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自由を追い求めたあなたへ

私が父と絶縁したのは今から約6年前。
それ以来一度も会っていません。

そしてそんな父が好きで私が小さい頃から車の中でよく流れていた尾崎豊の曲。彼がすでに亡くなっていた人だということも知ったのはもう少し大きくなってからでした。

つい先日、梅田の大丸にある尾崎豊展に行ってきました。

父のようになりたくないと反面教師で生きてきたのに、こういうとこで好きなものが受け継がれるのはやはり血は争えないなと感じざるを得ませんでした。

尾崎豊がなくなったのは26歳。
そして今の私は25歳。彼が何を感じ、何を思って生きていたのか。見れば見るほどに彼の劇的な人生に驚かずにはいられませんでした。

彼の父は防衛省で働いているというところからまず驚きました。決して貧乏な育ちではなく、高校は青山学院高等部に進みます。そこから高校を中退し音楽の道に進み、自由を歌い若者の代弁者としての地位を築きます。

17歳でデビューしてからは飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を博し、19歳には全国各地でライブをするようになります。
わずか2年で環境が全て変わり、バブル経済に押し上げられるように神輿は尾崎豊という虚構を担ぎ上げます。

自由と愛を求めて歌った彼が活躍すればするほど彼自身に自由はなくなり、愛を求める時間もなくなる。これほど皮肉なものはないなと私は感じました。

"信じられぬ大人との争いのなかで
許しあい一体なにわかり合えただろう
うんざりしながら、それでも過ごした
ひとつだけわかってたこと
この支配からの卒業"

支配から逃げたくて、歌い続けた尾崎豊。
そして若者から共感と称賛を浴びた彼に待ち受けていたのは、そんな信じられない大人たちからの数々の要求。
そんないつまでも支配からの逃げられないからこそ彼の歌う原動力、エネルギーはなくならなかったのかもしれない。

でもそれとは裏腹に悩み、繊細になる一面。
何かから逃げたくて、薬にも頼ってしまう。

やがて結婚し、子供が出来た彼は自分で会社も作り、息子のためと未来を語るようになっていきます。

一眼レフカメラを買い、ジャケット撮影でカメラマンに撮り方を聞いたり、休みの日には家族で遊園地に行って息子とのツーショットを撮ったりと1人の人間としての彼が垣間見えました。

歌詞の内容が変わったと鮮明にわかったのもこの頃からでした。

恋人に愛を与え、与えられる2人の愛から、息子に与える自分の愛。無償の愛。

そんな無償の愛を与えることに喜びを感じていて少ししたときに、無償の愛を1番くれた母親が亡くなります。

このときの心境を書いたファンクラブの会報誌を見たときは少し泣いてしまいました。

そこには1人の青年でもなく、父としての姿でもなく、尾崎豊本人の子供としての姿がはっきりと見えました。彼の語る言葉にはいつだって嘘はありませんでした。心は弱ってる。でも母に言われた「みんなの前でメソメソ泣くんじゃないよ」を守る姿は言いつけを守る子供そのものでした。

そして母の死から数ヶ月後に尾崎豊本人も亡くなります。

彼のお葬式には大雨にも関わらず、約3万5000人もの数が参列したそうです。そのなかには往年のスター、美空ひばりや石原裕次郎もおりその存在感の凄さがわかります。

亡くなってもなお語り継がれる歌の数々。
その繊細な歌詞は今の時代でも、いや今の時代だからこそ響くものもあります。

そもそも尾崎豊を知ったのは今もう会うことのない父から。
そしてこの尾崎豊という存在がある限り、私はどこかで父との縁は残り続けるのかもしれません。
ありがとう、お父さん。

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