【手痛いしくじり】人脈は価値か? 否か?
今日も誰より価値ある1日を。
こんにちは、大鹿です。
noteを開いてくださって感謝です。
率直に教えて欲しいです。人脈とは価値だと思いますか?
私にとって人脈は、まごうことなく価値です。
このnoteでは価値を「他者に提供できる成功の度合い」と定義してきました。
これに照らし合わせると、人脈があることによって
1人ではできなかったことができるようになる
価値を提供できる他者を見つけやすくなる
後押しが得られてビジネスの成功確率が高まる
提供できる価値をかけ合わせてより立体的な価値にできる
自分では気づけなかった価値に気づくことができる
などなど、想像もできないステージへ自分を運んでくれることがあります。
現に、今の自分は多くの人との関わりの中で成り立ったものだと思っています。「1人でやってこられた」なんて口が裂けても言えない。
にもかかわらず、「運んでくれることがある」と意味深な書き方をした理由。それは、人脈には向き合い方があると今では思えるからです。
人脈は劇薬
人脈をつくろう。となれば、私たちみたいな起業した人間に一番身近なのは異業種交流会の活用です。
初めはね。私も「怪しいなあ」と思いました。現に怪しいものもあります。
参加者だけ集め、主催者はごっそり手数料を回収して「はい、あとはみなさんで交流してください。以上!」という呆気にとられるような交流会に出たこともあります。
規律もへったくれもないから、来ている人間みんな下心丸出し。「土地を売ってます」とか、「お客を紹介して欲しい」とかいった会話しか聞こえてこない。
そのときの私も、そんな下心丸出しな大人たちと同じだったわけだけれど。でも、嫌になった。
中には、「売った」「買った」を主目的としない、参加者同士が視野を広げあうための交流会もあります。私自身、関わりを持っています。自分にとってかけがえのない場所の1つ。
そこで考えるようになったのが、人脈への向き合い方でした。
人脈には、ベクトルが内に向いた「高めるための人脈」と、外に向いた「広げるための人脈」があると考えます。
私が大事にしているのは前者、「高める」のほう。
「広げる」を志向する人は、確かに広がるスピードも速ければ規模も大きいです。だから一見、人脈を獲得したようになる。
しかし、それは一時効能が現れる劇薬みたいなものです。広げたら広げっぱなし。高まり高め合うことがないように私には思えるのです。
貢献という名のウソ
ある時、同郷の知人から、全国組織の交流会を私の地元・香川に持ってきたいという話をいただき、立ち上げに協力しました。
主催者は(形上)私。となれば、目が行き届く限り、私が好まない「ただお客を紹介しあう」交流会にはならないだろうと考えていました。
事実、組織の規律には「紹介が主目的」とは書かれていませんでした。
まァ、わざわざこんな話をするくらいだから、実態は違っていたというのは想像がつくと思いますが。
そう。ゴリゴリの紹介・仲介を目的としたプラットフォームだったのです。
会の中で呪文のように飛び交う貢献!貢献!貢献!という言葉。貢献とは他者に尽くすこと。(実態→他者に尽くすとは、お客やアライアンス先を紹介すること)
その会には、貢献という耳なじみのいい言葉のもと、ただただ人脈を欲しがる人間だけが集まっていきました。
私も立場は主催者です。共同で立ち上げた知人に
「自分はこういう形は望まない」
と伝えましたが、「“こういう”がどういう意味か分からないが、こういう組織だから」と手のひらを返される始末。
なぜか、明らかに会のキャパシティに見合わない会場誘致を求められ、2万も3万もする費用を私だけが持ち出すハメになりました。交流の様子をFacebookに上げ、どんどん賑わいを見せろ、だのも。
賑わいって何? 私に作り笑いをしながら、実態とは違う賑わいを演出しろってこと?
毎月その会が近づくのが嫌になり、たまたま外せない出張ができて参加できないときは
「主催者が出ないなんてありえない」
とまで言われました。なおも会場費だけは請求されました。散々。形だけの主催者として利用されていたことが分かりました。
結局私は、回収できなかったお金は諦め、その会から去ることにしました。
当初、良かれと思って誘った友人たちにも平謝りし、事情を話して退会を促して。本当に申し訳ないことをしました。
ちなみにその会の参加者が、商売が発展したという話は耳にしません。今もFacebookで賑わい“だけ”は目にしますが。
真逆で不可逆
思い出したくもない話ですが教訓として書きました。
当時の自分を叱るように書きます。私には卑しい気持ちがあったのだと思います。
どこかで、「人脈さえ増えれば仕事がもっと広がるんだ」と考えていました。
今ではそれが真逆であると断言できます。
自分には自分のレベルに見合った人が集まります。背伸びをしても、自分が成功を提供できるレベルの人しか、集まりっこない。
だから当時の卑しい私には卑しいレベルの人間しか寄ってこなかった。
実体験として言わせてください。
自分の価値を高めないことには、いつまで経ってもレベルの高い人間と付き合うことはできません。自分と見合っていないから。
人脈の向き合い方には2種類あるという、私の考えをお伝えしました。
「高める人脈」と「広げる人脈」。
世の中はうまく均衡法則が働いていて、高まれば自然と広がるようです。気持ちよく良い働きをする人間は紹介したくなる。あなたも経験があるかもしれません。
しかし、人脈を広げて高まるということは決してない。不可逆です。
網で漁をするときみたいに、魚の大群の中に活きの良いのが3匹だけいた、とはならないのです。
価値かムダか
人脈は向き合い方によって価値にもムダにもなり得ます。
私の感情がどうしても強くこもってしまうことを許してください。人脈のムダはお金のムダ、時間のムダ。時にはそれまで築いてきた大切な人間関係さえ傷つけてしまいます。
人脈を得ようとすればするほど重荷が増えていきます。
それよりも、自分の能力をコツコツ磨き、価値を高めること。
今、私はスッキリしています。
人脈の数は決して多くはありません。(数字で考えるものでもないと思っています)
でも質は良いと自信を持って言えます。
ずっと憧れていた人と一緒に仕事ができるようになりました。自分よりずっと能力の高い人が、私に価値を感じてくれてかけがえのない結びつきが生まれました。
回りまわってようやく得られたからこそ、人脈の価値が分かります。
繰り返しますね。
あなたの価値が高まれば、本当に大切な人脈は増えます。ゆっくりとでも。
今日はこの辺で筆を止めておきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?