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志磨遼平の人間性

第2章 再考・『PLAY TOUR』


志磨遼平の人間性

 

 志磨の楽曲で、何通りもの ≪PLAY LIST≫(ストーリー)を構成できるという可能性は証明できたが、その何通りものストーリーが、ひとりの主人公のストーリーとして成立できるのは、なぜだろうか。

≪PLAY LIST≫ の楽曲すべてが、主人公のための、劇伴として聴こえなければ、物語は成立しない。

 「個性」や「主張」、「メッセージ性」はなくても、志磨の歌詞には、志磨の思想に反する解釈がされる言葉はもちろん出てこない。

例えば、『三文オペラ』の原作には、娼婦や売春、強姦、暴力などが描かれており、当時の社会を表現するためには欠かせない描写ではある。ベルトルト・ブレヒトとクルト・ヴァイルの原作以降、様々な劇場で演じられている作品であり、現代でもそのままそういったシーンを含むことも多いが、志磨と谷の『三文オペラ』には、女性に対しての強姦、暴力などの直接的な描写はなかった。

たとえ原作がある作品『三文オペラ』の訳詞であっても、志磨は自身の作品の歌詞がそうであるように、決して女性を軽視することなく、この劇に出てくる娼婦や売春さえもロマンチックに描いている。

そういった志磨の性格が、他人による原作が存在する作品であってもあらわれているし、それが志磨の歌詞の特徴である。たとえ、ドレスコーズの作品でなくても、志磨の思想に反する言葉は避けるのだ。
 

 『平凡』以後、志磨は「演劇」の世界に入り、自分ではない誰かを演じて、表面的には「個性」を失ったように見えるが、「少年マンガ原理主義」をはじめ、志磨の思想は、毛皮のマリーズのデビュー・アルバム『戦争をしよう』から、一貫していてぶれていない。ブレがないからこそ、志磨の楽曲であれば、どこを切り取ってどう組み合わせても、その主人公の物語として構成することができるのだ。

 ≪PLAY LIST≫ の制作で、歌詞を細かく分析することにより、志磨の人間性についてもより理解が深まった。『オーディション』以降、志磨の楽曲を制作する上での視野が広がっているということも、この実験で見えてきたことであり、ドレスコーズの作品は確実に進化している。しかし、志磨遼平の人間性はデビューからまったく変わっていない。
 志磨の歌詞にはフィクションはあるが、嘘はない。志磨ほど作品に対して正直な音楽家はいないし、志磨がどんな人間かは、志磨の作品に志磨の言葉によってすべて書かれている。

 今後時代がどう変化したとしても、志磨遼平という人間はきっと変わらないだろう。
 とはいえ、変わらないでいることはとてもむずかしいことであり、変わってしまう人間の弱さも、志磨の歌詞から感じ取ることができる。




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