気づけば平成を生きていた

私は28歳が自分の寿命だと思っていた。

理由はいろいろあって、14歳のとき学校が楽しくて勉強も滅茶苦茶できてテストで良い点を採りまくっていて、今が人生のピークならきっとあとは折り返すだけだと思って28歳で終わると思っていた。

大学生のとき大学生向けの安い食堂を開いているおばちゃんが手相が見れるらしい、と聞いて物見遊山に行ってみた。そしたら25歳辺りで生死をさ迷うと言われた。14歳のとき思った自分の終わりは28歳という思想はずっと持っていたので妥当だな、と思った。

ところがどっこい。28歳を気づけば超えていた。

子供の頃は確かに死を恐れていたのに、いつの間にか死を望み焦がれるようになっていた。なのにまだ私は生きている。

14歳のとき、学校生活は楽しかったが家庭内は荒れていた。

私が反抗期だったとかではなく(むしろ私には反抗期らしい反抗期は今までの人生で見当たらない)、夫婦喧嘩が絶えなくていよいよ離婚か、という状況だったのである。

両親の怒鳴り合いの声が毎晩夜遅くまで響き、妹の布団の中でひそかにすすり泣く音が聞こえ、私は布団から出て二人を止めたいと思いながらも体が動かず、ぐらぐらと葛藤していた。けれどいつしか呆れに変わり、またかよ寝不足なんだよ勘弁してくれよ、と思うようになっていって、妹も慣れてしまい泣く声は無くなり怒鳴り声の響く中眠るようになっていった。

そんな生活は両親の別居という形で終わりを迎えた。私と妹は母についていきアパート暮らしを始めた。

このときの記憶は曖昧だ。というより、すっぽりと抜け落ちている。

父親が小さな頃からずっと苦手で、ついていくなら母がいいと思いながらも私と妹は父に引き取られることになっていたのだ。最初は。けれど気づいたら母と暮らすことになっていた。何がどうなってそうなったのか、アパートへの引っ越しのとき荷造りなど当然したはずなのだが一片たりともその記憶はない。

そこから始まった母と妹と私の三人での生活は楽しいものだった。

父の存在が大きく私達の生活に影を落としていたのだ。別に虐待もDVもない。けれど今思い返せばネグレクト気味であった、と思う。大人になってから父をよくよく観察してみるととかく不器用な人で、子供への接し方がわからなかったのだろうな、と思うが、だからといって子供の頃から抱いている父への苦手意識が氷解するわけでもない。ただ苦手で何を考えているかわからなくて怖くて、父がいると家は静かだった。父がいないと、和気藹々としていた。

だから14歳の途中から、家庭での生活も楽しいものになった。

余計、28歳で死ぬだろうという思いは強くなった。

けれど死ななかった。

25か26歳のとき、卵巣出血で入院することになった。ああ、死が近づいているのかな、なんて思っていた。

実際それは大したことはなくて、止血剤を投与され一日入院するだけで治ってしまったのだが、その辺りから体調不良が徐々に悪化していき、原因不明の不定愁訴ばかりになっていき、そして鬱を発症したのであーそろそろか、と死期が到来するとばかり思っていた。

その夫婦喧嘩のあった頃から楽しくはありつつも死ねるなら死にたいと思っていたこともあって(14歳以前にはいじめなどもあったので)、鬱でご飯を食べられなくなったときはこのまま栄養失調で、とか、なかなか消えない希死念慮を抱いていたときはふとした瞬間に自殺して、とかあるんじゃないかと思っていた。

けれど結局、まだ生きている。

薬のおかげでご飯は食べられるようになって、自殺企図は痛いのも苦しいのも嫌だから楽な方法を探そうと調べたらそういった自殺方法は見つからなかったから。

だから今、生きている。

だから不思議でしょうがない。まだ自分が生きているのが不思議でしょうがない。まさか生きているうちに平成が終わり令和という新たな時代を迎えることになろうとは。元号の変わる瞬間を、しかもしばらくぶりの天皇逝去ではなく生前退位というとても珍しい儀式を目の当たりにするとは。

死にたいと積極的に思うことはなくなったものの、それはいつ死んでもいいという思いに変わっただけだ。いつそう変化したのか定かではない。ただいつからか、不幸な出来事に直面したらあー不幸だ死にたい、と思い。幸せな出来事を迎えることができたらこの幸せのうちに死にたい、と思うようになり、人生一度きり、死後の世界も幽霊になる保証もない、ならば好きなことをして生きようと考えだしてから、いつ死んでもいいや、と思うようになった。

それは特に不幸なことではなくて、「生きなければ」という重しが外れた感覚で、そこから凄く気持ちが楽になった。いいじゃんどうせ死ぬんだし。そう思って生きるのは、私には合っている。いつ死ぬかわからないなら悔いの無いよう生きよう。楽しい事をしよう。欲しいものを買おう。宵越しの金は持たず全力で日々を生きよう。この「生きよう」は必死なわけでなくて、イコール「楽しもう」という意味だ。それから私は生きるのが、とても楽になった。

きっと人によってはそんな生き方ダメだと言うだろう。でも私が日々を生きるには死という存在の気配が必要不可欠なのだ。

自分が楽しければ、それでいいのだ。

悩んでいる人みんなみんな、楽に生きられるような考えを、思いを、環境を、持てるようになればいいな、と願っている。

サポートは新たな知識を得るための本代として使わせて頂きます。"こんな記事が読みたい"というリクエストありましたらツイッターまで!!