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恋のはじまり

 思い出したいのに、どうしても思い出せないことがある。
 確かに声を聞いたはずなのに、彼女の言葉は今、文字でしかなくなった。
――あなたが好きです。
 いつだったか、どこだったかも、彼女が僕を見上げ、言葉を発してすぐにうつむいたことも覚えている。
 顔は、口元しかイメージできなかった。目はどうだったろう。
 いつから、顔が思い出せなくなったのか、それも判然としない。
 名前は、最初から知らなかった。
 僕にとって彼女は時々、図書室で顔を合わすだけの存在だった。
 同じ年だとわかったのも、彼女の上履きが、同じ学年のカラーだったからで、どのクラスかは知らなかった。
 告白されて、正直戸惑った。
 確かに、顔は知っていた。だけど、話したのはその時だけだった。
 僕は、彼女の告白に「あっ、うん」と返した。
 それ以上彼女は何も言わなかった。ただ、笑ったのを覚えているが、口元だけしか思い浮かばなかった。
 あの時、他にどうすれば良かったのかと、繰り返し考える。
 中三の夏だった。
 何度思い返しても、あれ以上の振る舞いはできなかったという結論にいたる。
 もし、もう会えないと知っていれば、もっと何かしていたかもしれない。
 電話番号を聞いていれば……。
 それきり彼女のことを見かけなくなった。
 一度も……
 きっと、転校したのだろう。
 ただ、誰にも確認はとらなかった。僕のクラス以外の残り七クラス。訊いて回れない数ではなかった。
 でもできなかった。
 告白してくれた子のことを気にしているなんて、あの頃の僕は、誰にも知られたくなかったのだ。
 あれから、随分時が経ち、僕は大学二年になっていた。未だに彼女のことを気にかけている。
 どうしても、顔を思い出したかった。名前を知りたかった。わずかに残るイメージを頼りに、街で「もしや」と思った相手に、僕は声をかける。
 今日は、バイトの後でカフェに寄った。室外のテーブルで、文庫本を読んでいた。
 区切りのよいところで、顔をあげ、しばらく街行く人をみる。
 ついショートボブを探してしまう。その頃の彼女がそうだったからだ。
 今は、大学でみかける女子たちのように、化粧をし、髪を巻いているかもしれない。
 一人、気になる子を見つけた。
 白いTシャツに、芥子色のガウチョパンツをはいたショートボブの子だ。リュックを背負っている。
 立ち上がり、追いかける。
「待って……君、ちょっと」
 後ろから声をかけた。
 当然自分のことだと思わないから振り向かない。
 うなじの少し上で切りそろえられた髪が揺れている。
「ねえ、君」
 僕は、リュックの肩ベルトに軽く手を置いて、すぐに離した。
 驚いた顔で振り返った。
「私ですか?」
 口元が似ている気がする。少し大きめで、唇が薄い。
「僕のこと、覚えてない?」
 目を見開いて、僕の顔をじっと見ている。
 僕もじっと見つめかえす。目をそらされるまで。いつも必ずそうする。
 相手は首を傾げながら、視線をかすかに落とした。
「八中にいたことない?」
「私は三中です」
「そうか……人違いか……」
 僕はがっくりと肩を落とす。
「ごめんね。驚かせて……」
「いいえ、大丈夫ですよ」
 笑顔がやっぱり似ていると思った。
「三中出身なら、帰るところ?」
 頷いた。
「今、急いでいたりするかなあ?」
 大きな目を瞬かせて「別に……」と言った。
「それなら、そこのカフェで何か飲んでから帰らない? お詫びしたいし」
 僕は、さっきまで居たカフェを指差した。
「お詫びだなんて……そんな……」
 遠慮しているだけで嫌がってはいない。
 手に持った紙カップを横に振ってみせる。
「そこで本を読んでいたんだ。もう一杯買おうと思っていたところだし……ね?」
 その子は、上目遣いで僕を見ながら、控えめに頷いた。
 彼女にイメージが近いだけで、別人だった。毎回同じ結果だとしても、その都度落胆する。僕は心にできたひっかき傷を癒すために、ほんの十数分でも時間がもらえないか頼む。
 時間が取ってもらえなくても、もう少し話したいと感じていれば、連絡先を必ず聞き出す。
 それは同じ後悔をしないためだった。
「僕は、保田伊織……名前訊いたら、まずい?」
 その子は顔の前で手のひらを何度も振って「そんな大丈夫です。上村マツリです」と言った。
 カフェに向かって歩き出す。
「マツリさんかあ、字はお祭りでいいの?」
「茉莉花の方です」
 店内に入った。カウンターの前で「好きなのどうぞ」と声をかけた。
「保田さんはブレンドですか?」
 頷く。
「クリーム嫌いじゃないなら、こっちのにしたら?」
 ウィンナーコーヒーを指した。
 メニューの写真を見て「でも……」と言った。
「じゃあ、これでいいね」
 僕は注文した。
 茉莉さんがお礼を言って、微笑んだ。
 彼女だったら良かったのにと思う。
 僕は、今度は店内のテーブルを選んだ。
 向かいあって座る。テーブルの上に、文庫本を置いた。
「さっきはほんとごめん。探していた子に似ているって思って……つい……」
 笑顔で「大丈夫です」と言ってくれた。
「中学の頃、図書室でよく見かけていた子に告白されて……」
 顔を見る。相手も僕を見ていた。
「ごめん、つまらないよねこんな話」
「私、聞きたいです」
 僕は、コーヒーにミルクを注いでかき混ぜた。
「なんだかね。好きって言ってもらったの初めてだったから、まともに返事できなくって。でも、その子ただ笑顔で、いなくなったんだよね。その場から」
 カップを両手で持って頷いている。口をつけて離すと、唇に生クリームがついていた。僕は茉莉さんの顔に手を伸ばす。触れる前に「クリームついている」と声をかける。
 うつむき加減で、唇をなめた。
 上目遣いで僕を見る。
 僕は「うん、取れた」と言って笑いかけた。
「その子とは、それきり会ってないんだ」
 茉莉さんは大きな目を見開いた。
「多分、転校しちゃったんだよね」
 気の毒そうに僕を見る。
「告白されて、気になり始めた時には、いなかったってこと」
 僕はコーヒーを口に含み、窓の外に視線を移した。
 思い出したように、茉莉さんに視線を戻す。
「ごめん、たいした話じゃなくて」
「そんなこと……切ないですね」
 僕は頬杖をついて、軽くため息をついた。
「切ないかな? ただ、謝りたいんだ。せっかく思いを打ち明けてくれたのに、驚いただけで終わってしまったから」
「きっと、その子にとって、良い思い出になっていますよ。伝えられずに終わるよりは、ずっと」
 時が止まった気がした。
 笑いかけてくれている。あの日去り際に彼女が見せてくれた笑顔そのものに思えた。
 僕は目を閉じた。
 茉莉さんの言うとおりだ。彼女は、僕の返事は望んでいなかったのだろう。
 だから、何も返せなかったのに、満足げに笑った。
「なんか、今、吹っ切れた」
 もう、何年も経っていて、あの頃の彼女も、僕も、どこにもいない。
 彼女も今頃、どこかで僕の知らない誰かに恋をしているだろう。
「ありがとう。茉莉さんは、僕の恩人だね」
 茉莉さんは、うつむき加減で、顔を左右に振った。
 それから僕らは、たわいないおしゃべりをした。
 茉莉さんは、僕より二つ年上だった。教員採用試験の結果待ちらしい。
「中学校の先生かあ。大変そうだけど、きっと良い先生になりそうだ」
「だと良いんですけどね」
「絶対、生徒の人気者になるよ。だけど、意外だよね。理科だなんて」
 茉莉さんは首をかしげる。
「国語か音楽のイメージ」
 醸し出す空気が、柔らかい。
「吹奏楽をずっとしてるんで、全くのハズレではないですよ。部活の顧問にはなりたいんですよね」
「楽器は何?」
「トロンボーンです」
 茉莉さんは、楽器を構えるようにして、右腕を前に伸ばしてから引いた。
「へえ、カッコいいなあ」
 僕は少し前屈みになって、茉莉さんの顔をのぞき込んだ。
「演奏するところ、見たいな」
 照れている。
「たいしたことないですよ……」
 言葉とは裏腹に嬉しそうだ。
「演奏会とかないの?」
 茉莉さんは自分の髪を指で摘まんだ。そのまま、うつむいて首をかしげる。
「メインではないんですけど……」
 どうやらあるらしい。
「母校の定期演奏会にOGでゲスト出演するんですけどね」
「いつ?」
 身を乗り出した。
 茉莉さんは「来月の十八日ですよ」と言った。
「バイトのシフト決める前で良かった。絶対行く」
 それから、僕らはラインで繋がった。
 カフェの前で別れて、お互い反対の方角へ向かって歩き始めた。
 家に着いてすぐにラインを開く。
『今日は会えて良かった。失礼なことしたのに相手してくれてありがとう』
 すぐに返事が来る。
『こちらこそ、図々しくごちそうになっちゃって。ありがとうございます。お話しできて楽しかったです。』
 茉莉さんがどんな表情で入力しているのか、思い浮かぶ。本当に素直でかわいい人だ。
『実は、明日〆切のレポートがあって、これから徹夜作業になりそう』
『えー、それなのに、長話しちゃってごめんなさい』
『違う、違う。僕が茉莉さんと話したくて引きとめたから』
 茉莉さんは少し間をあけて『レポート頑張ってくださいね』と返してきた。
『うん、頑張ってレポート間に合わせたら』
 僕はそこでいったん送信した。
 五分ほど置いて続きを打ち込む。
『また、お茶に誘ってもいい?』
『いいですよ。頑張ってくださいね』
 すぐに返事が来た。続けて、かわいい兎のスタンプが表示される。
『やった。頑張るよ』
 スマホの画面を消して、ベッドの上に放った。
 パソコンの前に座って、立ち上げる。
 僕は、新しい短編小説を書き始めることにした。茉莉さんは少し変わった名前なので、麻里にかえた。
 小説上は、探していた少女と同一人物であったが、記憶がない設定にした。
 彼女が今日見せてくれた表情などを思い浮かべながら、描写していく。
 二千文字くらいを書いて、今日はやめることにした。
 まだ、茉莉さんの情報が少なすぎる。
 僕は、教員試験のことや、トロンボーンのことについて調べ始めた。それから、来月定期演奏会を行う県内の高校を調べた。
 茉莉さんの出身校は、南坂高校なのがわかった。
 中学の同級生が、何人か南坂に進学した。少し、情報収集をすることにした。
 そうすることで、小説にリアリティが生まれる。
 僕は今後の展開を考えながら眠りに落ちた。
 ラインの通知音で目覚めた。
『おはようございます。レポート終わりましたか?』
 茉莉さんからだった。一瞬意味がわからなかったが思い出した。
『ほとんど寝てないけど、なんとか!!』
『それは、良かったですね』
 僕は、寝癖のついた髪を撫でながら、次の言葉を考える。
『そりゃ、必死で頑張ったからね』
『〆切、厳しい教授なんですか?』
『うーん、そうでもない』
 茉莉さんはなんと返してくるだろう。しばらく待った。
『真面目なんですね』
 こういうタイプなのは、昨日話した時点で予想はできていた。僕は思いきり伸びをした。
『そう、真面目だけが取り柄! 今日、朝一から講義があるから準備するね。茉莉さんのおかげで目が覚めて助かったよ。ありがとう。』
 それにしてもまだ早い時間だ。僕は後三十分ほど眠ることにした。 

 午前の講義も終わり、学食で茉莉さんをどう誘うか考えていた。
「伊織、ちょっと良いか?」
 顔を上げる。中学から同じ学校できている橘だった。僕の隣に座って、肩に腕をのせてきた。スマホの画面をのぞき込まれた。慌てて画面を消す。
「またナンパしたのか?」
「ナンパなんかしたことないよ」
「へえ、単なる噂なんだ」
 僕の知らないところで、嫌な噂が流れているようだ。
「まあ何でもいいけどな。お前に頼みたいことがあるんだ」
 勝手に名前で呼んでくるが橘とはそれほど親しくない。何なのか思いつかなかった。
「聞くだけ聞くよ。頼まれるかは内容次第かな」
 僕もそう暇ではない。
「成人式の後にさ、中学の同窓生で二次会やることになってさ。女子がどうしてもお前を連れて来いって」
 成人式のことは気にもとめていなかった。
「まだ先だろ。考えとく」
「前向き検討中ってこたえとくからな」
 僕は少し考えて頷いた。成人式当日につき合うくらいは構わない気もする。
「で、さっきのは彼女か?」
 話が終わったのに、橘は去ってくれない。
「知り合ったばかりの子だよ」
「まあ、お前がその気になればどうせ付き合い始めるんだろうけど」
 橘が立ち上がった。背中を強めに叩かれた。
「今度は続くといいな」
 橘は意味ありげなことを言い残して去っていった。
 一体、どんな噂が流れているのか。考えても仕方がない。スマホのロックを解除する。
『朝、ありがとう。やっと落ち着いて、昼ご飯食べたところ』
 茉莉さんに、当たり障りのないメッセージを送ってみる。
『私もお昼ご飯食べてます』
『何食べているの?』
『オムライスです』
『いいなあ』
『保田さんは?』
『カレー』
『カレーいいですね~』
 くだらないやりとりはこのくらいにする。
『今日、少し会えない?』
『今日ですか?』
『うん』 
 即座に返す。
『今日は七時まで、練習があるんです』
『演奏会の? その後少しだけは無理?』
『少しだけなら……』
『無理言ってごめん。夜、呼び出そうとするなんて、どうかしていた』
 イエスをもらえて満足した。
『そのくらいの時間なら大丈夫ですよ』
『やっぱり、よくない。今度、ゆっくり会えそうな日ない?』
『土曜日なら一日あいています』
 一日中過ごすのはまだ早い気がする。
『あー、残念、バイトが入っている』
 茉莉さんはなんと返してくるだろう。僕はスマホの画面をみつめる。
『ほんとに、夜でも大丈夫ですよ』
 つい口元がゆるむ。
『そんなこと言われたら、期待しちゃうだろ』
 茉莉さんは、何をか訊いてくるタイプではない。今頃、あたふたしているかもしれない。想像しただけで可愛いと感じた。
『明後日は午後、まるまるあいている。どこかで時間とれない?』
『二時以降なら大丈夫です』
 昨日のカフェで会うことになった。
 このワクワクする感じを、今夜、小説に書こうと思った。
 茉莉さんは、これまでの『彼女に似ている気がした人』とは違う。少しずつ知っていきたかった。
 会うまでの間でも、数回ラインでやりとりをした。毎回、忙しいと言って短めに済ませた。会って色々訊く方が楽しいからだ。
 次回はカフェで話して、その次にはどこかへ遊びに行こう。
 茉莉さんが何を喜ぶかを考えるだけで楽しくなってきた。
 僕は、暇を見つけては小説の続きを書いた。情報収集もままならないまま、妄想だけで随分先まで進んだ。
 小説内で、僕は茉莉さんの分身である『麻里』と関係を順調に進展させた。
 約束の日になった。早めにカフェに行き本を読みながら待った。
 茉莉さんが来た。店に入り中を見回した後、僕を見つけ嬉しそうに笑った。膝丈のワンピースを着ていた。とても似合っている。
 僕は席を立ち茉莉さんのもとへ向かう。
「小腹すいてない?」
「そうですね。少し……」
 僕は、茉莉さんの腕を取った。
「ケーキセットにしよう」
 入り口正面にあるショーケースを見に行く。
「レポート完成のお礼だから、好きなのを選んでよ」
「そんな、何もしてないですよ」
 色鮮やかなケーキが並んでいる。茉莉さんは遠慮しているようでなかなか選んでくれない。
「チョコか、フルーツ系はどっちが好き?」
 僕の顔を見た。
「どちらかと言えば、フルーツですけど」
「じゃあ、このタルトにしたら?」
 ベリーが何種類も敷き詰められたタルトを指さす。
「美味しそう……」
「もう、これね。コーヒー? 紅茶?」
 茉莉さんが目を細めて笑った。
「紅茶で」
 二時間ほど話した。茉莉さんは水族館が好きだと言うので、来週の日曜に行く約束をした。
 それまでに一度、理由をつけて夜に会うのも面白いかもしれない。
 僕はインターネットで、水族館デートについて書いてあるブログを探した。写真を見ると確かにキレイだった。特にクラゲが見たい。県内のものではなく、電車で一時間かけて、大きめの水族館へ行くことにした。朝早く出よう。
 頭の中で手順を決めていく。
 すべてが思い通りになるような気がしてきた。
 小説内で僕たちは、記憶喪失という障壁を抱えている。焦れったくももどかしくもあるが、少しずつ距離を縮めていく過程が女性読者にうけている。
 この辺で、ライバルが出て、主人公が嫉妬に苛まれた方がより面白くなるはずだ。
 現実では、そんな面倒な展開は望んでいないくせに、小説で何もなければつまらないと離れていく。
 読者は、わがままだ。
 そして僕にも、同じような矛盾がある。
 読者のわがままにはとことん応えようとするのに、現実で関わる女性のわがままには一切耐えられない。
 茉莉さんは、その点、心配がいらない。
 一度、茉莉さんの練習が終わるのを待って、会った。南坂高校から、茉莉さんの家は徒歩二十分ほどの距離だった。途中小さな公園のベンチに座って少し話した。
 僕は、計画通りに告白をして、予定通りに付き合い始めた。
 どうしようか迷った末に、キスも済ませておいた。茉莉さんは、いちいち反応が控えめで、可愛い。
 僕は、日曜日が待ち遠しくなった。次で、どこまで関係を進展させるべきか、検討が必要だ。この高揚感を手放すのは惜しい。二度目のデートまで、体の関係を持つのはやめた方がいいかもしれない。
 小説は順調に書き進んでいた。記憶を取り戻した『麻里』は、僕を忘れていた間に何人もの男と関係を持ってきたことを悔いて、僕から離れようとしていた。
 試練を乗り越えた末に、ハッピーエンドで締めくくる。
 早朝からでかけて、水族館を散々楽しんだ後に、夜景を見て帰るつもりだった。帰りの電車の中で、肩にもたれて寝たふりをする程度にとどめる気でいたのに、つい癖で、ホテルに入ってしまった。
 本当はもう少し、漕ぎ着けるまでの駆け引きを楽しみたかったが、ここまで来て手を出さないのもおかしい。
 二つも年上なので、それなりに経験もあるだろう。
 僕は、初めてのフリをして、いろいろ教えてもらうことにした。
 しかし、その思惑は察してもらえなかった。後から、設定を変えるわけにいかずに、ただただ余裕のない童貞卒業を演じる羽目になった。
 終わった後に、納得した。僕の、下手なフリが巧すぎて、痛がっているのだと思い込んでいたのに、そうではなかったようだ。
 僕は頭を抱えた。
 茉莉さんは、僕の背中にそっと頬を寄せてきた。
 ああ、やっぱりそうだと感じた。
 処女と関係を持つとろくなことにならない。
 初めての相手にとことん執着するから、別れるのに苦労をする。別れを告げた後も、しばらく相手を強いられる。
 茉莉さんも、そうなるのかと思うと一気に醒めてしまい、距離を置くことにした。
 そんな矢先、茉莉さんとのことを織り交ぜながら書いていた小説が、投稿サイトのイチオシ作品に選ばれて、急激に閲覧数が伸びた。
 多くの人に読んでもらえるとモチベーションがあがるものだ。
 僕は、当初の予定よりも話を膨らませて、小説の更新に夢中になった。
 茉莉さんとのラインのやりとりは続けていた。ただもう、会う気にはなれなかった。
 二週間ほど経った頃、学食でまた橘に掴まった。
「二次会参加でいいよな?」
 返事を迫られる。
「悪いけど、やめとこうかな」
 今はそんなことには興味を持てなかった。
「来いって、中学の頃地味だった子が可愛くなっていたりして、きっと楽しいぞ」
 思いついたことがあり、橘の顔をみた。
「それって、全クラス対象?」
「同じ学年で集まるから、そうだろ?」
 思い出話のついでに、彼女のことを誰かから聞き出せるかもしれない。
 僕は急にその気になった。
「やっぱり、参加する。懐かしい奴らに会える絶好のチャンスだしな。お前、頑張って勧誘しろよ」
「いや、俺は、お前の勧誘を頼まれているだけだから、役割終わった」
 橘は、そう言い残して、さっさと学食を出て行った。
 茉莉さんとは、まだ一応別れていない。定期演奏会には取材をかねて顔を出すつもりでいる。考えれば、付き合い始めて三週間過ぎた。僕の最長記録だった。
 思い出の彼女がもしまだ、この町にいるとしたら、成人式で見つけられるかもしれない。
 そうでなくても、二次会で得た情報を元に探し当てられるかもしれない。
 それでもだめだったら、今度こそ諦めると決めた。
『彼女かもしれないと思った相手』に声をかける度に、新しく書きはじめた短編小説も、今では三十七編になった。
 最近では、すべての閲覧数が伸びている。
『ひたすら、恋のはじまりを綴るクリエイター』と作品レビューに書かれた。
 画面をみて、ため息をついた。
「僕の恋は、まだ、はじまっていない」
 後、数ヶ月もすれば、はじまるかもしれない。
 僕は、いつかはじまる僕の初恋に思いを馳せた。

                                                  <了>


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