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まほろばに星の降る夜

 遺言信託を提案するために顧客の家を訪ねた。庭先の楓が色づいている。
 門の前でコートを脱ぎ、腕にかける。時計の秒針をみながら約束の時間ピッタリに、インターホンを押した。
 私が男性と一緒に訪問したものだから、出迎えてくれた西村様に「夫婦で来はったんやな」と、茶化された。西村様は、セクハラに近い冗談をよく言う。八十二歳の男性で、一回り下の配偶者がいる。『子なし夫婦』だった。西村様は八人兄妹で、そのうち半分は亡くなっており、甥や姪に相続権が代襲されていた。相続の時は、関係が薄い相手ほど権利を主張してくる。兄妹には遺留分がないとしても、伴侶を失った悲しみの中、お金に関する話し合いを繰り返すのは精神的にも負担が大きい。絶対に遺言が必要な先なので、旗艦支店のファイナンシャルプランナーに帯同してもらっていた。
 築百年近い町家は、京都らしく『鰻の寝床』になっていて、中庭がある。数年前にリフォームされ、中庭の見える場所がリビングダイニングになっていた。床暖房も完備されている。部屋は、心地よく暖められていた。
 挨拶の後、応接セットで向かい合った。
FPの伊藤さんが自己紹介のあと、「一般的には『ゆいごん』と読みますが、法律上は『いごん』と読みます」と、言った。伊藤さんの決めぜりふだ。
 同席する度、感じる。伊藤さんは相続を扱うのに適した容姿と声をしている。柔和でか細く押し付けがましさが一切無い。業務の中でも相続関連はデリケートだ。
 入行から三年目、私には行内FPになるという目標があった。伊藤さんは話の流れがスムーズで、勉強になる。真剣に耳を傾けていた。
 今から本題に入るという時に、私の営業鞄の中で、スマートフォンが震え始めた。日経新聞社の速報メールかもしれないと思ったが、止まらない。いったん切れた後に、すぐに震え始めた。私は、緊急の連絡と判断し、西村様に断りを入れて、座を外した。
 外に向かいながら、スマートフォンの画面を見た。
 母からだった。
 母は、非常識ではない。仕事中だとわかっているのにかけてくる用事。胸騒ぎがした。
 外に出る前に、また電話が切れた。出て折り返そうと思った途端また手の中で震えた。
 やっと電話に出た。耳に当てると、いきなり鼻をすする音が聞こえた。
――みさとちゃん……。
 母は涙声で私を呼んだ後、――お父さんが死んじゃった。と、言った。
 瞬間、心が何かに吸い上げられていく気がした。
 目眩を起こしてその場にしゃがみ込む。
 意味の取り違えをしようがない、言葉だった。
 母がそんな嘘をつくはずがない。父はまだ五十代半ばだ。事故にあったのかもしれない。
 今朝は、顔を合わせただろうか。
 食卓で新聞を読んでいる姿が思い浮かんだ。いつの記憶だろう。最近はタブレットPCで電子版を読んでいた。
 最後に会話を交わしたのはいつだったか。
 私の洗顔フォームの横には、父のシェービングジェルが逆さにして立ててある。太めのチューブが邪魔で仕方なかった。
 電話の向こうで母が泣いている。
 私は、次に何をすればいいのかが、わからずにいた。
 
          ☆
 
 葬儀の日に初七日の法要も済ませた。
 母は、悲しみが深すぎて何もできなかったため、斎場の手配やその他のいろいろなことを、すべて私が行なった。父の死は当たり前に悲しかったけれど、次から次へとやるべきことが押し寄せてくるので、私には涙を流している余裕はなかった。
 奈良に帰省していた兄夫婦と子供たちも、翌日には東京へ帰った。
 母はひどく落ち込んでいた。父と母は、私が思っていた以上に仲が良かったのかもしれない。母が、父に頼り切っていた可能性はある。
 忌引きもあけ、私が出勤し始めた途端に家が荒れ始めた。日に日に汚くなっていく。洗濯物も食器もたまっていた。母が昼間まともに食べていない様子なので、仕事帰りにコンビニに寄って、レトルト食品を買ってきた。
 私には、勤務日に家事をする気力や時間はなかった。
 毎日、通勤に往復三時間をかけている。最寄りの、JR万葉まほろば線『京終(きょうばて)』から一駅先の『奈良』で乗り換える。『奈良』から『京都』までは、快速電車でほぼ一時間かかる。そこからは地下鉄で『四条烏丸』に通っている。
 今の支店は、エリア限定社員制度の規定、通勤九十分圏内に、ギリギリ入る。
 少し前から一人暮らしを検討しており、休日には、不動産情報サイトで支店に通いやすい部屋を探すのが楽しみになっていた。母が心配なので、しばらくは家から通うしかなくなった。
 私も父も、奈良に住みながら京都や大阪へ通勤通学をする、いわゆる『奈良府民』だった。
 父は、大阪に本社のある鉄鋼商社に勤めていた。昔から帰宅が遅く、食卓で顔を合わせることがほとんどなかった。特に最近は、休みの日にはずっと書斎にいた。
 父の相続の手続きもまだ、ほとんど手つかずだった。驚いたことに、母は父の資産について何も知らなかった。ずっと、渡される生活費でやりくりをしていたらしい。取引のある銀行も、母が把握しているのは二つだけだった。
 公共料金の名義を早々に母にし、引き落とし口座も変えた。ひとまず、わかっている銀行へは連絡をいれておいた。住宅ローンは返済済みだった。
 生命保険には加入していたのだろうか。資産運用はしていたのだろうか。私は父のことを、ほとんど知らなかった。
 父が亡くなってから十日経ってやっと、最後に身につけていた服と、通勤カバンのチェックをした。財布と手帳。こんなことがなければ、人の物を開けて見たりはしない。スマートフォンはロックがかかっていて開けなかったが、相続手続きに関わる情報は少ない気がした。
 ふと、思った。父に浮気相手がいれば、この中にやりとりが残っているかもしれない。心当たりがあるわけでもなく、あくまでも、なんとなく、もしかしたらという程度だった。
 父は、明るくはなかったが、くたびれても老け込んでもいなかった。管理職だったから、仕事もそれなりにできたはずだ。私は父の女性関係が心配になってきた。長財布を開いて、相続手続きとは全く関係ない物を探した。酔った同僚に「エチケットとして持っている」と、コンドームを見せられた時の不快感がよぎる。出てこずひとまずホッとした。その代わり、小さな鍵を見つけた。私が使っている更衣室のロッカーの鍵と似ている。なんの鍵かは気になるが、無くさないようひとまず元の場所に戻す。先に、やるべきことを済ます。カード類を財布から出して確認していく。連絡をすべき銀行とカード会社がひととおりわかった。
 次に、手帳を開いた。仕事の予定が書き込まれていた。来月も結構予定が入っていたようだ。二月のページを開くと中旬に『取材』と書かれていた。土日の休みも含めて、七日にわたってグリーンの蛍光ペンで線が引かれている。父が業界誌か社内報の取材を受けるのかと思ったが、七日間も取材を受けるとは考えにくい。かといって、父が何かを取材するというのは、もっと考えにくかった。別の用事を隠すために『取材』と書いたのではないかと、疑ってしまう。財布から出てこず安心したのもつかの間、父に女の影を感じてしまった。
 私は、ふと我にかえった。たとえ父が母を裏切っていたとしても、今その事実を突き止めることに意味はない。隠し子さえいなければ、相続には何の影響もない。追求は、悲しみにくれる母に追い打ちをかけることになる。
 私が心配していることを隠すのに『取材』という言葉は選ばない気がしてきた。父への疑いを払拭したい気もしたが、明らかに、優先事項ではなかった。
 父は、死ぬにはまだ若かった。エンディングノートを用意してはいないだろう。大切な書類などはまとめてしまってあると思うが、母も場所を知らなかった。父の書斎のどこかにありそうな気がした。
 書斎には鍵がかかっていた。財布の鍵とは明らかにサイズが違っていたので、探した。それらしいものが通勤鞄から見つかった。小学生の頃、この家に越してきてから随分経つが、一度も入ったことがなかった。昔から、父が中にいてもいなくても、扉の隙間からどこか陰鬱な空気が漏れ出している気がしていた。
 少し躊躇いながらドアをあけた。遮光カーテンが閉めきられていて、中は暗かった。廊下も寒かったがさらに空気が冷たい。ドア脇のスイッチを押して明かりをつけた。
 三畳ほどのスペースに本棚から溢れた大量の本が重ねてある。母が書斎と言うから、その認識でいたが、単なる物置だった。
 壁際の机の上だけがスッキリとしていて、ノートパソコンがあった。
 古い紙のにおいが充満している。耐えられず、先ずはカーテンと窓を開けた。
 天気が良いから、外気の方がまだ暖かだった。窓のすぐ外に真っ赤な実をたくさんつけた南天の木があった。
 父は休みの日には長時間この部屋にこもっていたはずだ。こんな狭い穴蔵のような場所で何をしていたのだろう。
 父の机の前に座ってみた。ノートパソコンを立ち上げてみたが、やはりロックがかけられていた。パスワードに何を設定するかなど見当はつかない。諦めてすぐに閉じた。
 引き出しを見てみる。浅く広い引き出しの中には、ペンやクリップなどの文具が整理されていた。右手の一番上には鍵がかかっていた。財布の中の鍵が合いそうな気がした。リビングに置いてきたので取りに戻った。開けてみると、期待していた物ではなく、ウェブサイトを印刷した紙が何枚も出てきた。『百済の館』『西の正倉院』など、どれも宮崎県にある美郷町という場所の情報だった。サイトのURLの書かれた部分をみて「みさと」と読むことがわかった。私と同じ名前の町というだけで、わざわざ隠すとは思えない。最初の数枚を見た時点では取材の対象かと思ったが、後から、その地域の中古住宅の物件情報まで出てきた。父が何を考えていたのか、ますますわからなくなった。

               ☆
 年が明け、仕事上の年始の挨拶も一通りすんだ。今週は、父が亡くなった日に訪問していた西村様の公正証書遺言の証人となり、公証人役場での立ち会いもした。
 無事、納骨も終わった。重要な書類は、鍵のかかっていない引き出しから見つかり、相続の手続きも少しずつではあるが進められていた。兄はお金に無頓着だった。私に任せると言ってくれているが、義姉さんの目も気になるので、こまめに報告をいれている。父名義の預貯金と土地家屋、加入していた定期保険も切れていないので大きな金額が入ってくる。死亡退職金も控除額を超えたので、いくらか相続税がかかってくるかもしれない。私は、法定相続通り分割する必要はないと考えていた。ほぼ、母の受け取りでかまわない気がしたけれど、小さな子供を二人抱えた兄に、少しは現金をとも思う。とくに不仲でなくても遺産分割は難しい問題だと実感していた。
 週の半ばに仕事から帰ると、珍しく母が起きて待っていた。唐突に、土曜日に父の部下だった男性が訊ねてくると言われた。家に、電話があったらしい。うつろな顔で当日の対応を頼まれた。母は、私の予定も訊かずに勝手に約束していた。わざわざ来るのなら、父を慕ってくれていたのだろう。無下にはできない。土曜日は気晴らしにでかけようかと思っていたが、別に誰と約束をしたわけでもない。予定を変えることにした。
 きっと、その人の方が私より父のことを知っている。会えば、何か情報が得られるかもしれないと気を取り直した。
 すぐ週末になった。訪ねてきた男性が、私とそう変わらない年代だったため、戸惑った。てっきり四十前後の人がくるものと思い込んでいた。玄関先で丁寧に挨拶をされ、手土産も渡された。父の部下は、黒木智宏と名乗った。私が名乗ろうとすると「みさとさんですよね」と言われた。黒木さんは、何度か写真を見せられたと微笑んだ後、すぐに寂しげに俯いた。
 黒木さんは表情も話し方も、柔らかで好印象だ。服装や立ち居振る舞いから真面目さが窺えた。
 仏壇に手土産を供えた。黒木さんはお線香をあげた後に、私の方を向いて「今日は、部長の奥様にお話があって参りました」と、言った。何か嫌な予感がした。
「母は、体調がすぐれませんので、私が伺ってよろしいでしょうか?」と返した。母にこれ以上情緒不安定になられては困る。
 仏壇の近くは落ち着かないので、ダイニングに移ってもらうことにした。お茶を用意して、黒木さんと向かい合って座る。何を聞かされるのか、気が気ではなかった。
「それほど身構えていただかなくても……たいした内容ではないんです」
 黒木さんは申し訳なさそうな顔をして言った。
「実は、吉野部長に、旅館の予約を頼まれていました」
「旅館ですか……」
 咄嗟に手帳に書かれていた『取材』の文字が浮かんだ。
「実家が旅館を営んでいるのですが、二月の中旬に三日ほど部屋を押さえてあるのです」
 時期が一致している。母にそれとなく訊ねたら、二月には何も予定はなかったと言われた。しかし、部下の実家に宿泊するつもりでいたのなら、本当に『取材』だったのかもしれない。
「勝手にキャンセルをするわけにもいかず。お電話で確認できることではありますが、僕は葬儀に参列できなかったのもあって、ご挨拶を兼ねてお伺いしたのです」
 電話で母に確認されても、判断できなかっただろう。
「ご迷惑をおかけしますが、本人がああなってしまったので。キャンセル料などはお知らせいただいたら、お支払いします」
 黒木さんは「キャンセル料はいりません」と言った後に「ただ、部長がすごく楽しみにしておられたので、残念で」と、目を伏せた。涙を堪えているようだ。泣いてくださいとは言えず、落ち着くのを待ってから、「ご実家は、どちらなんですか?」と訊いた。
「宮崎県の日向市です」
 父の机に隠してあった資料の場所と近いのだろう。
「父はなぜ、宮崎県へ?」
 黒木さんがどこまでの情報を持っているか探りをいれてみた。
「奥さんと旅行に行くとおっしゃってました」
 一人旅の予定ではなかったらしい。そう思った時、黒木さんが「表向きは」と付け加えた。つい「どういうことですか?」と、きつく聞きかえしてしまった。
「言い方が悪かったですね」と、すぐに謝られた。
「ご心配なさるような内容ではないのですが、少々複雑でして、順を追ってご説明します」
 それからは、落ち着いて黒木さんの話を聞いた。
 父と黒木さんはそもそも部署が違い、上司と部下の関係ではなかった。母が思い込んでいただけだった。十月にはいってすぐの頃に、父から黒木さんに声をかけてきたらしい。人事部長から突然話しかけられて、咄嗟に、どこかに飛ばされると怯えたと、微笑んだ。
「宮崎のことをいろいろ教えてほしいと言われて、ホッとはしましたが、なぜだろうと不思議でしたね」
「父が興味を持っていたのは、美郷(みさと)という場所でしたか?」
 黒木さんは目を見開いて「ご存じだったんですか?」と言った。私は、書斎の机の引き出しから資料を見つけたことを話した。黒木さんは、納得したような顔で頷いた。
「休み前には必ず食事に誘っていただいて、いろいろお話をしていました」
 黒木さんも、さほど有名ではない土地に興味を持っているのか不思議で、理由を訊ねたそうだ。「妻と、旅行へ行こうと思っている」と返ってきて、余計におかしいと思ったと言った。
「美郷は、自然も豊かですし、とても良い場所ではあります。ただ、関西にいてピンポイントで行きたくなる場所ではないと……みさとさんの名前を知って、それでかと思ったんですけどね」
 家を探していたくらいだ。私の名前と同じだからではなさそうだ。
「本当の目的を知ったのは、偶然というか、多分、部長は僕が知っていると思っていなかったはずです」
 何回目かの食事会で、父が飲み過ぎたことがあり、酔って「今までに誰にも話したことがない」と前置きされて、打ち明けられたらしい。その時に「妻も知らない」と言われたから、今も本当に話して良いか迷っていると俯いた。
「知りたいです」
 私がそういうと、黒木さんは顔をあげた。
「部長は、長年、小説を書いておられたんです。次は、美郷を舞台に書くとおっしゃってました」
 読書家なのは知っていた。まさか小説を書いていたとは思っていなかった。
「下手でもやめられないって、最後には、泣きだしてしまって」
 物静かな父が、そんな情熱を秘めていたことが、驚きだった。
「どんな小説を書いていたんでしょうか?」
 黒木さんは「そこまでは……」と、申し訳なさそうな顔をした後で、「『まほろばを書きたい』と、呟いたのが聞こえたことがあります」と言った。
「でも、『取材』の意味がはっきりして良かったです」
 私がお礼を言うと「取材ですか?」と、黒木さんに訊ねられた。
「手帳に、書き込まれていたんです。ちょうど、黒木さんのご実家に予約を取っている頃です」
「美郷町と、僕の実家は結構近いので、もし実現していたら、十分な取材ができたんですけどね。本当に残念です」
 黒木さんはまた、涙目になった。私がもらい泣きをしそうになる。
 黒木さんと話せたことで、父の意外な一面を知った。きっと、夫婦二人での観光を装って取材へ行くつもりでいたのだろう。
「予約は、二人分でいれていたんですよね?」
 黒木さんが頷いた。
「キャンセルするかのお返事を、しばらく待っていただくことはできますか?」
「それは、かまいませんが……」
「来月、その日程で、休みがとれないか確認してみます」
 黒木さんは「わかりました」と、微笑んだ後「そう忙しい時期でもないので、多少の日程変更は可能だと思いますよ」と言った。
 
          ☆ 
 さすがに一週間の休みは取れなかったが、土日祝日も合わせて五連休にはできた。母をなんとか説得して二人で美郷町へ行くことになったので、黒木さんの実家への予約をキャンセルせずにすんだ。
 黒木さんに話を聞いてから父の書いた小説が読んでみたくて、しばらくは探していた。プリントアウトされたものはみつからなかった。多分、ノートパソコンの中にデータがあるのだろう。いくつかパスワードを入力してみたが、まだ一致しない。そのうち何かヒントを見つけて、開けられるかもしれない。
 私は、美郷への旅行の計画を優先することにした。
 すぐに旅行当日になった。伊丹空港から宮崎空港までは一時間強かかった。
 宮崎空港は海の近くにあった。飛び立った時に見下ろした雑多な町並みと風景がかけ離れていて、別世界に来た気分になった。実際に、宮崎はかなり遠く、気候も随分違う。空港内が南国の雰囲気だった。椰子の木のような形の樹はフェニックスという名前らしい。
 母は、ほとんど話さなかったけれど、いつもよりは表情があった。
 JRに乗り換えてから一時間半ほどで、旅館のある日向市についた。すでに夕方だった。
 駅までは、黒木さんのお兄さんが迎えに来てくれた。顔がよく似ているけれど、話し方が全く違った。黒木さんと話したときは、イントネーションもほとんど気にならなかった。お兄さんは、宮崎のなまりそのままなのだろう。
 日向市の駅は新しいのかとても綺麗だった。周辺にそれほど大きなビルはないけれど整備されていた。
 お兄さんの車で旅館へ向かう。運転しながら、お兄さんがいろいろ話してくれた。いつもは耳にしない柔らかな印象のなまりで、初対面の緊張はすぐにとけた。
 黒木さん達は二人兄弟で、お兄さんも旅館を継がず、普段、宮崎市内の企業で働いているらしい。ちょうど休みなので、明日、美郷町も案内してくれると言う。私は、せっかくのお休みに申し訳ないとお断りをした。お兄さんは、運転中なのにわざわざ振り向いて「僕も、久しぶりに美郷に行きたくなったんで、遠慮はなさらずに」と、言いだした。車通りの少ない道とはいえ危ない。「では、お願いします」と、すぐに受け入れた。
 旅館は海の近くにあった。想像より随分小さな建物でかなり古びていた。
 とても人の良さそうなご夫婦が出迎えてくれた。うちの両親と似たような年代だ。兄弟はお父さん似なのがわかった。従業員ではないはずなのに、お兄さんが部屋まで荷物を運んでくれた。
「窓から日向灘が見えますよ」
 お兄さんが教えてくれたので、早速障子をあける。奈良にいると海を見る機会がほとんどない。珍しくて、段々と暗くなっていく様子を眺めた。
 食事は年配の仲居さんが運んでくれた。宿泊料が随分安いのに、豪華な食事が出てきたので申し訳なく感じた。息子の知り合いだからと気をつかってくれたに違いない。
 母も私も移動で疲れ切っていて、早めに休んだ。
 日曜は、早めに家を出ることになっていた。あらかじめ、父の集めていた資料をもとに行きたい場所を伝えてあった。
 黒木さんから近いと聞いていたのに、最初の目的地の『西の正倉院』には、一時間近くかかった。美郷町内に入ると随分のどかだった。
 西の正倉院は、本当に奈良の東大寺のものとそっくりで驚いた。中にも入れた。百済王にまつわる宝物や、師走祭りについて紹介されていた。近くに百済の館もあった。所々に塗られている翡翠のような色がとても綺麗で何枚も写真を撮った。
 父の目的は取材だったのだからと、資料館をじっくりみた。
 他にも父がプリントアウトしていた場所をいくつも見て回った。
 昼食は、古民家風のレストランでとった。
 美郷町はとても広く、思っていた以上に移動に時間がかかった。お兄さんが案内してくれなければ、ほとんど回れなかったかもしれない。
 母は、しばらく閉じこもりきりだったのもあって、体力が落ちているのだろう。後半は、車の中で待っていた。
 美郷町が、自然豊かで歴史文化のある場所なのは、わかった。
 父は、この土地を舞台にどんな『まほろば』を書こうとしていたのだろうか。今となっては、誰にもわからない。 
 だいたい、見ておきたかった場所はまわることができた。そろそろ、旅館に戻ろうと車に乗り込んですぐに、お兄さんに電話がかかってきた。その場で出て、方言で話しはじめた。親しい相手のようだ。
「んにゃ、まだ、美郷におるよ。わかった、待っちょって」と言って、振り返った。
「弟からです」と、電話を渡された。
 黒木さんは焦って電話をしてくれたのだろう。簡単な挨拶だけで用件を話し始めた。普段より早口だ。
――部長が、行きたいと言っていた場所を思い出したんです。
 兄弟で星を見に行った話をしたことがあるらしい。
――もうすぐ、日が落ちるはずです。
 確かに暗くなりはじめていた。
 見に行きたい。わざわざ電話をしてくれたのは嬉しかったが、もう十分にお兄さんにお世話になった後だ。
「これ以上は悪いので」と、伝えると、電話をお兄さんに返すよう言われた。
「わかっちょる」
 やり取りから兄弟仲が良いのがわかる。
 お兄さんは電話を切ったあと「星が見たいので、もう少しお付き合いいただいても?」と言った。それから、旅館に少し遅くなると連絡をいれた。
 しばらく山道を走った。山深いからかすぐに暗くなった。カーブが続く。車のライトが当たっているところだけガードレールがはっきりと見える。街灯もなく対向車もほとんどない。
 お兄さんが、車を道路脇に駐めた。
「近くに天文台もありますが、この辺りでも十分です」
 ライトを消した途端に真っ暗になった。
 車を降りた。冷たい空気が頬に触れた。母と並んで夜空を見上げた。
 星が降り注ぐ。
 こんなにたくさんの星を見るのは初めてだった。ひとつひとつ光が強い。それに、近くにある。
 今、父が見たがっていた満天の星空の下にいる。
 言葉もなくその煌めきを浴びる。母が泣いている。鼻をすすりあげた後で、「あの星のどれか一つが、お父さんなんやな」と言った。
 なんて子供じみたことをと思ってはいるのに、私の頬を涙が伝った。
 星が滲む。
 大切な人が空から見守ってくれている。
 そう思うことが心の支えになるのなら、かまわない。
「そうやな」と言って、涙を拭った。 
 星がまた降り注いだ。

                                                     <了>
 

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