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鹿田が詩をつくる時することについて語ること

と言いつつ実は積読なのである。僕は海辺のカフカがピークでアフターダークも一応読んだが騎士団長殺しははじめて積読にしてしまった。けれど必ず春には風の歌を聴けは読むからね。許しておくれ。

鹿田です、よろしくね。

さてふざけたタイトルに反し鹿田は今日本気である。なんなら自分の深層心理を知るきっかけになるかもしれないと期待もしている。そしてまた本日はなんと実験的noteである、ただ充電の残量の少なさが少しばかり不安であるがいつもの通り浮かれスキップで突っ走っていこうと思っている次第である。

では本題。鹿田は詩をつくる時どんな風につくっているか。まずはいつ(when)についてだがこれは以前も書いた通り書きたいときに書いている。仕事の合間、もしくは酔っぱらって楽しくなった時(最近は少ない)

(where)なのでどこで、に対してもどこでもである。日中なら休憩中の公用車の車内で、酔った時なら飲みの帰り(残念ながらここ1,2年はないね)もしくは自宅だ。そしてほとんどはスマホのアプリを利用し縦書きでかいている。今日はパソコンなのでそのまま書いてみようと思っている。

では早速実践だ。今はまだどんな詩をつくろうかなんてさっぱり浮かんでいない。まず最初の言葉を探す。自分にとって心地のいい言葉だ。それはだいたい後から見るとほとんどが韻を踏んでいるので僕の場合「言葉きっかけの音楽先行型」と言ったところになるだろう。さてでは始める。

まどろむ夜に

まどろんでいるのである。風呂を上がりこたつに入りながらキーボードを打っている訳で。さあ続けよう。

まどろむ夜に うつつを澄ますほとり

よくわからない言葉が入ってきた(勿論単体では普段活用する単語だが)。そう、鹿田は造語も結構気楽に使ってしまう。だって巷にのざばる言葉だけですべてを表現できてしまうなら僕は詩なんて書かなくていいんだからね。少年時代の歌詞に出てくる「風あざみ」ってとても心地いい言葉ではないか。目を閉じれば聴いた人ひとりひとりにとって心地の良い風を想像するはずだ。言葉ってものはもっと自由にとらえていい、この言葉との出会いは大きかったな。続けよう。

まどろむ夜に うつつを澄ますほとり

誰かの願い事は風に乗って月に向かうよ

僕はこの詩を書きながら口では音楽をつけて口ずさんでいる。心地よい言葉の流れや韻は僕の場合そんな風にして紡ぐ。そして自分が心地よければよいほど自然な言葉が生まれてくる。しかし今回は初の試みとあって少しぎこちなさを感じている。ま、しかたないしかたない。

まどろむ夜に うつつを澄ますほとり

誰かの願い事は風に乗って月に向かうよ

知らないことの続きさえ つま先深く歩きださなけりゃ

高く指をさして 触れた夜露の感触を

一人歩きだす今夜に

大体これでひとまとめかな。解説はこのまない。それぞれが何か感じてくれるのがうれしいからね。まあでも今回は目的が目的なので仕方ない。僕が一つ考えていることは多分こんなこと文章にしてしまえば一文二文なのだ。では詩とはなにか。もちろん僕の考える詩とはなにかだけれど、それはどれだけ自分の心の情景をストレートに描写するか、だと思っている。人に読んでもらいやすい様に、とかは全然考えずに感情の針のぶれるところを見つけたら大きく大きく揺らす。だから僕は詩を書きながら鼻頭をツンっとさせたりもしてしまう。

まどろむ夜に うつつを澄ますほとり

誰かの願い事は風に乗って月に向かうよ

知らないことの続きさえ つま先深く歩きださなけりゃ


高く指をさして 触れた夜露の感触を

一人歩きだす今夜に

足跡が響く 夜の静寂を超えて

足跡が続くこの道にいつかまたたどり着けるのなら

あとは、矛盾なんて糞くらえである。生の心には時に一分一秒にさえブレる。優柔不断な僕はなおさらだ。それすら詩にしてしまう。というか、実際詩を書いている最中は誤字や矛盾なんていちいち考えていないからね。ずっとダッシュしているようなもんだから。途中で止まったらリズムは狂うし、きっと思考回路も寸断されて思っていたことがブレる。だからぼくは止まらずかけ!へたくそな詩なんてない、っていいたい。

そしてたくさんの詩人が増えて夏の詩がネット上にあふれれば僕は真っ暗な部屋でパソコンの明かりだけつけてにやにや笑って妄想にふけるだろうよ。


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