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渡米5年目の総括、2023年開始!


新年あけましておめでとうございます。
なんとびっくり、前回投稿したのは1年前だったんですね!?すっかり放置で失礼いたしました。充実してたんですね。

 LA移住後1年の所感

2018年1月10日の夜中に正式移住したので、今日で丸5年が経過し、6年目に突入しました!!あっという間ですね。
NYからLAに引っ越してからは1年と少しが経ちましたが、もう本当に引っ越してよかった!と思っています。NYも大好きだったんですけど、LAはお天気が良くてのんびりしてるのはもちろん最高なんですけど(笑)何より私の音楽性にぴったりで仕事面でついにカッチリとハマった感覚があります。単純にジャンルが一致しましたよね。

NYといえばやはりジャズ、ブロードウェイ、クラシック、HIP HOPなどがメインの街。ポップスとはいえほぼ必ずジャズミュージシャンしか雇わない私にとってはある意味アリだったんですけど、そしてクラシック出身で渡米前後にはミュージカルの原作も書いていたので(休眠中)ピッタリなのではと当時は踏んでいたのですが、思った以上に自分と同じタイプのミュージシャンに出会うことが難しかったです。
とは言え、渡米前から最初数年NY、その後LAに移住というプランがあったので、NYでの3.5年はアメリカ生活に馴染むための非常に厳しく有益なトレーニング期間となりました。(ドラゴンボールの「精神と時の部屋」みたいな。)

打って変わってのLA生活では、ポップ・ミュージックの本場でもあり、15年以上働いているゲーム・アニメ音楽業界のアメリカ版がある場所であるため、流石に移住した瞬間から一気に友達が増えました。自分がミュージシャンを雇って何とかアーティスト活動をギリギリで運営するしかない生活から、ゲームメーカーや世界各国のコンポーザーからも依頼を受けて歌や作詞、作曲を提供する機会も増えた2022年。根無し草が暗闇でもがきもがくようなNY時代から一転して、ついに「アメリカの音楽業界の一端にいる」という感覚を得られたことに心から幸せを感じたのが去年、2023年でした。

渡米以来必死で築こうとしてきた「土台」の建築がやっと完了した感じでしょうか。いや、正直・・・こんなに苦しいとは思わなかった、外国でのゼロから発進第二の人生。在米の先輩方が「外国で外国人が生活の基盤を築くのに平均最低6年はかかる」と仰っていたのが印象的でしたが、そうだよね、それくらいかかるよね・・・としみじみ思いましたとも!涙

コラボに始まりコラボで締まる

去年の目標といえば「様々な現地アーティストとコラボすることで自分の音楽や活動の幅を広げる」が第一優先事項でした。
これは快進撃と言えるほどに達成されたかなと思っています!

500万回再生間近、ジョジョコラボ

去年最初のシングルは、イタリアのコンポーザーでYouTuberでもあるNico Berisallioとのコラボ曲『Holy Steel』でした。

世界中で人気のコミックス「ジョジョの奇妙な冒険」の、まだアニメ化していない第7部「Steel Ball Run」の同人音楽と言いますのか、ファンが作る仮想のOP主題歌というコンセプトなのです。
 オンラインでオファーをもらった時には、聞いたこともないコンセプトで戸惑いましたが、Nicoはかなり人気の音楽系YouTuberである、以上に、楽曲のデモを聴いた時にはその、ジョジョの主題歌だともし言われたとしたら信じてしまうくらいの楽曲クオリティに感銘を受け、一緒にシングルリリースすることを快諾しました。

結果リリースから1年たらず、今日の時点でYouTubeにて480万回以上再生、Spotifyでも230万回再生を記録しており、私のリリースした作品の中でも一番のヒット作に躍り出ることとなりました。(作家としての提供作を考慮すると、次にYouTubeの再生回数が多いのはももクロちゃんのGOUNN。)

流石にこれだけ再生数が増えると、全米各地のコンベンションで歌っても知ってくれてる人が多くて本当に嬉しかったです。(涙)

12月までぶっ飛ばしちゃいますが、去年最後のリリースも奇遇にもNicoとのコラボ第2弾、ジョジョ第8部「JOJOLION」の架空OP『GO BEYOND!』となりました。

ちょうどリリースから1ヶ月経ったところですでに100万回再生間近です。
こちらも『Holy Steel』に全く劣らない非常にクオリティの高い楽曲。なにせ同人音楽とはいえ、演奏ミュージシャンやエンジニアは軒並みグラミー賞受賞レベルの人たち揃いという(笑)そりゃあレベルが高いです!!

Nicoと出会えたことは本当に幸運でした。「ああ、いい音楽に携われるって本当に幸せだなあ」と何度全身全霊で噛み締めたかしれません。
若い頃はもっと、より知名度の高いところへ!という野心がとにかく強かった私ですが、渡米数年後からキャリアより何より「自分の人生や心の充足」を大事にしたいと願うように変化しました。
その点、本当に最高だなあと嬉しくてニヤニヤが止まらなくなるような楽曲やミュージシャンと関わることができたことが、魂が震えるほどの幸せだったのです。なんだ、もう最高の2022年でした、ジ・エンドでいいじゃんか!(笑)

最難関だったラッパーZaidとのコラボ

そして次のシングル『SAVIOR』は、2020年にビルボードチャートにも載ったカウボーイビバップコラボシングルで知り合い、一緒に仕事したいね!と兼ねてから言っていたラッパーのZaid Tabani(ゲーム「ストリートファイター」などで知られる)とのコラボが、私がLAに移住してきたためについに叶った形でした。

音楽的にもラッパーとコラボしたことは一度もなく、ジャンル的にはHIP HOP EDMというのでしょうか。今まで書いたことのない音楽性に挑戦したわけですが、メロディもラップ、とまではいかなくてもかなりラップに近いスタイルだったので、英語の発音と併せて本当に泣きながら猛特訓することとなりました・・・。辛かったし悔しかった!!なにせ、自分がこんなにもできないとは思わなかったからです。

言語耳である左耳が聞こえない私、代わりに音楽耳である右耳は非常にいい方で、渡米5年目にしては英語の発音が随分いい部類・・・ではあるけれど、本当のネイティブの発音に近づくには圧倒的に高い障壁がそびえ立つことを痛感し、打ちのめされました。リズムやメロの兼ね合いで発音って時にネイティブでも不可能なほどに難しくなることがある・・・(そうなると作詞技術の問題にもなってくるんだけどね。)こんなに耳には自信があったはずなのに、何度聞いても全然聞こえない音があることがショックでした。

Zaidに、そしてプロの声優の友人からも指導を受けて挑んだレコーディング。悔し泣きばかりしましたが、最終的にはネイティブが聞いても全部何を言っているかはっきりわかるレベルにはなった!とのお墨付きをもらい、ほっとしました。
不思議とレコーディングを終えると、最初にはどうしても聞こえなかった音が聞こえるようになってたりして、外国人には難しくても不可能ではないし、1mmずつ良くしていくことはできると信じています。

また完璧にアメリカ英語にする必要はなくて、日本人としての訛りも個性として大事にした方がいいよ、ということも言ってもらえたりして、アメリカで活動する外国人アーティストとしてのあり方も見直せたと思います。

リーグオブレジェンドと再びのお仕事

2020年にRiot社と初めてのお仕事をし、世界的人気ゲーム「リーグオブレジェンド」のテーマソング「BATTLE QUEENS」を担当しました。
去年は再び彼らからオファーをいただき、前回のような大きなテーマソング的なものではありませんでしたが、新シリーズ?「Star Guardians」のコンピレーションアルバム、1曲目に収録された『I'll see you again』という曲を作詞・メロディ作曲・歌唱しました。

収録全曲が含まれたYouTube上の動画は140万回再生、Spotifyでも『I'll see you again』単独でもうすぐ140万回再生。
残念ながら私のソロではとてもそんな数字は出せないですが、こうしてコラボしていくことで100万回再生超えの楽曲を数年でいくつも出せているということは、特に渡米2年、暗闇の中孤独にもがいていた私にとって大きな成長を感じて励まされています。

初!アメリカでのゲーム主題歌を担当

「リーグオブレジェンド」の「BATTLE QUEENS」は、ゲームの主題歌というよりかは「スキンのテーマソング」という立ち位置でしたが、去年は何とついにゲーム自体のメイン主題歌を担当することができました!!

「リーグオブレジェンド」を開発した方々が新しく作った会社「Odyssey Interactive」がリリースする最初のゲーム「Omega Strikers」の主題歌『Go Strike!』の作詞(日英)・メロディ作曲・歌唱(日英)を担当しました。

 - ファミ通.com 『Omega Strikers』はサッカー×MOBAの注目タイトル。スキルを活かしてシュートを決めろ!敵は吹っ飛ばせ!

コラボしたのは友人でDJ・ゲーム音楽コンポーザーのJames Landino。実は去年私の住むアパートに引っ越してきたので(笑)やりとりが楽すぎました。イベントで共演することは多かったし、日本の作曲コンペに一緒に参加したりもしたのですが、初の正式なお仕事となりました。

アメリカのゲームなのにメイン主題歌が日本語ってすごくないですか?
おそらくそういう時代が来ているということで、こんなタイミングでアメリカに来たこともとても運命的に感じます。
ゲームは9月にベータ版がリリースされ、大好評なんだそうです。そしてもうすぐ、早春に正式にプレイステーションなどでも発売になるそうです!

日本語版だけでなく英語版もということで、英語版・・・というか日本語が先にできているものの英語訳バージョン(最初から英語版を作るよりかなり難しい!)は流石に一人で無理なので、Jamesとシンガーソングライターの友人Paytraにも助けてもらいながら完成しました。

こちらの英語版レコーディングも、SAVIORと同じくで半泣きで発音に取り組んで乗り越えました・・・。
もし一定のレベルに達せなかったら別のネイティブの歌手に依頼するということだったので、もう絶対に負けたくなくて、時間がめちゃくちゃタイトな中数日間で必死に特訓したおかげで無事に英語版も私の歌が採用されました!(涙)
・・・とは言え、流石に正式リリースバージョンではネイティブの歌手が歌い直すことになったそうですので、今年はよりアメリカのマーケット内で戦えるレベルに上げていきたい所存です。

とても嬉しかったのは、タイトルにもなっている「Go Strike!」というフレーズが、プレイヤーの中でおなじみになっていて、技を決めるときに「Go Strike!」とみんながタイプしているんだそうです。
ゲームの制作チームの一員としてプレイヤーの楽しみや思い出に貢献できているんだなあと感じられるのは本当に幸せなことです!

日本では2007年からアニメ・ゲーム音楽業界でお仕事をしてきていますので、アメリカ版の同じ業界でもお仕事ができたら、というのが渡米後の目標だったのですが、2022年にはついにそれが叶い始めたと思います。

ソロシングルはR&Bチューン

コラボメインに注力した2022年でしたが、単独シングル『Harmonizer』もリリースしましたよ!

「SAVIOR」にしてもですが、渡米以降はどうしても戦闘モードだったので戦闘的な曲が多くなっていたので、久しぶりに本来の私らしい癒しほり曲を作りたくて、チルな雰囲気の愛の歌をR&Bスタイルで書きました。

恋に落ちた二人を、海の中で愛のダンスを踊る鯨のカップルに例えた曲で、歌詞も幻想的でスウィートな感じになっていますが(YouTubeの字幕onにしてご覧ください。)手作りノーエフェクトで撮ったこちらの写真もお気に入り。

Photographer: Jaclyn Robyn

設定は、陽が差し込む海の底で恋人のことを思い慕うクジラの妖精。
この世界観を表現するために才能あるクリエイターたちと一緒に一丸となって頑張りました!
アメリカに来てから各作品ごとにこういったビジュアルワークにも力を入れるようになって、アーティストとしての意識が変わったように感じています。

私のジャンルはざっくりポップス、ではありますが、長年あらゆるジャンルをクロスオーバーすることでオリジナルでも提供曲でも知られています。
カテゴリーの枠に収まるのが好きじゃなくて、発想のまま自由に行き来したいレインボーな個性。
音楽的には長年レインボーだったと思うけど、最大の自信喪失から不死鳥のように蘇った2021年から、より自分の好みを追求しだして行った結果、メイクやファッションの嗜好まですっかりレインボーになっていた2022年。様々な矛盾が解決され、私らしさが諸々一致しだしたのかもしれません。

新たなアニメOP主題歌

アメリカの活動にかなり集中しているここ数年ですが、日本のお仕事だっていつでも大歓迎です。2009年から最もたくさんお世話になっている素晴らしいアーティスト、水樹奈々さんと去年も何曲かお仕事させていただきました。

アニメ「トモダチゲーム」のOP主題歌「ダブルシャッフル」もとても思い出深いお仕事でした。曲がとにかくめちゃくちゃかっこいい!そして私も気合を入れて発売されている原作コミックを全部買って読破し、最高の歌詞を書きました!

アメリカ最大のアニメ配信プラットフォーム「Crunchyroll」でも放送された「トモダチゲーム」は現地でも大人気!各地コンベンションでセルフカバーするとめちゃくちゃ盛り上がる定番の人気曲となっています。

1児の母となられた水樹奈々さんの表現力とバイタリティは衰え知らずどころか益々キレを増していて、去年発売された新作アルバム「DELIGHTED REVIBER」のクオリティがこれまたすごかったです。そして、堂々のオリコン週間1位獲得!!その中に私が作詞した4曲も収録。
新曲の「DNA ~Dance n Amuse~」がこれまためちゃくちゃかっこいい曲なのでよろしければぜひ聴いてください!!(私史上最もセクシーな歌詞を書いてしまいました。)

アニメコンベンションへの出演

去年も全米各地で開催されているアニメコンベンションに出演してきました。ツアーで地方に行くのが大好きな上、飛行機が大好きな私にとってお金をもらって大好きなことばかりができる嬉しいお仕事(笑)新しい友達ができるのも嬉しいです。

数々の思い出ができた2022年の中でも、8月にカリフォルニア州サンノゼで開催されたCrunchyroll Expoが特に印象的でした。
多くのアニメコンベンションはボランティアによる非営利団体や、小規模なものだと学生が代々運営していたりすることが多いのですが、Crunchyrollは上記に出てきたアニメ配信会社。潤沢な資金力を持ち、日本のアニメ制作会社や出版社、レーベルなどが集結し、規模としては全米最大とはまだいかないものの、内容的に圧倒的なクオリティのコンベンションでびっくりしました。
幸運にも素晴らしい映像もたくさん撮ってもらえたので、ガッツリしたドキュメンタリー映像を作ることができました。

各企業ブースの豪華さも、アニプレックスさんによるソードアートオンライン博物館など度肝を抜かされる規模でしたし、ステージ周りの機材やスタッフのレベルが本当にすごくて!!

そもそもアメリカってどこのライブハウスやフェスにしてもクオリティに期待してはいけない(そして日本では見たことのないひどいトラブルが頻発する)というのが鉄則なんですけど、もうPAさんたちも映像スタッフさんたちも全て完璧、あうんの呼吸で全てが完璧に繰り出される。
ステージもゴージャスで菅、音がとにかくいい!!「あれ?私ってこんなに歌うまかったっけ?涙」と勘違いしてしまうほどに気持ちよく歌えてしまう・・・(笑)

会場はかなり大きくって、果たして自分がこんなところで歌ってお客さんがどれくらい来てくれるんだろう?と不安いっぱいだったのですが、ステージの真横は多くの人がたむろう企業ブース・ベンダーズエリア(コミケ会場的なやつ)。そしてグッジョブなのが、ステージの映像が隣のベンダーズエリアの巨大スクリーンで爆音で放映されてるんですね。そして扉も開けてある。
そのおかげで、最初の時点で結構多くのお客さんはいたけれど、私が歌いだすとその音を聴いて、じゃんじゃか隣の部屋から人が流れてきて、気づいたら約3000人がパンパンに入って大盛況!!
コロナに罹ってやっと治ったところだったので、体調は万全に戻ってなかったのですが、あまりに多くのエネルギーが循環していたので、びっくりするほどパワフルなパフォーマンスができました。ファンの応援の力って本当にすごい!!!

目と耳を疑うほどの熱狂の渦で、そしてライブが終わると、すれ違う人たちが次々に握手や写真を求めてくれたり、なんだか自分が人気アーティストになったかのような錯覚がしてしまったほど。。でも、近い将来のために最高のイメトレになりました。

3年ぶりの日本ツアー

コロナパンデミックでさっぱり日本に帰ることができず、免許証もとっくに切れていましたが、去年は11月についに帰国することができました。これが私にとって最高の確認となりました。

丸2年帰れなかった間、ちょうど人生最大の挫折と復活を経て、アメリカにグッと馴染んだゆえ、久しぶりの日本は本当に新鮮で嬉しかった。
景色なんか、外国みたいに見えたんですよ!今まで何でもなかった当たり前の風景に「ああ、日本って風情があってなんて美しいんだろう・・・」なんてしみじみ感動してしまったし。(すっかり外国人気分でした。)

家族のトラウマが癒された

まずは地元名古屋。22年前の両親の離婚以来、仕事以外で地元に帰ることはほぼなく、家族みんなで会うこともなく、「私には血の繋がった家族はいない」と思わないと生きていけなかったマインドセットがずっとどこか抜けることがないまま大人になってしまっていたのですが、今回当時以来最も長い時間を家族と一緒に過ごすうちに、「家族である感覚」をふと取り戻すことができたのです。

最大の挫折からこの2年とちょっと、PTSDから重度の不眠症に悩まされていたのに、父宅では夜に眠くなってぐっすり眠り、朝には自然と目が覚めました。ああ、私、心から安心してるんだなと感じて何度も一人で涙がこぼれました。

ワンマンライブでは満員御礼!懐かしい面々や、パンデミックの間にファンになってくださった方々が会いにきてくださったり。鳴り止まない拍手からは「待ってたよー!!!」の想いがひしひしと伝わって喜びと幸せが大爆発でした。

メッセンジャーとしての力を感じられた

尼崎、東京ではブッキングイベントでたくさんのアーティストさんたちと共演しましたがこれも素晴らしい経験でした。年齢が40を超えたせいなのかわからないですが、若い子たちが一生懸命歌っているのを見るだけで愛おしくて感動してしまって・・・。何やっても可愛いよ、可愛いよ!ってなっちゃう(笑)
そして、驚くほどみんな私の存在を知ってくれていて、憧れてるんです!とか、●●(曲名)が大好きなんです!と声をかけてくれたり、活動や人生における悩み相談をしてくれたり。
いく先々で歌ったり話したり、たくさんのアドバイスをしながら、自分のメッセージをこんなにも必要としてくれていることに驚きました。
私はミュージシャンというよりはメッセンジャーの魂だと思っていて、そのために歌を選んだのがそもそもだったので、今回の各ライブで自分のメッセージがかつてない言霊力・影響力を発揮しているのを実感し、本当に嬉しかったです。

業界の仲間たちとの再会

東京ではたくさんの友人、仲間、先輩たちに会うことができました。
到着した当日には田中公平先生。その後も谷本貴義さんや、FIELD OF VIEWの浅岡雄也さん、結城アイラちゃん、佐咲紗花ちゃん、他、もう書ききれないくらいたくさんの素敵な人たちと久しぶりに語り合うことができて、いつも遠くから見守ってくれる彼らからのフィードバックも非常に大きな勇気や励みになりました。
誰かと会うごとに元気玉がモリモリ大きくなっていく感じ?本当にありがとうしかない。

私自身が試行錯誤、七転び八起きしながら自信が揺らいだり不安になったりしてる間に、ファンの皆さんや仲間たちが「しほりは必ず何かをやらかしてくれる!」と確信してくれているんだと知って、元気玉はとてつもない大きさに育ちました。

9年ぶりのしほりとあすか復活

東京のワンマンライブはまた特別なものとなりました。上京翌年の2002年に結成したクラシカルクロスオーバーユニット「しほりとあすか」の相方ピアニスト、佐久間あすか(旧姓:松本)と9年ぶりの共演が叶ったからです。波乱万丈・怒涛の20代を苦楽ともにし、血の繋がった家族よりも本当の魂の家族だといつも実感していた、最愛の人の一人です。あっちゃんは。
そして、音楽的にも今の私があるのは彼女と一緒に活動した歴史があったから、多くの影響を受けて今の私の音楽が形成されていった。

そんな特別な相方は、当時小学生みたいなルックスとキャラだったのが嘘みたいに、今では立派な3児のママであり、現役のピアニストとしてと同時に教育者としても活躍しています。流石、仕事に家庭に忙しいあっちゃんを捕まえるのは至難の技で、今回ついにそれが実現しました!!

しほりとあすかとしての活動は本当に色々思い出も思い入れもありすぎて、そして楽曲もとにかく業界に汚される前の当時才能がキレッキレだったので(笑)神がかった名曲が多いんです。二人とも断腸の思いで曲を選抜し、ライブの前半はしほりソロ、後半はしほりとあすか、そしてセットリストはしほりとあすかの定番の流れで構成しました。
「こんばんは、しほりとあすかです」って当時おきまりのセリフを言うだけで泣くんじゃないかってずっと心配してたけど、歌いながら誰かの鼻をすする音が聞こえるなあ、と思ったらまさかの相方あすかが泣きながら演奏していました(笑)

無敵状態でトキントキンに尖って爆発していた20代前半の私たちから、何と2倍生きてしまいまして(怖)、当時の楽曲たちもすっかり円熟したバージョンでお届けすることができて感無量。
もう、客席に散在していたオールドファンもみんな滝の涙で観てくださっていたようです。
別に有名になれたわけではないけれど、継続は力なりと言いますが、20年活動し続けたことの価値、というものも初めて実感することができました。

最後には前から仕込んでおいた、相方あすかへのバースデーサプライズも、会場のMiiya Cafeさんと、お客様全員の協力あって、もう、見事綺麗に完璧に大成功!!!!あっちゃんを思い切り泣かせてしまいました!!!(思い出してまた泣きそう。)皆さん、私の大切な大切な相方を一緒に祝ってくれて本当にありがとう!!

もう、素晴らしい思い出がいっぱいありすぎて書ききれないのですが(長くなって本当にすみません)今回の日本ツアーは本当に大大大収穫だったのです。
5年も日本にいなかったのにこれまでとは少し違う形で多くの人が私のことを知ってくれたり密かにアメリカでの冒険を楽しみにして応援してくれてるんだということがわかって、どれだけ励みになったかしれません。

日本に帰れなかった間、必死に自分を強く保ちながら地道に頑張ってきたものの成果を実感することができたし、たくさんの人からたくさんの愛と元気と自信と励まし・・・元気玉を最大限に膨らましてもらいまして、ああ、また壮絶なアメリカ生活に戻るんだなー・・・と内心げんなりしそうな私の、とびっきりの充電になりました。

アーティストとして人生で最も成功した年

どうしても叶わなかった夢

私はアーティストとしての成功を長年夢見つつ、日本では作家としての技術や才能の方が求められてきたところがあって、アーティストとしては大したことができていないし、才能がないのでは?と自信を失うことが多かった人生。

それでも諦めたくなくて、何度折れても立ち上がって挑戦してきたし、最終的には日本を出てアメリカに挑戦することになりました。

はたから見たキャリアとしては、作家としておそらく2015年頃がピークに伸びていて、周囲からも「そんなに成功しちゃって」「遠くに行っちゃったね」などと言われていましたが、内心は「アーティストとしては何も成し遂げられていない」という後ろめたさや悔しさ、虚しさも最大限に育っていました。

アーティストになるために作家にフルコミット

作家業を始めた2009年ごろ、業界の先輩方に「しほりは作曲の才能がすごいんだからまずは作家として成果を出すべきだ。アーティスト業はその後いつでもやれるから!」と言われ、一人悔し涙を流しながら「作家として有無を言わさない成果を出して絶対にアーティストとしても成功するんだ!」と決意し、アーティスト活動を何年も休止して作家業にフルコミットした結果、それなりの成果を出せたと思う。

その成果を持ってアーティスト業に復帰しようとした時に、結局アーティスト業を休止していたからアーティストとしての成果がないということで、再メジャーデビューやタレントデビューの話が頓挫した。なんて皮肉。なんて不条理。
水樹奈々さんとももクロちゃんの紅白落選は決定的なトリガーだったけれど、その激しい絶望と怒りで日本を見限った面も大きくあった。

アーティストとしてのブランクを挽回

アメリカで外国人として、ゼロスタートを切って思い知ったのは、日本でアーティストとしての自分を磨いてこなかったブランクの大きさ。
作家としてコミットしてきたことに後悔はないけれど、それでも正直、アーティストとして時間もエネルギーも全然注いでこなかったことがどうしても情けなく悔しく思えてならなかった。

でも、ついにそんな念願のアーティストとしての自分を磨くことができる時間はびっくりするほど幸せで充実していて、私は今人生を前よりずっと楽しんでいると思う。
もっと歌が上手になりたい!もっと英語が上手になりたい!と練習に励んで少しずつ上達していく喜びは、絶筆に尽くしがたい。
子供のように新しいことを次々と学び、すごい勢いで成長し続ける。そんな人生を大人になっても送ることができるのはなんと幸運なんだろう。

追記しておくと、実は去年は、せっかくハリウッドに引っ越したわけなので女優になりたいというもう一つの7歳からの夢を叶えるためにアクティングクラスにも通い出して、勉強を続けています。それも含めて、何歳になっても将来の夢に向かって努力する、という人として最高の幸せを味わえているわけです。世間では勉強=嫌なこと、と思い込んでる人も多いですが、それは間違いです。確実に喜びであり、人間の4つ目の大欲求だと私は信じて疑いません。学び、成長できるとき、人はたまらず嬉しいものなのです。

長くてごめん、やっと総括!

総括すると、アーティストしほり(あるいはShihori)としてまだアメリカで大人気!とか成功なんて呼べるレベルの活躍には全然至っていないものの、アーティストしほり、としてのお仕事のレベルでいうと確実に日米全部含めても人生最高の状態にまでなれた2022年だったと思います。
仕事件数だけではなく、収入的にも十分とは言えなくてもグンと伸びました。また公に言えないものも含めると結構な大物アーティスト(アメリカ人)と密かにお仕事できたこともあり、自分のいる段階が着々と変化しているのを実感します。

ただでさえ外国人としての挑戦が過酷な中、つい謙虚になりすぎるというか、長年ふてくされていた癖で、「作家で出せていたレベルの成果には全然だし・・・」「全然人気じゃないし・・・」とか思っちゃうんですけど(笑)先月2022年を振り返り出した時に、そのことに気づけてすごく感動しました。

どれくらいの成功ができるかどうかというより、自分が本当にしたい夢を叶えてあげることを一番の目標に、2023年も学びと成長を楽しんでいきたいと思います。

一年に一回現れたかと思ったらいつも超長文でたいへん恐縮ですが、自分自身のために6周年である今日のうちにどうしてもまとめておきたかったので、書かせていただきました。

それでは、今年もどうぞよろしくお願いいたします!

しほり



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