2020年・移住3年目まとめ
新年のご挨拶
NYからあけましておめでとうございます!
地球始まって以来初めてのパンデミック嫌〜!・・・もとい、パンデミックイヤーを、みんなでなんとか無事に生き延びて2021年を迎えられたことにまずは感謝したく思います。
ほとんどの人にとって人生史上もっともしんどいまさかの1年でしたね。
そしてそれは残念ながらまだ続きそうです。
とはいえ、人類はこれまでもそうしてきたように、環境に順応し、考え方次第で無限にクリエイティブになることができます。
同じ状況、同じ記憶でありながらも、今、発想や注目ポイントを変えることでどんな最悪の苦境であっても、だからこそ得ることができた良い経験に、意味や意義そのものを変えることができるのもこれまた人類であります。
その点、世界中の人たちが去年から、人生を大幅にアップデートするきっかけを得ているところだと言えると思うのですが、せっかく「公開アメリカンドリームプロジェクト」を掲げて移住してきたので、改めてこの冒険の「ここまでまとめ」をしてみたいと思います。
「いつか海外に移住したいな」という方も、単純にちょいと見物の方も、日本からしほりを応援してくださってる方も、この3年の変遷をぜひお楽しみいただけたら嬉しいです。
日本での人生で構築してきたもので戦おうとした1年目
2018年の1月10日の深夜、時計的には深夜1時頃に当時ブルックリンの自宅についたので、ゾロ目スキーの私としては1月11日1時11分を記念日時にしたいな・・・なんて思ってますが、本当にまさにまる3年が経つのですね。
ビザを取得するのに弁護士の仕事を待つだけで予定より1年半かかるという想定外の自体で想定よりだいぶ遅れてしまいましたが、意気揚々とついにNY本格移住となったこの時は、かなり、かなりエネルギー爆発。
長年日本で積み上げてきた自信もあったし、いつも通りざっくりとしつつも「これはいけるだろう」と手応えのあるプランもあった。
職はないし、収入のあてもまだゼロだった。
学校や仕事先など、定期的に通うようなコミュニティもなし。
もちろん普通に考えたらとてつもなく無謀な状態だったとは思うんですけど、人生っていつも考え方次第で、常識とは外れた所に思わぬチートウェイって言うのがあって、そこをいける自信が内心あったんですね。
考え方としては、まず言語や文化的な経験値が圧倒的にない分、それを経験で学び取るまでの間に、自分がすでに培ってきて即戦力である強みのスキルや経験値を活かして仕事を作り、それらを足がかりにして拡大しようという、まあある意味で妥当なプラン。
移住前までに度々路上ライブや小さなイベントなどに出演し、日本語で歌ってすら有り余るパワーで「言葉はわからないのにメッセージが伝わる!」とか思わず調子に乗ってしまうような嬉しい感じで声をかけてもらえることがたくさんあったので、(特に「クールでおとなしい」ステレオタイプのイメージがあるアジア人女子が爆発的な表現をしているというだけですごい衝撃みたい。。)持ち前の度胸とパワーでアメリカ初心者のうちはある程度乗り切っていけるのではないか?と踏んでいたのだ。
が、実際住んでみるとその算段がかなり砂糖たっぷりの甘々過ぎたことを思い知った。
ぱっと見のオーラやパワーでその場で惹きつけることができても、ではCDや曲を買うのか?ライブに来てくれるのか?と言うと別の話だった。
現在ですら世界一CDが売れる国で有名ですが、アメリカはちょうど私が移住した頃にSpotifyが瞬く間に席巻し、CDはほとんど廃れてしまった。太古のもの扱いでした(笑)
「CDある?」「Spotifyに載ってる?」と聞いてくる感じ。
そして、短所にスポットをあてて平均的にできることを良しとする日本と違って、とにかくダメなところがあっても個性でOK、いいところを褒めまくるアメリカでは、良くも悪くも他人に無関心、無責任な面もあって、最初に会った時に盛り上がって褒めまくってくれたとしても、「ライブいつ!?行きたい!」などと聞いてくれたとしても、いざ当日会場に足を運んでくれる人は
驚け、まじでほとんどいなかったんだ・・・。
ライブハウスのシステムも日本のようにアーティストに利益が出るようにはなっておらず、さらにNYはエンタメの街で掃いて捨てるほどのショーが日々街に溢れているので、みんなライブに特別感を全く抱いていない。
別にいつでもいっか。みたいな。
日本だったら通常ファンベースを作れる方法では、ほぼ困難であると判明したのだ。
想定外すぎた。
そんな調子で、すぐ誰かと仲良くなれた感じがするのに、実際に友人として関係ができることもほとんどなかった。(日本人以外。)
これが学校や職場があったら違うけど、所属コミュニティのない私にとっては、まず周囲に人間関係すらないところから始めたので、アメリカで継続的な人間関係を作る果てなき難しさ、日本では一度も経験したことのないような(それこそ「裏切り」とも感じてしまうようなレベルの)トラブルを次々に経験し、理不尽なほど弱肉強食が絶対ルールな未知のジャングルで危険な猛獣たちに殺されないようにボロボロになりながらハラハラ生き抜く・・・という体感の、超絶過酷な1年となりました。
なので、とにかく「闘う」モードの曲を書いてましたね。
それまでは「癒し系」の曲がメインだったのに!(笑)
秋に日本ツアーに行った際には、猛獣に警戒する必要のない安全な場所に避難できた気分で、久しぶりにホッと羽を伸ばしていました。。
たくさん会いたい友人や仲間がいることも、どれだけありがたいことか痛感。
人生でさっぱり英語環境に暮らしたことがなかったので、英語の稚拙さにも苦しんで泣きました。
言語的能力が低いと、知能・精神年齢も低く感じるんですね。
自分が2、3歳くらいの知能指数に感じて辛かったですが、しかし一方、赤ちゃんから人生をやり直して全てを学び直すような感覚は、生物としてとても面白いものを感じ、興味深く自分の成長具合を観察していました。
とにかく全てが破壊されていった2年目
手痛い失敗を繰り返しながらアメリカの文化や常識を学び取りながら迎えた2年目、2019年。
段々慣れてくると、案外順応してタフになっていくものです。
それでもびっくり仰天してしまう事件は次々に起きていきますが、
「ここではそれが常識」とわかってくれば、驚きはするし腹が立ったりもするけど翻弄されたり、心身が消耗しづらくなります。「ウケる!」と笑い飛ばせるようになります。
前年の日本滞在期間を急遽1ヶ月延長して、がっつりチャージしてきたエネルギー分で何とか凌いでいたのですが、ついに現地の友人の輪みたいなものができてきて、現地の音楽プロデューサー何人かとセッションしてみたりしました。
前年は、前項の通り日本で培ってきた技術と経験を活かすコンセプトだったので、「自分が思うアメリカ版しほりはこれ!」というものを自信を持って作ったのですが、アメリカのポップスがどういうものかというのがややわかってくると、前年のものは全然アメリカじゃなくて、ただ「独特なしほりがさらに独特になった」という感じだったと気づきました。汗
それはそれで面白いし、中には「アメリカでも即戦力だと思う」と評価してくれたレコード会社の方もいらしたりしたのですが、自分が描いていた「こんな立ち位置で展開したい」というビジョンに到達するには圧倒的に方向性を変えねばならないことを思い知りました。
そしてそれはちょっとしたスタイルとか見た目とかの枝葉を着替えるレベルでは絶対なくて、言語的・文化的・歴史的土台から見直して、根底の部分をもっと理解しないと無理だと悟ったのが2年目。
ここで、当初の策では勝てないと確定した感じ。の策では勝てないと確定した感じ。
仕事のやりとりちょっとにしても、日本で良しとされるマナーや思いやりだと、アメリカではそれが全然意味としても通じず、相手が悪い人だと簡単につけ込まれてしまう。
日本で思っていた「正しいこと」の概念を、ことごとくひっくり返さねばならなかった。
これが良くも悪くもとてもショックで、時には日本で長年プロとしての誇りや自信があってしたことが、アメリカでは逆に失礼に当たったり無知に見られてショックを受けたり・・・
「えええ!日本ではこれが第一線の現場で共通のやり方なのに、世界共通じゃないの!?聞いてないよ〜〜〜!」
と泣きたくなることも。
楽曲制作についても全く同じで、作り方があまりに日本で慣れ親しんだ方法と違って、最初は抵抗があったり素直に受け入れることができずに、モヤモヤしているのだけど、そのモヤモヤを相手に伝える会話能力がなくて何も言えない・・・という、何重にも悔しくて苦しい思いをした。
結果、人生を通じて築いた自信や、身につけた常識の多くを一旦捨て去らねばならなかった。
音楽も、人間関係も、全てに於いてです。
案外にしんどかったのは、日本で長年「それは失礼だからやってはいけない」とたくさん叱られて、苦手だけど一生懸命社会に馴染むために何とか努力して身につけてきた立ち居振る舞い方や考え方が、アメリカでは「え!?むしろ私叱られて直す前のまんまでいた方がうまく言ったんじゃん!?」
と判明したこと。
自分を恥じることなんて何もなかったのに、私はたくさん自分のことを責めたり恥じたりして、一生懸命きっちりした、社会の箱に入れる小さな形に自分自身で押し込めてきたんだなと、驚かされました。
そして、無理してきっちりを学ぶ前の自分に戻りたい!
と思ったのに、長年社会経験で身につけた完全武装を解くのが、とても難しいことにもショックを受けた。
他の人の事情や気持ちを考え、みんなに迷惑をかけないようにする(特に言わないでおく、とか行動を控える系。)という、「思いやり」「よき道徳」と習って来た文化的習慣が、アメリカには概念としてすら存在しないのです。
「みんな」よりも、「個人」が優先されるから。
つまり「自分がどうか?」の方がずっと大事。パワフルさなんて、はみ出てるほど喜ばれるし。
なのに、いざ「遠慮せず出していいんだ!」となったら、自分が把握してた以上に、「わがままにやり過ぎて迷惑かけてはいけない」みたいな気持ちが強く出て不必要に遠慮してしまう自分を多々発見し、「あれ?私案外日本人だったわ」と衝撃を受けました。
さらに「空気を読まなくてもいいか?」と言ったらそうでもなく、日本とは違う空気の読み方や、真逆のアプローチによる思い遣りの示し方などがたくさん存在して、その感覚の違いも学ばなくてはならない。
赤ちゃんから無意識レベルで染み付くものだから、変えるのそりゃ大変です。
なので、たくさんの衝撃的な出来事が怒涛のように押し寄せながら、混線しながら、アメリカどころか、日本で子供の時に身につけたものまで全部見直して、選別し直すことになりました。
30何年もかけて培った自信がガラガラと崩れ去り、今まで一体どうやって音楽を作っていたのか、頑張るってどういうことだったのか、何ならどうやって生きてきたのかも思い出せないくらいに自分を見失い、これまでの人生でも経験したことがない最大の心の折れ方をした。
「もう音楽は書けないかもしれない。」
「もう世の中には出ることがなく、別の職業になって静かに余生を過ごすのかもしれない。」
そんな可能性を真剣に思い悩むほどに、生命エネルギーも完全枯渇し、満身創痍で暗黒の年末年始を過ごしました。
まさに完全破壊。カオス。
それでも生きるしかない。
スキルも経験値も実績も自信もない、やる気も出ないダメな自分でも愛してあげたい。
それが最大の収穫となり、2020年のテーマとなったのでした。
日本での土台まで解体し、グラウンドゼロになった3年目
ここまでが長過ぎてすみません。
やっと2020年です。
年明け、ふとエネルギーが変わった。
人生最底辺まで落ちて、これ以上落ちれない最底辺まで行ったので浮上し始めたようです。
★コロナ前・クラファン編
前年の作家デビュー10周年記念セルフカバーアルバムをリリースするのに、クラウドファンディングで日本のファンの皆様からたくさんのご支援をいただき、そのリターン作業に奔走した1ー3月。
前年人生かけて築き上げた全てが完全破壊されて全ての自信を失ってボロボロだった私にとって、ファンの方々からの応援は本当にお薬でした。
ファンの方々からの暖かい応援に傷を癒されながら「ダメダメな自分を愛する」個人的キャンペーンと並走していくうちに、
その時期に夏に発売した渾身のシングル曲「Perfect Imperfection」が降ってきたりして、何だか2019年に消化仕切れなかった学びと、「不完全な自分をそのまま愛したい」という魂の叫びが何かこなれてふっと形になり始めました。
★コロナで NYが世界最悪の地へ・・・編
3月13日、クラウドファンディングのリターンである、スタジオライブ映像を撮影したのですが、その時はまさか中国〜日本で猛威を振るっていたコロナウィルスの波がアメリカにも押し寄せるとは多くの人が思っておらず、スタジオでも「ただの風邪だよね?なんかセンシティブになり過ぎだよねぇ。」とみんなで話していたのですが、その翌日の夜に、「明日から外で人と会うことを禁止、お店は8時で閉店」というアナウンスがされて仰天しました。
出演予定だったコンベンションも次々と中止に。もちろん日本ツアーも。
そのスタジオライブが去年唯一の外で歌う機会となったのでした。。
その後は言うまでもないパンデミックイヤー。
世界中の多くの人が共有していることなのでそこはもう書くまでもないとは思いますが、NYは世界最悪のコロナ激震地となり、私も最初はストレスであっという間に風邪を引いてしまったくらいダメダメでした。
(特にストレスだったのは日本政府の動きをSNSで見ることでした。。心配で心配で・・・心がやられた。)
★ピンチをチャンスに!自粛中だからできること編
でもそれだと持たないし、嘆いても免疫力が落ちるとかデメリットしかないので、それならこんな状況だからこそできることに焦点を当てて、できるだけ楽しく生きれるように工夫するしかない、と切り替え。
私の場合は、何ヶ月も外に出られないぶん、自宅の制作環境を整えて自宅レコーディングや撮影を自分でできるようにし、シングルの制作に励みつつ、「Perfect Imperfection」のMV制作チームと何度も何度も熱いオンラインディスカッションを交わして練っていきました。
結果、「水の中で撮影する」という予想外の案が飛び出し、その準備やトレーニングも重ね、スタッフの全力サポートを命綱とした私のマジで文字通り命がけ!の撮影が8月にLAにて実現し、こんなMVが完成しました!
こんなファンタジックなMVを作ったことがなかったし、綿密なチームワークも終始最高で、本当に充実して幸せな経験でした。
コロナで一体いつ撮影が実行できるのか全く読めず不安もありましたが、(そして私のビザ更新が撮影前にできるかどうかの不安もあったので。)素敵な仲間のおかげでこちらも無事に乗り越えることができました!
そして、アメリカのポップマーケットでも戦えるようにもっと歌が上手くなりたい!!という欲求がマックス高まっていたので、アレクサンダーテクニークのオンラインレッスンを受けたりもしました。
「いつか時間ができたら」なんて思っていたことを学ぶのにちょうどいい時期ですね。
それまではとにかく活動ベースを築くのにやることが多すぎて全く追いついていなかったので、今思えばむしろ良い学びの機会でした。
ちょっと良いカメラを買ってみたり、ソフトウェアの使い方や編集技術、撮影技術を勉強して、結果今年のシングルジャケットは全てお手製。
「Soul Trip」に関してはMVも全て自家製に挑戦。
https://www.youtube.com/watch?v=zAQTeaXOoDo
クオリティはまぁやはりお恥ずかしながらの自家製レベルですが、コロナ自粛期間の制限された中でできることをやる、という点で世界中の様々なアーティストが「自粛ならでは」の自家製コンセプトの表現に挑戦していましたが、これもきっと後々の時代から振り返ってみたらとても貴重な経験ではないでしょうか。
★やっと成果の芽らしきものが?コロナチャリティ編
ほとんど「とにかく作った」だけで精一杯だった前年と違って、去年はプロモーションらしきものにも初挑戦し、思ったよりもたくさんのメディアに各シングルのプレビューやインタビューなど取り上げていただいて、とても励まされました。
特に4月〜8月あたりはパンデミックの影響で多くのアーティストがプロモーションにかなり苦戦したと聞いていて、この反応の多さはありがたくもなかなか健闘だったようです。
そしてコロナ自粛と言えば、世界中が一斉に停止したことで、音楽業界では様々なコラボが行われましたよね。
私も様々なチャリティコラボに参加させていただきました。
5月1日にアメリカ発でリリースされた、人気アニメ「カウボーイビバップ」からのチャリティカバーシングル「The Real Folk Blues」は、40名以上もの世界各国のアニメ・ゲーム音楽クリエイターや、アメリカ版アニメの声優さん、さらにはオリジナルの世界的音楽プロデューサー、菅野よう子さんと彼女率いる「カウボーイビバップ」音楽の公式バンド、THE SEATBELTSまでも飛び入り!
(私はリードボーカルで参加しています。)
こんな大物たちが大集合したのはコロナ禍でみんなの仕事がなくて暇だったからなので、ある意味コロナが起こした奇跡と言えるのかも。。
https://www.youtube.com/watch?v=8GwE0wwMmKE
(何でちゃんと動画が表示されないんだ〜〜!!)
日本よりも海外で話題を巻き起こし、YouTubeで100万回以上再生、限定盤レコードが2000枚以上を売り上げ、何とあのビルボードチャート、ワールドデジタル部門の6位にランクイン。
全然自力ではないですが、、まさか移住3年目にしてビルボードチャートに名前が載ることになるとは・・・!涙
(個人的には、2009年に作家しほりとしての初仕事で私を作詞家として大抜擢してくださった菅野よう子さんと、こんな形で再びご一緒できる日が来たことにも感激ひとしおでした。涙)
そしてもっとも嬉しいことに、このプロジェクトを通じて売り上げ500万円以上をコロナパンデミックに奮闘する米国疾病予防管理センターと、国境なき医師団に寄付することができました!
このことは、アメリカに来て以来投資投資はせど一向に成果が出ず、お金を稼ぐこともできず、社会の役に立っている感覚がさっぱり得られなかった私にとってどれだけ励まされたかしれません。
そんな大きな結果が出るとはメンバーも皆予想していなくて、メッセンジャーグループでは、みんな逐一大興奮で大喜びを分かち合っていました。
そんな、新しく出会えた海外の仲間とのコミュニケーションも、コロナ自粛中の不安な中、潤いをくれました。
人間って、本当に社会に参加している感覚や、誰かの役に立っている感覚が、生きるために必要なんだと痛感します。
それは別に規模や形態は人それぞれ、
音楽家なら、やはりリスナーに喜んでもらいたいからだし、お母さんだったら子供を幸せにしたい。(そしてきっと社会にも参加したいと思う。)
このコラボに影響を受けて、私も何かチャリティプロジェクトをしたい!
と思い、同じくチャリティプロジェクトを実行中だった親友のレザークラフトアーティスト、eri's Art love & peace Factoryのエリちゃんと一緒にコラボ楽曲「Wonderful World」を制作し、シングル「Perfet Imperfection」とセットでチャリティ企画としてBandcampでリリース。
しほりBandcamp 「Perfect Imperfection / Wonderful World」
こちらの売り上げは全て、性暴力・DV被害者、児童虐待被害者を支援する団体「Joyful Heart Foundation」へ寄付しました!
ご参加くださった方、本当にありがとうございます!
(今後の売り上げも寄付していくので、よろしければぜひ上記Bandcampのページをご覧くださいね!)
他にもいくつかコラボ企画があったのですが、大きかったものでは先のアメリカ発チャリティの第二弾である、アニメ「僕のヒーローアカデミア」チャリティカバー企画も、あと少しで100万回再生を突破しそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=m44w262ut-I
こちらは、前回から何と倍!・・・80名以上の各国アニメ・ゲーム音楽クリエイターや、オリジナルの作家、林ゆうきさん、アメリカ版オリジナル声優さん、アメリカ版ポケモンの歌手の方などが参加し、限定レコード盤の売り上げがユニセフへ寄付される予定です!
★年末に待っていた、大型のお仕事編
そして年末には思わぬ展開が待ち受けていました。
上記2つのチャリティプロジェクト発起人であるアメリカのアニメ・ゲームソングライターで、世界最大のゲーム会社「テンセント」のシニアオーディオマネージャーでもあるMason Liebermanからの推薦で、
世界最大クラスの人気を誇るというゲーム、「リーグ・オブ・レジェンド」の新しいスキンテーマソングの歌唱と日本語作詞、共作曲の依頼が舞い込んだのです。
日本で長年アニメ・ゲームソングに携わってきた私にとって、アメリカのアニメ・ゲームソング業界でもお仕事をしたい、というのが密かな夢の一つでしたが、それがついに叶いました!
(ちなみに当初計画してたけど頓挫した「即戦力のスキルでお仕事」の項目に当たるのがまさにこれ!)
初のアメリカのゲーム音楽の仕事ということで、内心かなりドキドキと緊張しつつ、LAの作家、Jason Walshが作ったトラックにメロディと歌詞を載せました。
彼らは世界一のEスポーツの大会でも有名らしく、スタジアムでのオープニングセレモニーで音楽も演奏されたりと音楽も注目されているそうですが、今回初めて「日本アニメOP風」のコンセプトで楽曲を作ることになって、私に声がかかったそうです。
ちょっとなにそれ!まさに私の一番得意な分野じゃん!
そして「そんな都合のいいお仕事がもしもらえたら最高だな〜」とノートに書いてた通りぴったりすぎる内容でもあってビビりました。
そして出来上がったアメリカ発の「日本アニメOP風」楽曲がこちら!
「BATTLE QUEENS 2020」
https://www.youtube.com/watch?v=uFCjVtJ2gJQ
(やっぱり動画が表示されない〜〜!)
日本では他の作家さんと作曲で共作するということは何気に一度も経験したことがなかったので、しかもすでにできているオケにメロディを乗せるというのも人生初めてで、これもまた新鮮で楽しかったです。
先月にリリースされて、世界からの反響の大きさでこのゲームがどれだけすごいのかを知って、後になって恐れおののいてしまいました。。
(紅白歌合戦に出場するよりすごいことらしい。)
こちらも新しいアメリカでできた友人から広がった不思議なご縁。
闇の中でずっともがき続けているような移住後生活の3年目に、やっと伸ばした手が形ある何かに触れた、2020年でした。
勝手な当初のしほりプランでは、最初の1年で活動の土台を作る!という目標だったので、思っていたよりずっとしんどくて時間も必要でもどかしい3年間でしたが
在米日本人の先輩方の話を聞いていると
外国人が異国で0から土台を作り上げるには、平均6年かかるそうです。
移民にとっての0からスタートは、事実上大幅なマイナススタートだから。
周囲の友人からも似たような話をよく聞き、「そっか〜!みんなこんなたくましくてすごいなぁ、自分はダメだなって落ち込んでたけどみんな同じように苦労してるんだ!」とわかって本当に励まされました。
(最初の1年ちょっとは英語向上のために日本人と極力会わないようにしていたので、誰かに相談する機会もなく、全然知らなかったんです。)
そう考えたら3年目の成果としては、自分が落ち込んでたよりはよく頑張った!って褒めてあげてもいいのかもしれない、と思うようになりました。
グラウンドゼロに新規で構築し始める4年目
超長くなってしまいましたが、「公開アメリカンドリームプロジェクト」を掲げてバーンと日本を飛び出てきているので、これまでのまとめを自分のためにも言語化させていただいました。
そんなこんな激動のNY移住後4年目が始まります。
私が持っているO-1ビザ(アーティストビザ)は3年期限で、取得時のやや混乱があり、去年8月末が期限だったので、上記諸々のプロジェクトを進めつつ、ビザ更新の作業も同時進行しました。
最初に依頼した弁護士さんで本当に痛い目にあって、アメリカでは高額なお金を払ったらいいサービスをしてくれるはず、とか弁護士ならきちんとしてるだろうとか、そういったことが全然当てはまらない、ということを思い知ったので
今回は弁護士に頼らず自分で申請する!
と、移住前から決めていました。
長年アメリカで、一度も弁護士を使わずにビザを更新し続けている劇伴作家さん(すげー!)が、あれこれアドバイスしてくださり、新しいスポンサーさんや推薦者の方々からの協力のおかげで、無事にまた3年のビザを取得することができました!
これでアメリカでの挑戦を続けることができます。
(コロナ禍で移民局にも遅れが出ていたのと、申請過程で些細なミスがあってその往復の間にトランプ政権により移民法が改定されてルールが厳しくなり、ギリギリ数日差で追加の資料が必要になったり・・・
MV撮影でLAに行く前に承認されないと、NYに戻ったあと14日間の自粛がビザの滞在期限を越えてしまう!というかなりピンチでしたが・・・無事に出発の数日前に承認されました!涙)
というわけで、
未知のジャングルでの奮闘(2018)
壮大な大破壊(2019)
破壊物の撤去と片付け(2020)
を経て、4年目はこのグラウンドゼロに建物や町らしきものを建設しに取り掛かりたいと思っていますので、引き続き、しほりの「公開アメリカンドリーム」新章をお楽しみいただけたら嬉しいです。
密かにではなく、堂々とがっつり応援していただけたら、正直もっともっと嬉しいです!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
しほり。
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