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優しさ

あの人は優しかった、と思うとき、もうあの人はいない。ただ優しさだけがそこにある。朽ちることも砕けることもなく、逃げることも隠れることもせず。ここではなく、そこに。
手を伸ばせばそれはやってくる。10年前の、20年前の、30年前の優しさが、光と影の交錯した白い闇を潜り抜け、記憶から失われた顔に浮かぶ柔らかな微笑となって。

幼稚園の先生は優しかった。私が三つ編みに憧れているのを見て取って、肩に付くか付かないかの髪を黒い櫛で綺麗に梳き、三回編んでぎゅっと締め、赤いゴムで結んでくれた。画家の叔父は優しかった。画用紙からはみ出しそうな烏骨鶏を観たあと、きみしか描けないものをきみは描く、と真理を掴んだ人のように言ってくれた。隣のお婆さんは優しかった。 家族の外出中に私が帰宅すると、必ず家に招き入れ、リウマチの指を苦労して動かしながら、紅茶とお菓子を並べてくれた。友だちもみんな優しかった。彼女たちの優しさは時に複雑で、刃物や劇薬をその懐に忍ばせ、私を切り刻んだり卒倒させたりもしたけれど、最後は必ず優しいだけになって、あたたかな抱擁をくれた。両親も、きょうだいも、私が求めるまでもなく優しさをくれた。惜しみなく、無償で。

親切と優しさはたぶん違う。親切は、私たちに備わる器官を使って行うものだ。手を添えて歩行を助け、車に乗せて距離を縮め、声をかけて道筋を示し、口角を上げて安心を与える。そして、少しだけ、見返りを求める。僅かであれ、虚栄心を満たす。
優しさは、見えない心を掛けたり傾けたりするものだ。たとえそうすることで何かが苦しくなろうとも。後先を考えず、心の逸るに任せて。
受けた親切に対し、私はお礼を言う。しかし、差し出された優しさには、涙で報いるしかない。

思い出すたび、私は冥福を祈る。安らかな眠りがあなたの今にありますようにと。別れるたびに、あなたは私に祈る。どうか穏やかに日々が流れますようにと。二度と逢えないあなたとの距離の遠さと、再び逢う日までの私の孤独の深さを知っていながら、あなたに追いつくことも、私の洞を埋めることもできない私たちはただ優しくあろうとする 。この場合の優しさとは、自分が無力であることを写し出す鏡が捉えた指先の微かな震えだ。その指はきっと慎み深くクロスして、心が動くよりも先に祈りを開始するだろう。

薄い背中を盾に変え、正しい優しさはないけれと邪な優しさはある、と娘が冷ややかに言ったことがある。往々にして彼女の発言は人を煙に巻く。だが、向けられている「誰」が誰であるかは「誰」である者がいちばんよく分かる。尤もあの時、優しさの正邪についてつまびらかに語られなくて良かった。おかげで終わりのない問いかけを私の中で継続させることができる。

イーユン・リーの『優しさ』で、ただ『運転手』として描かれるばかりの、ある人から受けた優しさについて、十八歳で軍に入隊し、訓練中にその母の死の知らせを受けて急遽帰郷することになった主人公は、その後何年も思い出すことになる。
彼の名は与えられていない。全体から見ればその描写に割かれた紙幅は僅かだ。だが、既に発車してしまった北京行きの最終列車に彼女を乗せるため、ジープを飛ばしてそれを追いかけ、待合所も券売所もない次の小さな駅で無事彼女を乗せたあと、車中の彼女に向かって敬礼し、直立不動の姿で汽車が出ていくのを見守り続けた彼から受けたその優しさについて、「見知らぬ人から受けた優しさはいつまでも記憶に残る」と彼女は述懐する。孤独を背負って生きることを覚えたのに、突然その孤独が耐えがたくなった、とも。恐らく運転手は人に優しくあろうとしたわけではなく、半ば義務感から生まれた行動の過程とその結果なのだろう。だが、受けとった側はそれを紛れのない優しさであると感じる。まさに時のごとく心の傷を癒し、その後の日々を守護し続けるほどの優しさであると感じる。

彼らは優しさを以て、私に私のしたいことをさせてくれたのだと今ならわかる。私を縛ることをよしとせず、むしろ私の縛りを解いてくれたのだろうと。いつの日か袋小路の猫になって、か細い声で救いを求めることになるであろう私に、ボタンを押せば忽ち再生される安らぎの映像を、鮮明なまま録って残してくれたのだと。
事実、そうして私は生かされてきたし、何度となく救われてきた。私の髪を編んでくれた保育園の先生の桜色の爪、好きな絵筆を使うときの指の昂る感覚、曲がった指が淹れるからこそいっそう濃くなる紅茶の褐色。それは執着からの解放、鉱脈を探り当てる鎚、孤独な手を暖める焔だった。
貴州省郊外の小さな家のベッドを私に明け渡すために、深夜の道を抜けて親戚の家に泊まりに行く友の、はっきりとしたシンコペーションでゆっくりと遠ざかる足音。ダブリンの寮母さんが、苦労して手に入れたレシピ本を片手に持ち、文字通り首っ引きで作ってくれた、寝覚めの悪い夢のような和食という名の洋食。パソコンの小さな画面で『グリーンマイル』を観ながら、鼻を啜っているのを誤魔化すようにホットミルクを啜る娘の、小刻みに震えるあの正直な細い肩。それは、彼らが私に優しくあろうとしたわけではないのに、私が受け取った優しさの残像、あるいは残響なのだと思う。繰り返し脳裏に甦りながら、静かにこの鼓膜を震わせ続けながら、私の手を何度も握り直してしてくれたものたちなのだ。

粉砂糖にも似た記憶を頼りに、薄氷を踏むかような足どりでそろりそろりと生きている、折紙で折ったいびつな花のような母は、私のよく知っていた若かりしころの母とはずいぶん違う。湯水のように日常を失い始めた時は戸惑った。感情に圧されて、覚束ない着替えを手伝いながら滲む私の涙を、無邪気な母が指で拭う。真鍮のような色の髪をゆっくりと櫛削るうちに、少女の母が船を漕ぐ。
だから私は母に優しくあろうとするのだろう。受けとる優しさが私を救うのと同じくらい、差し出す優しさは緩やかに私を赦す。彼女にとっての「優しさ」で居続けることが、シナリオのない室内に射しこむ午後の光になる。

私の人生は優しさに包まれ、優しさに護られ、優しさに救われ、優しさに癒される日々だったとしみじみ思う。剥離を拒む哀しい記憶も身体に刻印された残酷な出来事も、傍らにある優しさの存在が傾く私の肩を抱く。
優しき彼らはもういない。彼らは私から去り、彼らから私は遠ざかり、彼らは年をとって優しさの振る舞いかたを忘れ、生死を問わず二度と逢うことの叶わない人もいる。だが、優しさはいつまでもそこにある。朽ちることも砕けることもなく、逃げることも隠れることもせず。ここではなく、そこに。

私がこの世を去るとき、私のみならず私にまつわる記憶の一切合切までも、それを持つ人の頭の中からきれいに失くなればいいと思ってきた。私が消えたあと、私という存在が端からなかったという状態が理想だと。私の冥福を祈る人はなく、私を偲ぶという行為、私を思慕する気持ち、私をめぐる追憶も一切なければいい。そうずっと思ってきた。究極の孤独から生まれたのだから、究極の孤独に戻ればいいのだと。
しかし、優しさだけは遺したい、と思うようになった。いつか私はいなくなり、私についてのあらゆることが消滅したあと、融けてぬかるむ春の雪道につけられた小さな誰かの足跡のような、布団で昼寝をした猫が残した楕円の窪みのような、吹き渡る風が彼方から運んできた懐かしい香りのような、私の優しさだけがこの世に微かに残ればいい。ここではなく、そこに。

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