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【リブリオエッセイ】満ちて逝く

▼2024年3月 ふみサロ課題本

「猫鳴り」沼田まほかる 双葉文庫

▼本文
     満ちて逝く

 2023年1月、父が亡くなった。享年88歳。亡くなる1ヶ月ぐらい前から脳死に近い状態になっていた。このまま延命治療を続けても意識が戻る可能性はゼロに等しい。そう医師から告げられた時に、家族が選んだ選択肢は安楽死だった。やがて静かに息を引き取った父。お通夜に遺体と一夜を共にした妹によると、父は棺の中で、これ以上に無いほど安らかな笑顔で微笑んでいたそうだ。私は無念のあまり、凝視することはできずにいたが、何の苦しみも無く大往生した父は人生の最期としては幸せだったように思う。

 父の少年時代の夢は歌手。しかし長男として弟や妹たちを食べさせる為、父は早々に祖父の仕事を継いだ。少年時代の私は勉強している時でも気にせずカラオケの練習をしている父が大嫌いだった。父のようには成りたくないと思いながら、私は大学へ進学し実家を離れた。その後、仕事中の事故が原因で車椅子の障がい者になった父は、驚異的なスピードでリハビリを終え、松葉杖をついて熱唱するカラオケチャンピオンとして人生を復活させた。コロナ禍前の父は「ワシからカラオケを取ったら後には何にも残らん」と言いながら暮らしていた。しかし、コロナ禍が始まると同時に、相次ぐカラオケ大会の中止。人前に出て歌う機会を失ってしまった父は急速に老け込み、やがて、生きる屍と化してしまったのであった。

 人生にとって「生きがいが如何に大切か?」を身を持って教えてくれたのが父。一周忌を終えた後も月命日は欠かさず墓前で、これからの決意を誓っている。「ヒット曲の書ける作詞家になりたい」「百年後の未来に残る詩作品を残したい」「世の中から必要とされる本を書きたい」……チャレンジはこれからも続いていく。

 マハトマ・ガンジーの名言「明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ」。藤井風の名曲「満ちてゆく」。やがて息子は「オレから書く事を取ったら後には何にも残らん」と言いながら、暮らすようになった。貴方に出会えて良かった。そんな貴方に、私もなりたい。

▼藤井風MV「満ちてゆく」

▼今回の作品の執筆意図

沼田まほかる「猫鳴り」を読み終わった直後は、第二部からインスパイアされた小説を描こうか? 第三部からインスパイアされた父の臨終について描こうか? どうしようか? と迷っていたが、藤井風さんのMV「満ちてゆく」を観たところ、MVの冒頭で車椅子の男性が出てくるシーンがあった。それを見た瞬間に、車椅子で生活していた父の姿を思い出してしまい、今、このタイミングで父のエッセイを書かなくてどうする? と思った為、今回は、「24色のエッセイ掲載作品・鬼子の刃」の続編を書く事にしました。もちろん、これが、エッセイ集第3弾に載せたい作品である事は言うまでもない。

▼エッセイの流れ

①「起・興味」 父が亡くなった前後のエピソード。
 2000文字エッセイなら、父の余命があと僅かであることが分かった為、急遽、東京から実家へUターンして、最後を看取った所にまで触れたいところだが、文字数が限られている為、Uターンに関するくだりはカット。

②「承・納得」 父がどのような人物であったかについての裏付け。
「24色のエッセイ掲載作品・鬼子の刃」を読んだことのある読者なら、私の父が車椅子の障がい者だった事を覚えているかもしれないが、初見の人が読むかもしれない事も考慮した上で挿入したパート。

③「転・共感」 父の生き様と自分への誓い。

④「結・信頼」 名言の紹介と結び。
 父と息子(自分)との比較。「承」と「結」を対にして閉める。
 藤井風さんの曲が素晴らしすぎるので、この感動をもっと広めたいなと思い、エッセイの本文の中に入れてでも紹介したいと思いました。

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