自分史的なクリッピング史料

クリッピングを見ていると、まあなんと多様な興味や関心があったのだろうか?と思う。でも仕方がない。自分のその時の気持ちや興味で散財しているのだから。でも来年からは、少しテーマを絞って回顧して行きたい。
今日は、ほんの3日前の記事から。

2023年12月23日 朝日 台湾発 書房125年で幕
書店離れの波・・・最後は「派手に」

こうした記事を目にすることは多い。東京・中目黒の駅前にある小さな書店が年内で閉店するという記事。自宅の近くにも以前はモールに文教堂があったりして、結構便利で気に入っていたのにこの店もとっくに退店してしまい、今では駅前の本屋まで出向いて本を漁るしかない。

その本屋、「新高堂書店」は1895年に植民地統治下にあった台湾で現店主の高祖父に当たる人が開業。店名は標高3952メートルの台湾最高峰・新高山が由来だという。希望に満ちた命名だなぁと思う。その後、戦後の引き揚げもあって、大分、千葉、そして中目黒へと転々。その125年の歴史の重みもあるのに、電子書籍の進展、ネット販売、そして子供達のみならず隙間時間
を埋めるニーズはゲームなどに奪われている。

店主は「真綿で首を絞められるように、じわじわと売り上げが落ち、本が日常品ではなく嗜好品になってしまったのかもしれない」と所感を述べている。そうなんだろうな、「書店離れ」という波は結局なかなか止められない。だからこそここ数年は各書店主がブティック形態、カフェ複合型など工夫を凝らしてサバイバル競争に挑んでいる。一方で、7万冊を超える出版物があり書籍の海は潤沢。出版社からすれば Hit & Away で未だに臨んでいるのだろうか。2割の作品が当たればいいというニッパチの法則が適用されているのか? 確かに出口論で言えばネット環境はとても便利で魅力的だ。

リアルな読書環境の設定や場の設置など、その必要性を説く人も多くいる。でも店主の考察は響いた。抗う感覚は日常品に戻すことかもしれない。いくらでも嗜好的ショッピングが、数分、数秒でなされている現状を見れば、なに呑気なこと言ってるんだと叱られるかもしれない。タイパを理解していないと。でも活字を追いかけることも重要だと思うし、それは時間コストもかかるのは必然。今の風潮にはフィットしないことも理解してはいるけれども・・・・・。

店主は、「最後に閉めたときには、おそろしいほどの喪失感がわいてくると思います」と結んでいる。2010年2月から13年超も頑張ってきたという様子は何も本(書店)に限らず、色々な業種でゲーム・チェンジが起こるだろう。「温故知新」が全てという考えは説得力にかけるかもしれないけど、書店の衰退で失われるものをもっと身近の問題として具体化・可視化できないできないのだろうか?と思う。人々の外環状の生活拠点の一部としてその機能を発揮できるチャンスはないかなぁ?

本屋好きとしては、こうしたメディアで触れる悲しい実状に対して明確な解を持っている訳ではない。でも常に頭の中に入れておきたいと思わされる記事だ。でも改めて残念。

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