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安心して泣ける場所がほしい

母さんが泣いているのが聞こえたのは、そんな夜だった。部屋から部屋を歩きながら、母さんは泣いていた。僕には聞いたこともない泣き方だった。僕は大声を上げたにちがいない。母さんが部屋に来て、蒲団を直してくれたからだ。「大丈夫、何でもないのよ」と母さんは囁いた。「いいからお休み」。母さんはベッドの足側の、窓の外が見えるところに腰かけて、静かに泣いた。じきに、母さんの肩がふるえ出した。僕は寝たふりをしていた。父さんが戦死してから、母さんはそんなふうに幾晩も泣いた。マーシーが聞いたのは、僕ではなく母さんの泣き声だったのだ。
(スチュアート・ダイベック『冬のソナタ』)

この世界から失われて久しい青山ブックセンター六本木店で、江國 香織の『号泣する準備はできていた』の背表紙が目に入ったとき、ためらうことなくその細い肩に指をかけたのは、タイトルのためだった。「悲しみの予感」とか「憂いの兆候」などであれば、人差し指はかるく螺旋を描きながら他の背表紙に向かっていただろう、気まぐれな蝶みたいに。「号泣」の二文字が、指の着地点を決めた。

あのころの私には、大声で泣く人を観察し、その一部始終を見届けたいという抗いがたい欲求があった。ナイフの瞳を煌めかせた反抗期の子の心を知りたい、という思いをおさえきれない親のように。微笑みを絶やすことのない恋人の胸の内に流れる感情の川の冷たさを確かめたい、と願うあなたのように。

文庫本を右手に持ち、レジを待つ人の列に並ぶ。前の人の、華奢な背中で波をたてる豊かな赤毛は、モンゴメリーの万年筆から生まれたアン・シャーリーを思わせる。本を持つ彼女の細い指の間から、トムキンズの小説のタイトルが切れ切れに見える─『優雅な生活が最高の復讐である』。本屋はいい。いつも何かが何かをはっとさせ、誰かの胸をうつ。
視線をあげ、透明な扉の向こうに広がる六本木の街に目を移す。一枚のガラス板で堰き止められた極彩色の夜は、真夏の午後より明るくて暴力的だ、と思う。

轟音に鼓膜をふるわせながら、地下鉄のホームでページをめくる。渋谷行きの混んだ車内で読みつづけ、アルバイト先の休憩室でもまかないを食べながら読み、最終電車の酔客の隣で肩をすぼめて言葉を追い、家の最寄り駅に着くころにはあと書きまですっかり読み終えて、ヨレヨレになったその本を、黙りこむ深夜の本棚に押しこんだ。淡い失望に肩を落としながら。
はたしてそれは、滑らかな前進をはばむ突起物が周到に配置され、ざらりとした不穏な感触を残す魅力的な短編集だった。しかし、心を乱されながらも大声で泣く人は、どこにもいなかった。登場人物のほとんどはタイトルの通り、おそらく「号泣する準備ができている」だけで、ほぼ例外なく不燃焼の状態にあり、火力が衰えてもなお消えない熾火を心に抱えたまま、ぷすぷすと燻りつづけているのだった。あるいは、その時が来れば一気に燃え上がることを予感させる、しかし点火までには長い時間を要する生木のような人たち─まるで私のような。

それから何年も経った今もときどき、私は時の引き潮に乗ってあの夜へと送り返される。そして、空から地上へと雨が落下するように自然に、涙を流すには何が必要だったのかと考えながら、白い貝殻を拾いあげる。あるいは、何が足りなかったのかと。
そして、その殻をかたく握りしめ、自分が生きたすべてのことの沖合いにむかって、静かに腕をかく。

いつしか泣くことの少ない子どもになっていた。押しよせる感情に涙があふれそうになると、眉間にぐっと力をこめたり、口角の両端を引きあげたりして、来たる決壊に耐えてきた。泣くなよ、と止められたことも、なんで泣くの?と咎められたことも、泣くなんて、と笑われた記憶も皆無であるにもかかわらず。

そうして、放課後の校庭で、大縄跳びに足を取られて大泣きする友だちを眺め、卒業生たちが、ドミノ倒しのように次々と泣きはじめるのを眺め、ドラマを観ながら、目を兎にしてそっと涙をぬぐう父を眺め、デパートのおもちゃ売り場で、かんしゃくを起こして泣きわめく子どもを眺めてきたのだった。厚い硝子窓の向こうにひろがる荒れ狂う海を見つめるように。
私だって、悲しかったし悔しかった。不安だったし恐かった。感情が欠落していたわけでもないのに、さほど苦労することなく涙を押しとどめられてきたのは、感情と涙腺の結合部分がどこかで壊れてしまったのだろうか。
あまりにも泣かないので、泣かせてやろうとする輩も現れる。からかったり、弄んだり、怒らせたりすれば、胡桃のように硬い心にも亀裂が走り、目という裂け目から涙がほとばしるはずなのに、それでも私は頑として泣かない。悔しまぎれに、ひどい言葉を投げつけて走り去る彼らを見送りながら、私の瞳はさらに乾いて、涙というものの一切から遠くなる。

誰かが泣いている。
電車の中でのうたたねは、波打ち際の水遊びのようだ。遠くには行けない。電車がブレーキを踏むたび、漂う私は岸に引きもどされる。
耳という器官は目を頼りにする寂しがり屋だ。孤独には耐えられない。岸に上がった私は、声の源の方にゆっくりと視線を動かす。

険しい顔の人々の谷間に、毬のように愛らしい赤ちゃんがいる。わんわん泣いて足をバタバタさせて母の胸を濡らしてもなお泣きつづける。そう、毬というものは、弾むためにこの世に送り届けられる球体なのだから。私の心はぬるむ。
乳児のころの私は勘が強く、しきりに泣いたらしい。母はそのことをよく物語った。哀愁という名の果実酒を、愛情という名の炭酸水で割るときのゆっくりとした手捌きで。

─泣きやまないあなたをおぶって近所中を歩いたものよ。そのうち泣きながら眠ってしまって。たいへんだったけれど、ほんとうに可愛かったわ。

赤ちゃんが一段と声を張る。その声を咳払いが威嚇する。その躍動をため息が押しつぶす。その母を刃物のような目と目が刺しぬく。
だしぬけに高齢の男性が立ち上がり、鬱蒼とした人の林を分けいって2人の前に立ちはだかる。静かにしろと彼は叫ぶだろうか。うるさいんだと睨みつけるだろうか。子どもを連れて電車に乗るな、すぐに降りろと畳みかけるだろうか。にわかに漂いはじめた不穏な予感が、車内を満たしていく。どろりとした重油で汚染されていく海みたいに。

私は肩を怒らせるその人の子ども時代を想像する。ひょろっとしたからだつきの、タンポポのように柔らかな佇まいの男の子。それから、その人のあげた琥珀色の泣き声に耳を傾ける。そして、泣きたいという衝動を、阻害するものの何もなかった甘美な日々について考える。最後に、泣き声を疎むようになった彼の、その後の人生に思いを馳せる。
そしてそれは、彼だけの「その後」ではない。

子を抱いた母が、当惑した様子で立ち上がる。怯えたような足取りで、ドアにむかって歩みはじめた彼女の、その細い腕をどこからか延びてきた白い手が掴む。

─座ってください。大丈夫ですよ。赤ちゃん、泣いていいんですよ。

語りかける無言の手は、きっと私の手だ。
そしてそれは、私だけの「無言の手」ではない。

「涙が止まりません」というコメントの帯を巻く本が、ずっと苦手だった。「泣けます」とか「涙腺崩壊」といった言葉で手招きする映画や演劇にも食指が動くことはなかった。感動には涙がもれなくついてきて、喜劇も悲劇も涙なしには語れない、涙絶対主義の世界の中で、歌を忘れたカナリアのような私は、はっきりとした居心地の悪さと、うっすらとした孤独を長く感じてきた。私はあたりを見渡す。そうして、大声で泣く人を観察し、その一部始終を見届けようとする。そこには私が泣くことのできなくなった理由を解きほぐすヒントが、きっとあるはずだった。

もっとも、泣く人を嫌だと思ったことはない。体を涙で浸せば、アルコールよりもはるかに強い陶酔感を得れるだろう。泣き濡れる人は、煙る雨の中の紫陽花のように美しい。涙は繊細なフィルターで濾過された感情、不純物の排除された夜明けの雫だ。
だからといって、涙を流さない私を責めないでほしい。なぜなら、流さないのではなく、流れないのだから。涙はここにあるのに、流すことができないのだから。

泣かない私は、兄をうらやむ妹でもあった。「注射の日になると」と母が追憶を語るたび、幼い兄はうすい瞼で瞳にふたをした。自分が見えなければ他人も自分が見えなくなるに違いないと信じる、無邪気な子どものやり方で。

─出かける前からわあわあ泣いて、病院についたら体が千切れるくらい泣いて、先生の前で鼓膜が破けるほど泣いて、挙句の果てに吐いてしまうのよ。

そうして容赦というものを知らない母に、ことあるごとに干からびた話を蒸しかえされる兄は、幼いころの自分を悼むように、卵ボーロのような涙をほろほろとこぼす。

10代の終わりまで、彼はほんとうによく泣いた。涙が先陣を切り、喜怒哀楽が追随する。母は兄を意地悪くからかいながらも、そのことを喜んでいたのではないか。涙を流す息子は素直な少年であり、率直な青年だった。それは優しさの証左であり、柔らかな感情の暗喩だった。
そうであるからこそ彼女にとって私は、霧のむこうに心がある、捉えどころのない娘だったのだろう。あなたのことがわからない、と母に言われたことは、十本の指の数にも足りない。苛立ちを抑えきれない母が投げつける「どうして泣かないの?」という言葉を、私は小さな声で歌を歌ってよける。星のない夜空のような瞳を、その人に向けて。

娘が泣いている。
彼女の泣く場所は、観客のはけた後のがらんとした舞台と決まっている。もしくは、空気のわずかに濃くなる路地の行きどまり。人影のない、自分の影ばかりが大きくなる場所で、安心して彼女は涙を落とす。

小学校の卒業式から帰ってくるなり、今日泣かなかったのは私だけだった、と無表情で言ってのけた彼女の、瞳の奥の静かな凪をときどき思いだす。高校でつきあっていた人が、彼女の病気の重たさを理由に去っていったあと、あんなやつと縁が切れてよかったと言いながらそっと笑った彼女の、こわばった指の奇妙な形を今も覚えている。
彼女が、身体の中心に広がる洞穴を念入りに隠し、虚しさというものの一切を語らなくなったのは、あの時からだろうか。

誰もが泣いているあの席で、涙をこぼさない私を参列者は見ていた。薄情、と言い捨てて私に背を向けた彼の義姉がいた。大丈夫?と声を潜めて訊く彼の従姉妹がいた。泣かない私は、氷の心を持つ者としてカテゴライズされる─身体に血の通わない冷酷な人間として。

─なるほど、彼女があんな人だから。

私は、手のひらに血が滲むほど強く貝殻を握りしめる。

ずっと私の傍にいた10歳の娘は、そのとき心の栓をかたく締めたのかもしれなかった。後年、とある映画を観たあとの帰り道、私の顔をみないで彼女は言った。

─泣かないと、人に意見させるよね。でも、泣いたところで彼らを満足させるだけ。涙は、その人を知ろうとする努力を、怠けさせてしまうよ。満足させるくらいなら、誤解される方がいい。

彼女の涙の井戸は、あのときに涸れてしまったのかもしれない。あるいは、井戸にはたっぷりと水が湛えられているのに、それを汲みあげるための釣瓶を、つづく日々のなかで私が奪ってしまったのかもしれない。

絶え間ない身体の不調に病名がついたあとも、彼女はさほど湿っぽくなることはなかった、人前では。あなたは強いね、と病院帰りのバスの中で浅はかにも私が言ったとき、彼女はゆるく笑ったものだ。後に、閉ざされた彼女の自室から漏れる静かな泣き声をこの耳が拾いあげたとき、深い悲しみがゆえに涙を流せない人を、気丈という名のロープで縛りあげないでほしいと他者に懇願しながら私は、そのロープで彼女を括っていたのは、他ならぬ自分自身であったことにようやく気づく。

人は、涙を流す人からそっと目を逸らす。
涙は、もつれた感情を代弁する言葉以上に饒舌だからだろうか。落涙が穿った穴から感情がほとばしるのを恐れるからだろうか。困惑するし、厄介だから。つき合いきれないし、重たいから。
プラットホームで静かに泣きだした若い人を慰めたのは、人ではなく時間だった。入国管理局のカウンターで顔を覆い、その指のあいだから涙を落とし続ける彼は、不可視の人間として扱われる。そうして私たちは、涙にくれる人びとを視界から追い出し、世界から追放する。泣いている?と訊ねられた私たちは、全力でそれを否定する。泣いている人を見つめてはいけない。泣いていることを認められてはいけない。
ほんとうに、そうなのだろうか?

くだんの接濤の流れを塞きとめていた防波堤が経年劣化で決壊したのか、40代のあるときから、ときどき泣くようになった。
唐突に感情の糸がもつれだす。気がつくより早く涙が頬を突っ走り、異変を感じた肌が泣いていることを私に知らせる。私はただ驚きの目を見ひらいて、泣く自分の姿を内側から見つめつづけるだけだ。

娘の14歳の誕生日に、彼女が産まれた大学病院の小児科をあとにしたとき、それまで存在しなかった小さな石が、不意に胃の中で転がった。それは急速に熱を帯び、輝く赤に染まっていく。焼石となったそれは胃壁を焼き、次々と私の臓器を融かしながらすべてを燃やし尽くそうとする。熱い。
私の体が焔に包まれる前に、両目から溢れだした涙が私の身体を浸した。これまで流さなかったすべての涙を集めて涙は流れ、燃えあがる私を冷却した。
乾いた目をした娘と、涙をぬぐわずに歩く私を人びとはそっとうかがい見る。凍てつく彼女と、壊れたような私を、人びとの無言が見送る。

「見知らぬ人の深い悲しみ」(C.N.アディーチェ)という短編がある。暴力事件により、暴漢に投打されて意識を失ったままの恋人を持つ女性が、空港で別離を惜しむ家族の胸のうちを想って泣き、カフェで短い言葉を交わした父親を亡くしたばかりの母と子を見送りながら静かに涙を流す。
果実ならぬ、ある事実のナイフを突き立てられて深く抉られた心は、自分に関わりのない他人の悲しみですら強い痛みを感じないわけにはいかない。悲しみは越境する。あるいは瞬時に境界をなくす。

病院は、私たちが泣くことも泣かないことも許す場所だった。好奇の目も、憐憫の眼差しもそこにはない。今日び誰もが悲嘆にくれるあなたであり、明日あなたは悲嘆にくれる誰かになる。泣く人を疎む者もいなければ、泣かない人を謗る者もいない。泣けばいいのだし、泣かなくてもいい。

窓の外は黄金色の午後が横たわっている。1枚のガラス板を越えれば、かるがると手の届くあの絢爛の街に、はたして私は戻れるのだろうか、と思う。

あの人が泣いている。
難民認定申請のサポートをするためにはまず、彼らは物語らなくてはならない。なぜ国を離れたか。いかなる命の危険に晒されたのか。国に帰れない理由は何か。そうして語るほどに、彼らが喪失した2度と取り戻せない日常、褪せるどころかいっそう鮮やかになる記憶、暗い海底におろされた錨のような怒りが、明らかになっていく。
彼らはときどき激しく泣く。ブレーキを失くしたように涙を流す。それでも、泣きつづけることは少ない。ここで生きのびるためには、他者に自分の苦しみを語らなければならないから。泣くことは、あとで独りでできる。

聞きとった内容を文字に起こしていたとき、隣のミーティングルームから聴こえてきたのは号泣だった。キーボードを叩く音だけが空気をかすかに揺らす静かな部屋が、静まりかえる。静けさには奥がある。そして、その奥にある静けさは、破れてしまえば何ひとつ包み隠すことのできない薄い布に似ている。

すぐに、泣いているのは同僚が話を聞いている、某国の難民申請者であることに気づく。当初は留学ビザで来日し、大学院で学んでいたが、政変により過去の反政府活動を問われる身となり、逮捕を恐れ、帰国を諦め、日本に留まることを希望している男性だった。申請は却下されてしまい、異議の申立てをしたが、法的に就業できない状態が続く。折しも、長く家計を支えてきた、従来より精神疾患を持つ日本人配偶者の症状が悪化して仕事ができなくなり、深刻な貧困状態に陥っている。
暖房もなく、お湯も出ない。食事は日に1度、交通費を捻出できないので外出もままならない。先月分家賃は友だちが立て替えてくれたが、今月分の目処が立たない。そう言うなり目尻をぬぐった指から結婚指輪が転げ落ちたのよ、その同僚は語った。この3ヶ月で6キロ痩せたんだって。

あとで独りでできるはずの泣くという行為を、彼ができる場所はなかった。病んだ妻をこれ以上不安にさせることのできない彼は、この場所で泣くほかないのだった。好奇の目も、憐憫の眼差しもない、黙って彼を泣くに任せてくれるこの場所で。

一枚の葉書を鞄に入れて出かける。
焼石が胃壁を焼き、私を燃やし尽くそうとしても、涙は一滴も落ちない。

小さな川を渡り、河川敷を歩く。銀杏の葉の雨に濡れ、紅葉の雪を踏みしだく。そうして街に出て、花屋に向かう。
パンジー、ビオラ、スノーボール、スイセン、ハボタン、アリッサム、キンセンカ、カルーナ、オキザリス。店先にならぶ小さな花の苗は、低く流れる冷たい風に身をすくませている。

灯りを絞った店内は、暗い引き出しの奥で輝く鮮やかなパレットのようだ。フリージア、ラナンキュラス、チューリップ、アネモネ、バラ、ユリ、キンギョソウ。私は頭の中の真っ白なキャンパスに絵を描こうとするが、上手くいかない。

店の主の顔が、花の向こうから現れる。
彼女とは長いつきあいで、その人の前に立つと私は透明になるらしい。軽い口に世間話を任せながら、聡明な目が私の心の海を見つめている。その水の色を、その波の高さを2つの目が追いかける。話題が途切れたところで首をかしげ、何度か軽くうなずく。それから背筋を伸ばす。

─かわいらしいのにします?

私も背筋をのばす。

─はい、瑞々しくて、柔らかな感じに。
─瑞々しくて、柔らかな感じ。わかりました。

雲が動き、金色の朝の光が店をつつむ。息を飲むように音楽が止み、吐息を吐くように再開する。

─ Billie Eilish ? 'Ocean Eyes' ですね?
─そう。

─You really know how to make me cry
When you give me those ocean eyes

─私がどうしたら泣くのか知っているくせに
それはあなたの海みたいな瞳が私を捉えるとき

(Billie Eilish - 'Ocean Eyes' )

私たちは並んで花を選ぶ。絵具を含ませた絵筆をにぎり、呼吸を合わせてキャンバスに色を載せていくように。

彼女が花のむこうに消える。
花の園にひとり残された私は、命ある花たちが水を吸い上げるさまを見守る。光を浴びて煌めくさまを見つめる。それから、その花々が大切に運ばれ、その人の家に届けられるさまを想像する。そこまでだ。
突如、世界のすべての線が曖昧になる。

支払いを済ませ、頭を下げる。彼女が軽くうなずく。それから深くうなずく。

空気が冷たい。花屋を後にし、ふたたび歩きはじめる。
涙を流せる場所を探すが、見つからない。乾ききった、燃えるように熱い一対の瞳を見ひらき、私にむかって吹いてくる風をまばたきもせず両目に受けとめながら、銀杏の葉の降りしきる金色の初冬の街を、小刻みに震えながら歩く。

 ─最大の不幸に見舞われるとき、瞳は乾いたままだ。

  (フィリップ・フォレスト『シュレーディンガーの猫』)

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