見出し画像

私も仕事をしたい。

私の「仕事」って何だろう。ずっとそれを考えている。

考えながら、最近習っている自然療法の一つ、靈氣の講習を受けてきた。前の記事でも少し触れたけれど、靈氣の五戒にある「業(ぎょう)にはげめ」の”業”の考え方がとても好き。ここでいう「業」って「仕事」のこと。仕事といってもイコールビジネスではなく。家事でもお世話でも趣味でもnoteでも客商売でも全ての行動の中で、何かしら「為すべきこと」をしているというニュアンス。

為すべきことができるということ。それって実はとても幸せなことなんだと思う。靈氣創始者の臼井先生が達した境地の「安心立命」という言葉も、すっと心に入ってきた。安心立命とは、どんな時でも心穏やかに為すべきことをできる状態、というような意味らしい。それって...控えめに言って、最高だなと思った。

(この控えめ表現って、比較的新しいわりに、この謙虚さは日本語文化ならではで面白いね)

私は毎日、noteや家事や家庭内の靈氣に励んではいて、これも立派に業ではあって、立派に生きているとは思う。しかし、やっぱりお金にならないという点では、困る。今は臨時収入で生きているけど、今の私は所謂アンケートに書く職業欄としては無職と言っていい。収支のサイクルを健康的に回すにはどうしたらいいんだろう。

五戒的には、怒らず、心配せず、感謝して、業を励んで、人に親切にしていれば、生活は回るはず。特に立証のあてがあるわけではないけど、直感的に、まさにそうだろうと私も思うし、そうであってほしい。

変に力まないでも、私の日常から業がなにやら始まって、なんとか生活が成り立ってくれないものだろうか。業、業、私の業... と、業で頭がいっぱいになってくるが、悩んでも仕方なし。近所の公園に行って、猫、林、人々、鴨、古民家、それらを通り過ぎ、ふれあいながら、散歩などしたり。せっかくなので発靈すべく、ゆるく手を合わせてぼーっとしばらく歩いていた(手と手の間で靈気が勝手に流れてなんだか良い感じになる。※)

こうしていたら何か閃くかもしれないという下心はあったものの、結局、気持ちは穏やかになってよかったものの...閃きなどは特に何もなかった。



その後、パートナーのプリン氏と話していると、私は先週あたりに良い仕事を思いついていたらしい。らしい、というか、私もはっきり覚えていた。自分を活かした面白そうな内容。たしかに私はそれを生業の一つにしようとしていた。何かで行き詰って、ここから先は直近の靈氣講習を受けてから考えることにし、今は忘れよう。なぜか、そう思ったのだ。

無事に講習は終わった。(まだ続きはあるが、一旦の区切りとして)

終わって、さてどうしようというところで、また私は白紙に戻ってしまっていたようだった。どういうことなんだろう。おかしい。ループしている。

なぜ「私は業がわからない。まあ、もう少し様子を見るか…読みそびれた本など読んだりして。」なんて思っていたのだろう。


プリン氏曰く「自分で”これだけはやりたくない”と避けていることにヒントがあるんじゃないかなあ。私も、そうだったし。」なるほど。「他の人のサポートじゃなく、自分がフロントに立つってことがやっぱりハードルなのでは」なるほど。たしかに。思い当たる節はある。私がやろうとしている仕事は、私がフロントに立つもので(個人事業なので当たり前である)、これはいいと思いながらも反応ゼロだったらどうしようという自信のなさがある。

私はフロントに立ちたい立ちたいと思い続けているのに、もう一人の私が立たせまいと引き摺り下ろしているのかもしれない。どちらが本当の自分なのかは分かりようもないのでどちらでもいいけど、今の私はとにかく業に励みたい。業に励んで、かつ、お金も回って生活できるようになりたい。


***

そういうわけで、私の脳内で考えている業(仕事)を見える形にして、noteの「仕事依頼」の記事も改めて書いていこうと思います。

自信がない私もいながらも、これは本当に良いと思っている私もまた確かに存在しているという矛盾の中...まずはとにかく形にしてみます。

いつも見守っていただきありがとうございます。

また遊びにきてもらえたら嬉しいです。



▼参考図書(文中の散歩中のぼーっと発靈について、詳しくはこちら)



誰でも「スキ(♡)」できます。「読んだよ」って軽い気持ちで押してくれたら嬉しいです^^ サポートはnoteを書くカフェ代に使わせていただきます。ありがとうございます。