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作曲のきっかけ、その6

作曲の勉強はいつどこでするものか?
一般的には音大でしょうか?
でも、私のマドリード王立音楽院では副科の先生が少し課題をくれた
だけで、そのまま一曲書いて終わってしまっていました。
それから自分で本格的に曲を書くまで15年ぐらいかかりました。

その結論から言うと、自分の勉強したい事が見つかった時です。
例えば作曲をしていて自分の作品に問題点が見つかったとします。
凝っているつもりでも、ワンパターンになって来たリ、和音の響きを凝りすぎて出来損ないの印象派の様になってきたりと、その時のフェーズでかなり
次元も問題点も異なるのです。

で、どうするか?その時には実際は何もしません。
というか何をしたらよいのか分かりません(笑)
しかし、その自分の問題点を頭の中にしっかりと刻んでいながら、普通の日常を過ごすことを心がけるのです。
すると、その問題点さえ忘れなければ、意外なところからきっかけがやって来ます。

私は昔からキース・ジャレットというジャズピアニストが大好きで彼のCDを集めて聞いていました。全て即興演奏で同じ曲は一切弾かず、バッハのような曲も即興で弾いてしまうのですが、とにかく出てくる音楽は才能の塊。

クラシックでもないので、その頃はアナリーゼも出来ないのですし、一応彼のケルンコンサートの楽譜を買ったりして、本当に眺めるだけでした。

ところがある日、クラシックの教会モード(いわゆる旋法の)の本を読んでいたら、ふと「あれ!こらはジャズ理論から入った方が面白いのでは?」と興味を持ち、その筋のバイブル的な本も買ってきましたが、残念なことにちんぷんかんぷんで理解できません。

でも、その先に先ほどから書いた自分の問題点につながる何かがあるような気がして、まずは今風にyoutubeでジャズ理論を学びました。
クラシックの音楽史で習ったドリア、フリギア、リディア、ミクソリディアなどの構造は知っていましたが、使い方とコードトーンの関係性を知ると
興味津々になり、毎日むさぼる用にジャズ理論を頭に叩き込みました。

自分でもおかしいのは、仕事でジャズやアドリブを弾くわけでは無いのですから、こんな事にはまっていて大丈夫なのか?とも考えました。
でも、ついに半年ぐらいで車で移動中に聴いているキースのアドリブの
モードの色が分かるようになって来ました。
このドミナントでオルタード・スケールが来る!というようなジャズ的な喜びが体感できたのです。

でもこの時点では、まだ自身の作曲には直接つながりません。

今度は裏コードというものを覚えていた時の話ですが、やはりドミナントのコードが急にお洒落になるので「かっこいいなぁ~!」と覚えて5度圏と一緒に覚えたとたんに、頭の中で「あれ!これは、もしかして印象派の作曲家が好きなコード展開に似てるな!」「そういえばスペイン音楽もモードが沢山使われているし、ファリャの大好きなフレーズも不思議にジャズには聴こえませんが、ジャズのオルタード・スケールっぽいところが良くある。という事は、これは、、、」とやっと頭の中でクラシック音楽と繋がるのです。

こうなると、もう我慢が出来ません。
昔から興味を持ち、入手したことが無い食材が何種類も並んでいる前で、早く料理をしたい、という気持ちと同じで、
この技法で自分の曲を書いて見たい!という感情になるのです。

ここまでのプロセスが私にとってはとても大事で、大谷翔平さんではないですが、偉大な作曲家にあこがれてしまうと、どうしても模倣的になってしまいます。(勿論、それも大切な勉強です)しかし、自分なりに咀嚼した技法と素晴らしい先人の作曲家たちとの音楽的なつながりが見つかると、そこから自分のアイディアで新しいものが書ける気がするのです。
あくまで自分の経験談ですが、このパターンでまだまだ書き続けられる
自信にはなっています。

何故なら、この世界にはまだ素晴らしい音楽の要素が星の数ほどありますので、そこから無数の刺激と、この音楽はどうなっているんだ?という興味が無くならなければ、同じプロセスで書き続けられて、自分の作品も良くなると信じています。

続く


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