているのがめちゃくちゃ楽しい。
だって、つまりは
「歌手として生きている」っていう人生を歩むことが夢なわけなんだから
もろもろ制作費を出すのがレーベルだろうと自分自身だろうと、お金がかかって作品が世に出ているということには変わりないし
しかしメジャーと違って、ああしろこうしろ、と制限されたりすることもない。
世の中的に成功してるかどうかなんて
全く本当の個人の幸せには全く関係がないなんて、2015年のあの時に思い知ったわけで
自分自身が決断して
自分の夢を「いつか」ではなく、「今」叶えればいいんだ。
「満足したらそこで終わり」
という人もいる。
自分も昔はそう思っていた。
でも、そんなにめちゃくちゃ長くない人生なのだから、永久に満足できずに「いつかの夢」を追いかけ続ける必要もなくて、いつも満足して幸せだなあ、って生きてもよかったんだな。
全然そこで終わったりしないってやっとわかった。
認めてもらえなきゃ、成果がでなくちゃ
社会の役に立たなきゃ意味がない。
そんな、常に周りの評価に左右される生き方はもうやめよう。
私が私を選んでいこう。
今の私は日本にいた頃のようにはガツガツしていないと思うけど、「今自分を幸せにする」生き方にシフトした私が、今後どんな人生を展開していくのか、とても未知で楽しみです。
最後に、よかったら今月発売した最新シングル「FIRE」聴いてみてくださいね!
(グラフィックデザイナーを雇えば、夢だった女戦士にもなれちゃうんだ!ってこの歳になってわかったよ!笑)
しほり
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