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《週末アート》 理想も誇張も嫌になった19世紀前半の“リアリズム”とは

《週末アート》マガジン

いつもはデザインについて書いていますが、週末はアートの話。noteは毎日午前7時に更新しています。


リアリズム(写実主義)

フアン・マヌエル・ブラネス、黄熱病のエピソード(1871)
By Obra de Juan Manuel Blanes (1830-1901) - Museo Nacional de Artes Visuales, Montevideo, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3813733

リアリズム(Realism)は、日本では「写実主義」と翻訳されることが多い、19世紀のヨーロッパの文学と美術で盛んになった芸術様式(運動)です。それまでの古典主義・ロマン主義の現実からかけ離れた理想的または非現実的な内容に対し、現実の人間と社会を直視し、主観を交えず客観的に描写しようとした姿勢です。

リアリズムは、文学と絵画の領域でみられ、それまでの古典主義が理想的な人間や社会を追究したり、ロマン主義が非現実的な幻想を追い求めて現実からかけ離れていったことに対しての反発として、現実の人間と社会を客観的に描くことで真実に迫ろうとするものでした。

背景

ヨーロッパにおけるこの時代は、フランス革命の激動からナポレオン帝政を経てのウィーン体制の反動期にありました。産業革命による市民生活の発展や大国間の利害関係の複雑化、資本家が台頭し、貴族たちの地位が低下していった時代です。1830年には、フランスで七月革命にが起こります。この革命により、1815年の王政復古で復活したブルボン朝は再び打倒されてしまいます。ウィーン体制というのは、ざっくりいうとナポレオン・ボナパルトによってしっちゃかめっちゃかになったヨーロッパを「昔の状態に戻して」安定させようとした体制です。この体制は、クリミア戦争(1853年-1856年)によって完全に崩壊しちゃいます。

ウジェーヌ・ドラクロワ氏が描いたフランス7月革命『民衆を導く自由』
ウジェーヌ・ドラクロワ - This page from 1st-art-gallery.com, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38989による


文学におけるリアリズム

文学においては、フランスでは19世紀前半がロマン主義の全盛期、19世紀後半が写実主義の時代と、ざっくりとした捉え方ができます。

スタンダール

スタンダール
オロフ・ヨハン・セーデルマルク - [1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=93969による

スタンダール氏(1783-1842)はロマン主義的な心情をもちながら、復古王政の時期のフランス社会を客観的な目で描いた『赤と黒』(1830)や『パルムの僧院』(1838)が写実主義的な作品です。

オノレ・ド・バルザック

1820年代中期に描かれたバルザックの肖像画
Achille Devéria (attributed) - Scanned from Graham Robb's biography Balzac., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2619194による

オノレ・ド・バルザック(1799-1850)は連作『人間喜劇』でフランス革命から二月革命までのさまざまな出来事を約2000人もの人物を登場させて綴った写実主義的な大作です。

ギュスターヴ・フローベール

ギュスターヴ・フローベール
ナダール - このファイルはガリカデジタル図書館から提供されており、デジタル識別子 btv1b100502719/f1の下に利用可能です。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22246による

ギュスターヴ・フローベール(1821-1880)の『ボヴァリー夫人』(1856)も写実主義文学の代表作。医者の妻が不倫の末に破滅するという内容のため、風俗を乱すものとして訴えられたこともまた話題となりました。

リアリズム画家たち

この時代、画家たちを支える(作品を購入したり、依頼したりする存在)パトロンが貴族から市民へと広がっていきました。

ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)

リアリスム(リアリズム)という名称を世に広めたのがクールベ氏。クールベ氏は1855年の万国博覧会の際、自分の提出した作品の多くが落選したことに憤慨して万博会場のすぐ前の通りに会場を借り「リアリスム」というタイトルの個展を開催しました。

画家のアトリエ(L'Atelier du peintre)
By Gustave Courbet - Unknown source, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=81748


オノレ・ドーミエ

三等客車(1862年頃)メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
オノレ・ドーミエ - ウィキメディア・コモンズはこのファイルをメトロポリタン美術館プロジェクトの一環として受贈しました。「画像ならびにデータ情報源に関するオープンアクセス方針」Image and Data Resources Open Access Policyをご参照ください。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30139434による

オノレ=ヴィクトラン・ドーミエ(Honoré-Victorin Daumier)(1808ー1879年)はフランスの画家。風刺版画家として知られるとともに、油彩画家としてもアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、フィンセント・ファン・ゴッホなど、後世の画家に影響を与えました。ドーミエ氏は、都市部で生活する労働者や庶民の生活に注目し、それを描写しました。七月王政時代に国王ルイ=フィリップをあからさまに風刺したために投獄される。40歳を過ぎた第二共和政のころから『三等列車』や『洗濯女』などの油絵を描き始めました。


まとめ

リアリズム(リアリスム)は、産業革命によって貴族から資本家を含めた市民へ力が分散・移行されつつある時代を背景としていますが、同時に労働者・庶民の過酷の生活を浮き彫りにしようとしたものでもありました。芸術はいつでも時代を反映するため、社会や政治との関わりがあります。リアリズムは、それまでの古典主義やロマン主義の現実離れした描写にうんざりした反動と、労働者たちが送る過酷な日々を問題した表現者たちが、現実を誇張せずにリアルに描こうとした芸術運動でした。


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参照


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