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クラシック音楽(8) リヒャルト・ワーグナー (1813-1883)

“クラシック音楽”を少しずつ知るマガジン


リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)

ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)

ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)(1813年 - 1883年)は、ドイツの作曲家、演出家、極論家、指揮者であり、主にオペラで知られています。多くのオペラ作曲家とは異なり、ワーグナーは、舞台作品の台本と音楽の両方を書きました。当初は、カール・マリア・フォン・ウェーバーやジャコモ・マイヤベーアのようなロマン派の作曲家として知られていましたが、ワーグナーは詩、映像、音楽、演劇を統合した「総合芸術」という概念によって、オペラに革命をもたらしました。1849年から1852年にかけて出版された一連のエッセイの中で、彼はこの構想を述べています。ワーグナーは、4つのオペラからなる『ニーベルングの指環』の前半で、この構想を最も完全に実現したと考えられています。


ロマン派音楽

ロマン派音楽(ロマンはおんがく)は、古典派音楽をロマン主義の精神によって発展させていった、ほぼ19世紀のヨーロッパを中心とする音楽。ロマン派音楽は、文学・美術・哲学のロマン主義運動と関連していますが、音楽以外の芸術分野でロマン主義が1780年代から1840年代まで続いたのに対し、音楽学で慣習的に使われている「ロマン主義の時代」は、それとは異なり、古典派音楽の時代と近代・現代音楽の間に挟み込まれています。従って、ロマン派音楽は、だいたい1800年代初頭から1900年代まで続いたとされています。

ワーグナーの代表作4つ

さまよえるオランダ人(1842年)

『さまよえるオランダ人』(ドイツ語: Der fliegende Holländer)。神罰によって、この世と煉獄の間を彷徨い続けているオランダ人の幽霊船があり、喜望峰近海で目撃されるという伝説(フライング・ダッチマン)を元にした、ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネの『フォン・シュナーベレヴォプスキー氏の回想記』(Aus den Memoiren des Herren von Schnabelewopski、1834年)にワーグナーが着想を得て再構成し、1842年に完成し、1843年に初演されました。

あらすじ

舞台はノルウェーのフィヨルドに面した港町。ダラントは、一時避難で自らの家のあるここに投錨します。すると遠くから、黒いマストに真紅の帆を立てた幽霊船が現れます。幽霊船の船長のオランダ人は「呪いを受け7年に一度上陸できるが、乙女の愛を受けなければ呪いは解かれず、死ぬことも許されずに永遠に海をさまよわなければならぬ」と嘆く。ダラントはオランダ人から財宝を渡され、娘ゼンタと引き会わすことを約束してしまう。ゼンタは、オランダ人と出会い、その不幸に心打たれ、救いたいと思う。ゼンタはオランダ人の肖像を見ては思いを募らすばかりである。しかし、ゼンタはエリックという青年に愛されている。ゼンタは父とオランダ人に説得され、オランダ人につき従うことを約束する。港町に再びオランダ人の幽霊船が現れる。オランダ人に会おうとするゼンタ。それを引き止めるエリック。オランダ人はエリックのゼンタへの愛を見て「裏切られた」と言い、帆をはり去っていく。ゼンタは自らの純愛を岩の上から叫び、貞節を証明するために海に身を投じる。ゼンタの純愛を得た幽霊船は呪いを解かれ、死を得て沈没する。そしてオランダ人とゼンタは浄化され昇天していく。

喜望峰

Cape of Good Hope。南アフリカ共和国、西ケープ州の南西端、南緯34度21分、東経18度29分にある岬。 アフリカ大陸最南端のアガラス(アグラス)岬の北西約160キロメートル、ケープ半島の南端、フォルス湾の西の出口に位置しています。

ハインリヒ・ハイネ

M・D・オッペンハイムによるハイネの肖像(1831年)

クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, 1797年12月13日 - 1856年2月17日)は、ドイツの作家、詩人、文芸評論家、エッセイスト、ジャーナリスト。デュッセルドルフのユダヤ人の家庭に生まれる。名門ゲッティンゲン大学卒業、法学士号取得。当初は商人、ついで法律家を目指したが、ボン大学でA・W・シュレーゲルの、ベルリン大学でヘーゲルの教えを受け作家として出発。『歌の本』などの抒情詩を初め、多くの旅行体験をもとにした紀行や文学評論、政治批評を執筆しました。1831年からはパリに移住して多数の芸術家と交流を持ち、若き日のマルクスとも親交があり、プロレタリア革命など共産主義思想の着想に多大な影響を与えています。文学史的には、ロマン派の流れに属していますが、政治的動乱の時代を経験したことから、批評精神に裏打ちされた風刺詩や時事詩も多く発表しています。平易な表現によって書かれたハイネの詩は、様々な作曲者から曲がつけられており、今日なお多くの人に親しまれています。

タンホイザー


Otto Knille画『タンホイザーとヴェーヌス』

『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』(Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg)は、全3幕で構成されるオペラ。一般的には『タンホイザー』(Tannhäuser)の題名で知られています。序曲、第2幕のエリザベートのアリア、「大行進曲」、第3幕のヴォルフラムのアリア「夕星の歌」は、独立してよく演奏されています。ワーグナーが、5番目に完成させたオペラで、ワーグナー作品目録では70番目(WWV.70)にあたります。前作『さまよえるオランダ人』の持つ番号形式を本作ではこれを脱却し、またワーグナー自身の言う「移行の技法」が随所に巧みに用いられていることが特徴です。舞台は13世紀初頭、テューリンゲンのヴァルトブルク城。

あらすじ

中世のドイツでは、吟遊詩人としてうたう習慣が騎士たちの中でもあった。騎士の1人であるタンホイザーは、テューリンゲンの領主の親族にあたるエリーザベトと清き愛で結ばれていたが、ふとしたことから官能の愛を望むようになり、愛欲の女神ヴェーヌスが棲んでいるという異界ヴェーヌスベルクに赴き、そこで肉欲の世界に溺れていた。ヴェーヌスベルクで快楽の日々を送っていたタンホイザーだったが、ある時夢の中で故郷を思い出し、ヴェーヌスベルクから離れようと決心する。ヴェーヌスは彼を引き止めようと誘惑するが、タンホイザーは強い意志によってそれを退け、ヴェーヌスベルクを消滅させる。異界から脱出したタンホイザーはヴァルトブルク城近くの谷に放り出される。そこに領主のヘルマンや親友のヴォルフラムらが通りかかる。ヴォルフラムもまたヴァルトブルク城の騎士である。領主やヴォルフラムは出奔していたタンホイザーが帰ってきたことを喜び、再びヴァルトブルク城に戻るよう勧めるが、官能の世界に溺れた罪の重さを思ったタンホイザーはそれを拒否する。しかしヴォルフラムはエリーザベトが彼の帰りをずっと待っていると説得し、タンホイザーはヴァルトブルクに帰ることを受け入れる。ヴォルフラムらと共にヴァルトブルク城へと戻ったタンホイザーは、エリーザベトと再会を果たし、お互いに喜び合う。その日はちょうど歌合戦が開かれる日(「歌の殿堂のアリア」、「大行進曲」)で、課題は「愛の本質について」。ヴォルフラムや他の騎士達が女性に対する奉仕的な愛を歌うのに対し、タンホイザーは自由な愛を主張して観衆の反感を買い、ついにはヴェーヌスを讃える歌を歌いだす(「ヴェーヌス讃歌」)。激怒した騎士たちはタンホイザーを諌め、エリーザベトは領主に彼の罪を悔い改めさせるように願う。我に返ったタンホイザーは自分のしたことを悔やむが、時すでに遅い。領主はタンホイザーを追放処分とし、ローマに巡礼に行き教皇の赦しが得られれば戻ってきてよいと言う。タンホイザーはローマ巡礼に加わりヴァルトブルク城を去っていく。ヴァルトブルク城近くの谷。タンホイザーが旅立ってから月日がたつ。エリーザベトは、タンホイザーが赦しを得て戻ってくるようにと毎日マリア像に祈り続けている。ちょうどローマから巡礼の団体が戻ってくる。エリーザベトはその中にタンホイザーの姿を探すが、彼はいない。ついにエリーザベトは自らの死をもってタンホイザーの赦しを得ようと決意する。見かねたヴォルフラムは説得を試みるが失敗し、彼女は去っていく。その場に一人残されたヴォルフラムの前に、ぼろぼろの風体のタンホイザーが現れる。ローマに行ってきたのかと尋ねるヴォルフラムに対し、彼は巡礼の顛末を語りだす。タンホイザーは幾多の苦難を乗り越えてようやくローマに到着し、教皇に赦しを乞うたのだという。しかし教皇は「罪はあまりにも重い」として彼を赦さず、「私の杖が二度と緑に芽吹くことがないのと同じく、お前は永遠に救済されない」と破門を宣告したのだという。絶望のあまり自暴自棄になったタンホイザーは、再びヴェーヌスベルクに戻ろうとしてさまよい、そうしてヴォルフラムに出会ったのだった。タンホイザーの呼びかけに応じてヴェーヌスベルクが現れ、ヴェーヌスが手招きする。ヴェーヌスへ引き寄せられていくタンホイザーをヴォルフラムは懸命に引きとめる。そこへエリーザベトの葬列が現れる。タンホイザーは我に帰り、異界は消滅する。エリーザベトが自分の命と引き換えにタンホイザーの赦しを神に乞うたことをヴォルフラムが話すと、タンホイザーはエリーザベトの亡骸に寄り添う形で息を引き取る。ちょうどそこへローマからの行列が緑に芽吹く教皇の杖を掲げて到着し、特赦が下りたことを知らせて幕が下りる。

ローエングリン

『ローエングリン』(独: Lohengrin)は、ローエングリンの伝説に基づき、10世紀前半のアントウェルペンを舞台とする。以降に作曲された楽劇(Musikdrama)に対し、ロマンティック・オペラと呼ばれる最後の作品。第1幕、第3幕への各前奏曲や『婚礼の合唱』(結婚行進曲)など、独立して演奏される曲も人気の高いものが多い。

あらすじ

アントウェルペンのスヘルデ河畔。ハインリヒ王がハンガリーとの戦いのために兵を募る。そこへフリードリヒが現れ、ブラバント公国の世継ぎゴットフリートが行方不明になり、ゴットフリートの姉エルザに弟殺しの疑いがあるとして王に訴える。王はエルザを呼び出し、釈明を促す。エルザは夢見心地の様子で、神に遣わされた騎士が自分の潔白を証明するために戦うと話す。王の伝令が騎士を呼び出す。すると白鳥が曳く小舟に乗って騎士が登場する。騎士は、自分がエルザの夫となり領地を守ること、自分の身元や名前を決して尋ねてはならないことを告げ、エルザはこれを承諾する。「神明裁判」によって、フリードリヒと騎士は決闘し、騎士が勝利するが、フリードリヒは命を助けられる。夜のアントウェルペン城内。庭の物陰で、フリードリヒは妻オルトルートに、決闘に敗れた自分が追放処分になること、エルザに弟殺しの罪を着せるようけしかけたのはオルトルートであることをもらして、悪態をつく。オルトルートは、騎士が決闘に勝ったのは魔法を使ったためであり、名前と素性を言えと迫られるか、あるいは体の一部でも切り取れば魔法が解けるという。フリードリヒは気を取り直し、2人は『復讐の二重唱』を歌う。
バルコニーに現れたエルザにオルトルートは嘆いて彼女の同情を誘い、さらに騎士への疑念を吹き込む。オルトルートはキリスト教以前の神々として、男神ヴォータン、女神フライア(のちに楽劇『ニーベルングの指環』にも登場する)の名を呼ぶ。夜が明けると王の伝令が現れ、フリードリヒがまがい物の力を用いて神前決闘を為したことを咎め、ブラバントから追放し、神聖ローマ帝国騎士の称号を剥奪することを宣言する。これにより、フリードリヒは、フリードリヒ・フォン・テルラムントからフリードリヒ・テルラムントになる。続けて王の伝令は、騎士がエルザと結婚してブラバントの守護者となることを告げる。4人の貴族が東方出征への不満をもらしているところへフリードリヒが現れ、企てを話す。婚礼の式のために礼拝堂へ向かうエルザ。『エルザの大聖堂への入場』の音楽。突然オルトルートが行列を阻んでエルザを罵り、素性の知れない騎士を非難する。ハインリヒ王と騎士がやってくるところ、フリードリヒも群衆に向かって騎士が魔法を使っていると告発し、名前と素性を明かせと迫り、エルザは動揺する。騎士はフリードリヒらをエルザから引き離し、「自分に答えを要求できるのはエルザただひとり」だと答える。エルザは騎士の戒めを守る事を高らかに宣言したため、騎士は「さあ!神の御前に赴こう。」と促し、2人は礼拝堂へと入っていく。その後姿を、一人恨めしそうに見つめるオルトルート。しかし気が萎えるどころか、ますます復讐の念を強める。禍々しい者の勝利を確信した如き、不気味な音楽が流れて、幕が降りる。


ニーベルングの指環

『ニーベルングの指環』(ドイツ語: "Der Ring des Nibelungen")は、ワーグナー35歳の1848年から61歳の1874年にかけて作曲されたオペラ。ラストから発表され、4部作完結まで26年。上演に約15時間を要する長大な作品であるので、少なくとも4日間をかけ、新演出を普通1曲しか出せない為、通して演奏することはあまりないが、ドイツのバイロイト祝祭劇場で毎年行われる音楽祭の際やヨーロッパのAクラスのオペラ・ハウスでは目玉作品としてよく上演される。当初は北欧神話の英雄であるシグルズの物語をモチーフとした『ジークフリートの死』として着想したが、次第に構想がふくらみ現在の形となった。

4日間の内訳は以下の通り
序夜 『ラインの黄金』(Das Rheingold):2時間40分
第1日 『ワルキューレ』(Die Walküre):3時間50分
第2日 『ジークフリート』(Siegfried):4時間
第3日 『神々の黄昏』(Götterdämmerung):4時間30分

あらすじは割愛。


参照



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