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「君たちはどう生きるか」

 ※ 内容に触れています ※

 これほどまでに事前情報なしに映画を観たのは、子供のころ以来かもしれない。

 といっても公開から2週間ほど経っていたので、賛否両論あるらしい、というところまでは分かっていた。「訳が分からない」と言っている人も多いらしい、と知っていたけど、実際に見てみた私の感想は、圧倒的な"賛"だった。

 映像があまりにも美しくて、楽しくて、主人公 眞人の目線で物語を追いかけた。どっぷりと映画の世界に浸かった2時間が心地よくて、夫に子供を託して二度も観に行ったほど。

 無我夢中で走った時に自分の横を流れていく風景、初めての場所に来たときの怖いようなワクワクするような気持ち、誰もいない自然の中に入っていく興奮。映画を見ている間、どんどん自分が子供に戻っていくような気がした。子供の頃の世界の見え方、自然の見え方を思い出させてくれる作品だった。

 子供の時って、もっと地面が近かった。地面をじっと見つめて小さな虫たちが動いているのを観察した時の、自分の体まで小さく小さくなっていくような感覚。アスファルトに腹ばいになって田んぼのオタマジャクシを見ていたころの感覚。子供の頃、世界は不思議に満ちていて、夢と現実なんて区別もなく、見えないものの存在も素直に信じていた。物語が一貫して眞人の目線だけで語られていたおかげで、私も子供の感覚で映画を楽しめた。そのおかげか、結局アオサギってなんだったの?とか、あれは誰のお墓だったんだろう?とか、作中の疑問も全然気にならなかった。

 ついでに、子供の頃にジブリ作品を見たときの楽しさも思い出した。レンタルビデオで家族で見たトトロ、魔女の宅急便、ナウシカ。長いからと前編と後編の2日に分けて見たラピュタ。友達のお父さんに連れていってもらって映画館で見たもののけ姫。昔の作品を思い出させるシーンが散りばめられていたせいか、ジブリ映画を見た時のワクワクと家族との思い出が蘇って、懐かしい気持ちになった。

 最後にアオサギが、「だんだん忘れていく」みたいなことを言うんだけど、誰もが子供の頃の感覚を忘れていくってことなのかなと思った。

 そして何よりもこの映画は、母と子の物語だった。宮崎駿の母親への思いが切ないほどあふれた作品だった。

 ヒミと眞人が別れる時、「火事で死んじゃうけど、それでも戻るのか」と問うシーンがある。ヒミは迷わず「眞人を産めるなんて素敵じゃない」とかなんとか言って、元の世界に戻っていく。

 これは、母親を早くに亡くした宮崎駿が、母親に言ってもらいたかったセリフなんだろうなと思った。その人の人生がどんなに悲劇的で、どんなに短くても、一人でも愛する人に出会えたなら、その人生は生きる価値がある。自分は母親にとってそういう存在に値する。それを、誰でもない母親の口から聞きたかったんじゃないだろうか。

 作中に出てくる「君たちはどう生きるか」という児童書は、宮崎駿が古本屋で見つけて読んで、感動した作品らしい。そして、この本が自分の母親に贈ってもらえていたらどんなによかっただろうと妄想し、映画の中でそれを実現させたらしい。マザコン過ぎて切ない…。

 後日、パンフレットも買った。パンフレットの情報により、眞人の父親の勝一は37歳だと知る。わ… 若い。本当は夏子さんのキラキラの寝室や、お屋敷の絵がもう一度見たかったんだけど、そのカットは入ってなくて残念だった。でも、宮崎駿の着想時の覚書だけでも、読む価値はあると思う。あとはせめて声優の配役は知りたかった。どの声がどのおばあちゃんかを一致させたかった。

 母が「キムタクの声が嫌だった。なんか空っぽなんやもん」と言っていた。でも、その空っぽさがキムタクの声の良さだと思うし、あの映画でただ一人”部外者”で、何にも分かっていない父親を演じるには、あの声が適役だったと思う。母はどうやらキムタクが嫌いなようで、”特別出演 木村拓哉”と書かれたエンドクレジットを見て、「ヘタクソやけど特別に出してあげたってことちゃうかな?」と毒づいていた。

 米津玄師が4年かけて作ったという主題歌「地球儀」がまた良かった。インタビューによると、椅子がきしむような音は、ピアノのペダルを踏む時に椅子がきしんだ音で、うっかり入っちゃったんだけど、それがいい感じだったのでそのま採用したとのこと。冒頭のバグパイプの音は、エリザベス女王の国葬のときのバグパイプ奏者の演奏を聞いて取り入れたらしい。女王専属のバグパイプ奏者は、毎朝、女王のためだけにバグパイプを演奏するのが仕事。私も国葬で見たけど、あの厳かな演奏をきっかけにこのすばらしいイントロが決まったと知ってびっくりした。

 宮崎駿に初めてこの曲を聴かせたとき、監督は泣いたらしい。この映画のおかげで、私はすっかり米津玄師を好きになってしまった。今まで読み方も曖昧だったんやけど…。("げんし"じゃなくて、"けんし"なんですね)

 アメリカでは12月に上映が決まっていて、英語版のタイトルは「The Boy and the Heron」と、そのまんまらしい。邦題の持つ重苦しい雰囲気はゼロで、ちょっともったいない。予告編も公開されたので、事前情報なしで楽しめたのは日本の観客だけの特権だった。

↑ 予告編にも使われてるけど、冒頭の火事シーンのアニメーションやっぱすごい…。

 子供を生み、育て始めてもうすぐ2年。子育てをしていると、自分が子供のころの記憶を呼び起こされることがよくあって、この映画にも同じような作用があるから、この映画と出会うタイミングがよかったのかもしれない。数年ぶりに映画館で見た映画だったから、その感動もあるのもしれない。とにかく、私にとって忘れられない映画になった。

 この感覚を忘れずにいたいな。子供の時の驚きと喜びで世界を見る目を、いつまでも持ち続けていたいな。映画のラストシーンで、眞人が東京に帰る時、ポケットの石をそっと確かめるシーンがある。きっと彼はまだ忘れていない。私にとってはこの映画があの石ころみたい。忘れたくない感覚を、温かい思い出を、思い出させてくれる一作。






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