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「自由」ってなんだろう

「ご自由にお書きください。」
これは、"note"本文を書き始める前に
デフォルトで書かれている言葉である。

不思議と人間、自由に書いてと言われるよりも、お題があると書きやすい。
人生も一緒で、好きに生きてください。と言われても、え・・何しよう。
となる人の方が多いのかなぁと。


どうしても「普通」に生きられない


私は昔から縛られること・型にはまること・誰かの敷いたレールを生きることにアレルギー反応があり、常に「自由」に生きることを求めてきた。

同時に、俗に言う一般的な「普通」になれないことへの葛藤を抱いてきた。

例えば就活。みんなと同じスーツを着て黒髪で(以下略)ということが出来ず私服茶髪で合同説明会に行くも居る意味が見出せず即退出。新卒時代はピンときた会社1社しか受けなかったり。

前回の記事にも書いたが5回退職した経験があるし、20代後半までに結婚して出産してと言うライフプランもとっくに過ぎ去り、現在30歳ひとりど田舎に住んでいるのである。

私は10年間女子校で学校の特色柄か、同級生のほとんどが、知名度の高い大手企業へ就職、入社後不満を漏らしながらも一度も転職せず同じ企業に勤務し、幸せに結婚・出産しマイホームも購入。と安定した暮らしをしている。

どうして私だけがこうも「普通」の人生を送れないのか・・
「普通」であることに疑問を持たずに生きられている人と何が違うのか・・というコンプレックスを抱えて長年生きてきた。
もちろん今でも解消されたわけではない。結構今でもよく考えている。

自分が「どう生きたいか」

そんな中でも、周りの目を気にせず自由に「自分の人生を生きている」人に出会うと強く憧れる節がある。

会社員であるべきとか、周りがこうしているからこう!ということは一旦傍に置いておいて。
POOLOに入って「自分がどう生きたか」ということをきちんと考える時期が今きたのかもしれないと思うようになった。

私にとっての「自由」とは

「自由」と「不自由」は表裏一体の意味合いを持つかもしれない。

過去に私は会社員を辞めて自由になれたー!と思ったら、やりたいこともなく(正確には、やりたいことがわからなかった)、何もしない日々にこんな生活で良いのか?と不安になって、不自由さを感じたり。

会社員という肩書きから外れ社会的地位を失った感覚、誰も守ってくれないという点でも不自由を感じた経験がある。

そういったことを踏まえた上で。
私にとって「自由」とは
「自分の意思や心の声に従って生きること・生きようとすること」
なのかなと思う。

この「自分の意思や心の声」は意識しないと見えないし聞こえない。
これまで何度そこに向き合えずネットで「やりたいこと 探し方」で検索したことか。

自分と向き合うのは簡単じゃないし、そもそもそこが大切と気がつけずに
"なんとなく"のモヤモヤを抱えたまま日々を過ごしていたり。

無論、誰かの意見に流されて生きることの方が楽でもある。
しかしそうやって流された結果、気がつけば誰かの人生を生きて
「不自由」に感じることもあるのではないか。

もがいて葛藤しながらも、自分と向き合うことで
自分と仲良くなって自分がどんどん好きになって。
そして「私は」こう生きたいのだ。と気づき、生きていくことが
「自由」に繋がっていくのかな・・知らんけど。
(現にそんな悩み考えなくても自分で自分の機嫌を取れてハッピーに生きている人もたくさん知っている。ただ、私にはデフォルトでそれが備わってい
なかった涙)

つらつら書いているので書き終えようと思います。

以前誰かが言っていた「葛藤こそが美しい」
現在私も人生に葛藤をしながら「自由」に生きられるよう
もっと自分と向き合ってみようと思う。

あなたにとっての「自由」とは何ですか?

終。




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