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内海選手に恋をして〜18年背中を追いかけた日々

私が小学3年生の頃、初めて恋をしたプロ野球選手、内海哲也選手が引退を発表されました。

幼い私は東京ドームでその背中を見ることが大好きで、フェンス近くまで行って一生懸命に名前を呼ぶと手を振ってくれたり、サインをくれたり、穏やかな関西弁で「今日絶対勝つわ」「応援してな」「また来てな」と言ってくれるところ。絶対に勝ってくれると信じ切れるほど夢中で応援してました。それまでどこか怖いと感じていた「プロ野球」でしたが、こんなに陽気で優しい選手がいるんだ、と知り、プロ野球に引き込まれた記憶があります。

大人になってからも変わらず大好きで、家族やチームを大切にするところだけでなく、子供達のための活動をずっと続けてきたこと。それは球場でも球場外でも。大人になってから知る格好良さに憧れを抱いてきました。


巨人から人的補償で西武へ行ってしまった時「心に穴が空く」という言葉の意味を知りました。26の背番号は今村投手の背中になり、今村選手を応援しながらもあの大きな背中を投影してしまうことが何度もありました。西武のピッチャーとして東京ドームでの予告先発が発表され、当日チケットを取りその姿を観に行きました。

変わらないフォーム、変わらないその背中をみて全身が喜びました。でも私が小さい頃に観ていた26は27へ代わりそして、私でも分かってしまうくらい球速はなくその試合は奇しくも、入れ替わりで西武から来た炭谷選手にホームランを打たれ。とにかくその姿を見て悔しかったです。

内海さんはこんなもんじゃない。
内海さんはまだまだ勝ってくれるもん。
次はジャイアンツ相手に勝つんだから。

そうファンに思わせてしまうほど私だけでなく、私達ファンの心を掴んで離さない。歳を重ねてみる内海投手は子供の頃に見ていた陽気な明るいお兄さんではなく、苦悩を重ね哀愁すらある頼れるおじさんに変わった気がします。それでも内海選手は内海選手。どんな時でも私の中心にいました。

そんな憧れで大好きでヒーローの引退は、今、なんと言葉にするのが正しいのか分かりません。分かりませんが涙が出ます。きっと、もっとその姿を観ていたかった、というのが一番ですが、でも小学生の私を振り返ると、あの時の嬉しかった気持ちが鮮明に思い出されるのです。本当に憧れの人だったな、と。本当に大好きだったな、と。そして今も大好きだな、と。


私は、内海選手のファンになってから巨人を好きになり、プロ野球を好きになりました。今生きがいとなるプロ野球のきっかけの内海選手はいつも格好良くて優しくて強くて、子供に夢をみさせてくれるヒーローです。本当に純粋な心で応援をしてきました。きっとそれは私だけではないはずです。沢山の人が内海選手を愛しています。

あれから18年が経ちます。色々考えると素直に「内海選手、今までお疲れ様」なんてとてもじゃないけど言えないです。

でも一つだけ確かなことは
内海選手のファンになれて幸せでした
今までたくさんの思い出をありがとうございました。

その言葉が何よりも真実です。そして、これからも私は内海選手のファンであり続けます。内海選手に恋をして18年。それはここで終わりではありません。これからも私は内海哲也に恋をし続けます。


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