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Stood on Aillte an Mhothair Screaming "Give me a reason"


感情をフラットに保つ必要のある時期があった。吐く息よりも白い私の両手を包みこみ、薄氷で覆われた両目を覗きこみながら終始おだやかな声でそれを要請したのは、数年単位、あるいは生涯そうあることを私に余儀なくさせるような、凍てつく風の吹きすさぶ十二月の出来事だった。ここに留まるために私は頷いた(ほんとうに留まりたかったのだろうか?)。水平線の向こうまで浚われないように(いっそ浚われたいと願ったのではなかったか?)。

喜怒哀楽を持たないこと。心に起伏を作らないこと。努力は日々の習慣になり、習慣は体に馴染んだ日常着になり、日常着は着脱不能なギプスに変わっていく。あのころの私は両手ですくい上げれば揃えた十指のあいだからさらさらとこぼれ落ちるほど細かな粒子だったから、人の形状を辛うじて取り戻すことができたのは硬くて厚いギプスのおかげだった。

もとより感情の波は小さなほうだった。怒りを爆発させることはまずなく、『雨ニモマケズ』のあの人のようにいつも静かに笑っているタイプで、放課後の図書館と夕方の路地裏、深夜の台所や週末のオフィスを好み、主張よりも受容を得意とし、いかなる腕押しも暖簾のように柔らかくかわしてきた。単に幸福であったからできたことだ。それがひどく狡猾な態度であるとしても。
しかし、予期せず到来した巨大な嵐が凪いでいた海を猛り狂わせ、兆しもなく噴火した火山が溶岩をけしかけ私を融かし尽くそうとする。闘わなければ跡かたなく消滅するのは明らかだったが、なす術はなかった。それなのに存在が維持されたのはなぜか。それは感情を破滅させたからだ。あらゆる感情の息の根を止めたからだ。もし私が私自身に同情して、小刻みに震えるその手をとり、心の襞に押しこんで人知れず匿っていたとしたら、存在の継続などなかっただろう。それがたとえ怒りであっても悲しみであろうとも、激する心は何かを損壊する。私の昂る感情は決して他者へと向かわない。自分自身を追いつめ、木っ端微塵に破壊するだけだ。

音を絞った音楽の流れる深夜の台所で、種を取り除いた柘榴の実を雪平鍋で煮る。その傍らで私は絵具をひろげる。抑えた低い声と熱せられた砂糖の香り、そして冷えた絵具の匂いは、常に私の心を調律する。
対象は元の形状を失っているので、私は記憶を描く。傷んだ内臓のような皮膚の色をした柘榴を右手で抑え、研ぎ澄ました記憶のナイフで真っ二つにする。ルビー色の果肉が現れ、蛙の卵のような種がこぼれる。ナイフを小ぶりのスプーンに代えて、根気強く種を掻きだす。種は一粒残さず取り除かなくてはならない。同情は一切無用だ。
果実の中心に空洞ができたところで私は絵筆をとる。
—— You're in the kitchen hummin', とTaylor Swiftが囁く("Sweet Nothing")。

その後の日々を生きていくために、更地となった心の中に感情を築く必要があった。サン=テグジュペリの言葉が春風のようにやってきて、去り際に鼓膜をそっと撫でる。「砂漠は広くとも、もしそこに城壁が築かれていなければ、愛する人が遠くで待っていなければ、ただだらけきった空があるだけだ」。そうかもしれない、と私は考える。

ただ、どのような感情を持てば、損なわれた日常を生きていく上で最も痛みが少ないのか私にはわからない。そんな私に代わって、他者という親切な人たちが迷いのないペンで設計図を引いていく。思ったよりも元気そう。やっぱり時が解決するんだね。もともと気丈な方なんでしょう。見るからに落ち着いていて安心しました。私は静かに承服する。肩をそびやかしたり眉をあげたりなどしない。見るからに元気そうで、悲しみの片鱗すら感じさせない、気丈なタイプの、落ち着いている人になればいい。

巧みに演技をすれば明朗になれる。訓練を重ねれば饒舌にもなれる。他者は私の回復を信じ、寧ろ以前より明るくなったのではと口を揃えて言った。私は微笑みながら考える。朗らかさは健やかさの証左であると決めたのは誰か。明るさこそが人生を祝福する光であると考えるのはなぜか。

果実がジャムに変わるころ、粗い柘榴がスケッチ帳の右下に定着する。しばらくそれを眺めていると、柘榴が赤髪の青年の顔に入れ替わっていことに気づく。私はコンロの火を止め、絵筆を丁寧に洗う。鍋の中身をタッパーにあけ、絵筆をフックにかける。感情もきれいに洗い流せればいいのに、と思う。
今日は滔々と流れ、滾々と明日が湧いてくる。過去は蓋をした昏い井戸の中だ。しかし、感情の声帯を摘出したところで記憶の低い声は語ることを止めない。排水の限度を超えた雨水が天井から漏洩してくるように。そうして記憶はその姿を現し、両手で私を揺すぶる。私は怯え、息を呑む。
葬ったはずの感情が帰ってきてしまう、と。

明日のパンに柘榴のジャムを添えたら彼女は喜ぶかな。私は目の前にある柔らかなジャムと、明日の娘のことを考える。未だ過去にならず記憶を持たない物ごとについて、ただそれだけを考える続ける。
—— Salt streams out my eyes and into my ears, とTaylor Swiftが呟く("Bigger Than the Whole Sky")。

モハーの断崖をのぼるようになったのは最近のことだ。アイルランド共和国の西の果て、クレア州にそれはあって、高さ約200mの絶壁が8㎞に渡り延々と続いている。別の名は、Aillte an Mhothair"—— 破滅の断崖。
その断崖のことを思い出したのは、ある方に手紙を認めているときだった。書かなければ思い出さなかっただろう。記憶の古い袋をペンで引っ搔かなければ。ただ、身構えた私の心の玄関に、当時の感情は帰ってこなかった。あの2年間で撮りためた写真のフィルムすべてを、帰国時に立ち寄ったニューヨークで、すっかり失くしてしまったことと関係があるのだろうか。アイルランドで学生をしていたときの感情ほど、豊潤なものはないはずなのに。

リムリックのバス・ステーションで私はバスに乗る。エンジンを唸らせながら海沿いの道を走ること三十分、きつい勾配のある大きくカーブした石畳の鋪道で、そのバスは風景になる。艶やかな赤毛の三つ編みを背中に垂らした運転手が振りかえり、翠の瞳をわずかに動かして私にサインを送る。空は夜明けを受けとめる重たい瞼のようだ。左手は輝く太刀魚の鱗のような銀色の海だ。人魚が棲んでいるとあなたが言えば、私はそれを信じるだろう。

渋谷の道玄坂を歩くとき、目黒の権之助坂をくだるとき、高尾山のふもとを抜け、神楽坂の急峻な坂をのぼりながら、私の足は遥かなモハーの断崖の最高地点にあるオブライエン塔を目指している。
記憶は、記憶を手招きする。 彼方から二十五年前にその場で出逢ったアメリカ国籍の青年が現れる。冷凍保存されていたかのようにまったく年を重ねないまま。その傍らを父が歩いていることに気づく。まだ壮健だったころの父と思しきしっかりとした足どりだ。私の前を行くのは親友かもしれない。癌を患う前の彼女はその影までも溌剌としている。
いずれにしても記憶の崖に立つとき、私は独りだ。だが、あともう少し、というところで私は踵を返し続ける。

音楽の流れる深夜の台所で、小さな三角形に切り刻んだ林檎を雪平鍋で煮る。その傍らで私は絵具をひろげる。抑えた低い声と熱せられた砂糖の香り、そして冷えた絵具の匂いは、私の心を調律するはずだから。
林檎を描こうと思うが、思いは端から小石のように滑落して夜の闇に消えていく。描くものがない。私はぼんやりと湯気を眺める。絵筆がひどく重たく感じる。

—— Stood on the cliffside screaming "Give me a reason",  とTaylor Swiftが押さえた声で明瞭に歌う  ("Hoax")。私は絵筆をおいて目を閉じる。見ひらいてしまえば見えなくなるものを見るために。私は踵の気持ちを知り、私の逡巡を理解する。

なぜ屈託のない喜び、引き裂かれるような哀しみの口を塞ぎ、その息の根を止めなくてはならなかったのか、声を限りにして訊ねたかったのだ、答えを持つものに。目の前にあるのは海ばかりの切り立った絶壁に立ち、独りで。でも、誰に訊ねればよいのだろう?感情の拘束を求めた12月の出来事にだろうか?あるいはそこに至る複雑な経緯やそれを遠巻きに眺めていた一人一人に対して?
深夜の台所で叫ぶことはできない。誰に訊ねればよいのかもわからない。畢竟、訊ねるべきは私自身なのかもしれない、と感情の波に揉まれながら考える。

使わなかった絵筆をフックに戻しながら、私は"Seven"をそっとくちずさむ。初めは小さな声で、テンポに遅れることなく完璧な発音でその歌を歌えるようになるまで、テンポに遅れることなく完璧な発音でその歌を歌えるようになってもなお歌い続ける。答えの訊ねあてのないことを悲嘆して、破滅の断崖から私を突き落としもう一度感情を失わせるためではなく、息を吹きかえしはじめた私のすべての感情のために。追いつめるのではなく抱きとめるために。葬ってしまったものを悼み、美しかったことをただ美しかったとなんの迷いもなくまっすぐと思えるようになるために。

—— Are there still beautiful things? とTaylor Swiftが私に訊ねる("Seven")。

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