見出し画像

こもるねつ

何もしなくとも手の内に熱がこもりそれがやがて水蒸気を発し結果汗ばみいづれ手の形の陰を残す。面白いので手のひらをティッシュに合わせてみる。すると綺麗に手のひらの形に影は映り、また縁取る・・がひらりとはかなく散る散る。それがまるで薄い皮膚のように見えたので、もう1枚試すことにした。手のひらに嵩む神秘な真皮。

ぷはっ
思わぬ発作から漏れた唾が付着してちぎれた。
そんな夏日に上機嫌の鹿田です、よろしくね!

勿論汗ばむは手のひらのみに留まらず、厄介なのは靴下やら靴を履いて常におおわれ蒸れている足の方である。詳細は想像にお任せするのが、夏の想像は迂闊に膨らむ・・・・・・のでご用心あれ。

てなわけでハンカチを隣に置き汗をふきふき紡ぐ夏の鹿田の有頂天たるひと記事である。なにをせずともわらけてくる錬金術師もびっくりの永久笑い袋であるのだが、執筆欲を満たしたならなお比例的に幸福の器も満たされていく。
実のところ5月の初めころから浅き器は既に溢れていたのだが、『夏宇宙!』たる言わば無限の懐が、盛りこぼしのますとなって永遠に滴る幸福を受け入れる手はずになっているので問題ない。
今頃月のやつはその無限升にストローを一刺しし、心地よく寄っているに違いない。
そしていずれそれを一飲みにするはずの僕は…  にやっ

と、想像するだけで頭山のパラドックスを思い出してご機嫌な思考に耽ることさえできる。

夏において無意味なものなど何一つない。
すべてが妄想へと変わり、悦楽へと達する。
それはツァラトゥストラ語るところの超人に、勝るとも劣らない。

そう羽を広げて走り回れば飛べそうな勢いの今夏の僕であるが、ひとつ知りたくなかったニュースを耳にして、いまいち気持ちよく羽を動かせない。

今日立ち寄った公園ではクマバチが10匹近く大きな音を立て飛んでいて、

(あんな丸っとした図体にちょこっと芽生えた程度の羽で飛べるのだから人間だって団扇2枚で飛べそうなものなのに…)

と不可思議に首をかしげたが、もちろん空気の粘度がどうのこうのは知っているが、ならば人間だってちょっと強化した団扇2枚で”浮く”くらいはできそうなものである。

けれど団扇で大地を扇ごうがこうしてやはり飛べないのは、カメムシの大量発生(平年の30倍!?)というニュースなんかにいちいち気を落としてしまう、頭でっかちな人間のたちのせいなのだろうか?
もしそこらへんが吹っ切れたら常に100%まで達しないよう抑制しているという心身のリミッターを解除し、超越的力によって数秒なら”浮く”ことが可能になるのだろうか。

なんて考えていたが高台の公園の夏風がとても心地よくて、サビたベンチに寝転んであとは野となれ山となれと思考を放り投げた僕である。
まあ、野も山も迷惑だろうが言い返せないので問題ない。

眼下には時折一両編成のワンマン列車がとおり、それを水を張った5月の田んぼが映す。遠くの山陰から白い雲がながれ、鳥が透き通った声で鳴く。温さを含んだ爽快な薫風も吹き抜けるが、その耳元でブーブーブーブークマバチが飛び交う。
花の蜜にしか興味がないクマバチたちは、僕の存在なんて無視するから時々ぶつかりそうなほど近辺を飛ぶ。クマバチの縮尺をはかり、対比した大きさの団扇を買う。団扇には、何を縫って補強するか考える。
蝋はだめだ、蝋は。
愚者のシカロスは、妄想で固めた団扇2つ、両手に持って飛び立った。

初夏の景色に見とれることもまた危うい。気づけばあたりは夜でアマガエルの鳴き声がその静寂を優しく打ち消す。こもるとまでは言わないがまだ居残るほとぼりは確かにこの部屋にも存在し、そしてまたこの手のうちにも熱りは冷めず確かに在する。そんな夏影のようにくっきり主張する存在は心強く、しかし時に”夏の夜”という永久の袋小路を魅せて、僕はその思うがまま迷い込みたどり着くはずのない”いつかの夏”の幻に溺れることを楽しんだりするのだ。

しかし夏の温かい手はふいに、その夢想の合間に顔を覆えば心地よき熱を与え、そして本物の夢へと誘うのである。

油断大敵、後の祭り。
ではまた

グッナイ。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?