見出し画像

罅(ひび)と響き

十一月某日 土曜日
 読書会が終わったあと、わずかに浮かせた腰をふたたび椅子に沈め、去りがたい様子で空のグラスを弄んでいたメンバー二人と話しこんだ。どこからそういう話に流れていったのだろう、初老の、すっかり出来あがった一人がまわらない呂律でよたとたと話しはじめた、かの森敦が書けなくなったとき、文体をですます調に変えたら書けるようになったとか、仏様に宛てて書くつもりで書いたら、止まっていた筆が進んだらしい、というエピソードに、私はそっと身を乗りだしたのだった。折しも、人は誰に向けてものを書くのか、ということについて、最近考えつづけていたところだった。提出期限の定めのない、しかし決して終わることのない宿題のように。
 もう一人の、永遠に出来あがることのなさそうな若者が、気の抜けたビールのような相槌を打ちながら五杯目のジントニックを頼む横で、私はブッシュミルズを干し、睡魔に襲われたふりをして目を閉じた。数日前に更新された、とあるWEBマガジンに、編集者の下窪俊哉さんの寄せた文章が、まだこの胸にあった。

 「――文章を書く場合、必ずあて先があります。私が書く場合、不特定多数あてとでも言うべきですが、われながら本当にそうか、と思ってしまい、不安です」。小川国夫『未完の少年像』の引用から始まるその文章は、「何か書こうとするとき、読者は、どこにいるんだろう」という問いに引きとられる。手にしたそれを見つめながら、下窪さんは考える。

「不特定多数あて」だとしたら「多数」だから、たくさんの人にあてて書かれていることになるが、「たくさんの人」とは誰で、どこにいるのだろうか。そもそも、文章を「たくさんの人」にあてて書くなんてことが、可能だろうか。
 まず、私たちは誰か特定の人にあてて、文章を書く。手紙や、いまは紙に書かないメールもたくさん書かれている。その人にわかるように、伝わるようにと思って書く。そこでは伝達を主眼としている。
 次に、私たちは自分のために書くことがある。もしかしたら未来の自分にあてて、ときには過去の自分へ手紙を書くようにして。あるいは、自分のなかに目をこらし、耳をすませて書く。そのとき、書くことは「探求の手段」となる。
 もう会うことのできない人、たとえば死者と話すために、書くこともある。文章のなかでは、その人と会えるのだから。
 実際には会うことのできない人、架空の人、大昔の人や、人間ではない存在との対話も、書くなかには存在する。
 小川国夫の短篇「未完の少年像」に登場する老作家は、そんなことを話す。小説として書いてはいるが、ここでは、晩年の小川自身がフィクションである老作家の口をかりて話していると考えてよい。
 この話から考えられることは、私たちは「たくさんの人」どころか、いつも「ひとりの人」にあてて書いているのではないか、ということだ。
 たとえ「不特定」だとしても「単数」(ひとり)にあてて書いている、ということになろうか。

道草の家のWSマガジン - 2023年11月号所収 
下窪俊哉『たった一人の読者のために』

 ならば私はどうなのだろう?
 私が書く理由ははっきりしている――記憶を埋葬するために書く。記憶の中では生きている、しかし現実にはもういない人たちに再び息を与え、言葉という柩に納めてその周りを季節の花で埋め尽くし、そっと歌を口遊みながらひとり静かに悼むために。身罷った彼らが、その存在を忘れ去られることで再び死ぬことのないよう、記録という強固な記憶のシェルターに半永久的に保存するために。ただ、そうした文章を、いったい誰に宛てて私は書いているのだろう。少なくとも、彼らのためではない、ということはわかっている。
 私はゆっくりと目をひらき、上気した顔で熱く語らう二人を眺める。針を外した時計のような時間が、ゆるやかに流れていく。
 今宵覚えた痛みは、いつか悼まれるためにあるのだろうか。今という刹那を、永遠のものにするのは何だろう。瞬きを捉えた写真は、それが消滅した後も永遠に残り続ける。オリジナルなき複製。喪われたことの証明。ならば言葉はどうか。日々に罅(ひび)を走らせる言葉。日々を響かせる言葉…。生まれては浮かび、弾けては消える泡のような思いも、時とともにゆっくりと流れていく。
 そうだ、追悼も埋葬も、亡き人に捧げるという形をとった、残された人のための儀式なのだ。不特定多数であれ、ひとりの人であれ、すべては生きている人に向けて書かれるのだ――私の場合、私のために。残された痛みを慰め、圧しかかる罪悪感を和らげ、死者の呪縛から束の間であれ解放されるために。私はもう一度目を閉じる。

 いつの間にか微笑んでいたのだろう、やけにごっ機嫌ですねー、とついに呂律の破綻した酔いどれ天使に囃されて、ええ、上機嫌です、と返しながら私は、記憶の抽斗をあけ、その中を探る。そして、山田稔さんが『記憶しつづけるということ』の最後に引用した、パトリック・モディア丿の『ドラ・ブリューデル』(邦訳題『1941年、パリの尋ね人』)を評した一文を取り出す。そこにはこう書いてある――「もはや名前もわからなくなった人々を死者の世界に探しに行くこと、文学とはこれに尽きるのかもしれない」。
 溜飲が下がると同時に、喉の乾きを覚える。ウイスキーをもう一杯飲みたいな、と思いながら私はレジに向かう。若くも美しくもないシンデレラである私は、硝子の靴を夢見ながら、履いてきたブーツをそのままにして、そろそろ家に帰らなくてはならない。

十一月某日 火曜日
 黄金色の銀杏の葉が、たった一人の観客のためにみごとな宙返りを披露したあと、静かに肩に乗った。この世に数羽といない、幸せの青い鳥のように。すぐに捕えないと逃げてしまいそうだ。私は慎重に指でそれを摘まみあげ、コートのポケットにそっと押しむ。この美しい葉が舞う日に生まれた、娘の幸運を祈りながら。
 今日で二十二歳になる娘のために、私は何ができるのだろう――決して平坦な人生ではなく、むしろ山あり谷ありの人生だった彼女の、これからもなだらかではないであろう人生のために。父親を失い、難病を患い、多くを堪え忍び、幾つも諦めてきた彼女はしかし、姿こそは華奢であれ野の花のように逞しい人だった。澄んだ声でヒバリのように囀り、穏やかなユーモアで他者を魅了する彼女の周りには、すでにたくさんの温かい人たちが居る。これ以上何が要るというのだろう。
 今朝は霜が屋根に降り立った。白い息を吐きながら、恋人との一泊旅行に出かける彼女を門の手前で見送った。回るキャリーケースタイヤの音と、軋む蝶番の音にかき消されまいと張りあげた、楽しんできてねという声に、彼女は笑顔で振り返る。茶碗蒸しを食べながら蕩けるように眠ってしまった二歳の小さな赤ちゃんが、請われてもブランコを譲らず級友から総スカンを受けた強情な三歳の少女が、ケージに潜入して犬に『ぐりとぐら』を読み聞かせていた無邪気な一年生が、葬儀では涙を零さず毎朝泣きはらした目で起きてきた気丈な五年生が、病の悪化を避けるため夏でも長袖で肌を隠し冬でも日傘をさして歩いていた沈鬱な中学生が、音楽に背中を押されわだかまる思いを歌に託すようになった繊細な高校生が、そうした日々を越え、遅蒔きながらこの世の生を謳歌している可憐な彼女の横顔が、早回しのフィルムのように次々と現れては消えていく。いつしか私は目を細めている。こんなにも眩いのはたぶん、朝の光のせいだけではないだろう。
 J・D・サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公、少年ホールデンが、大人になった暁に、自分が唯一やりたいと思う仕事を妹のフィービーに説明するくだりがある。それは、ライ麦畑の崖から落ちそうになった子供たちをつかまえる人(キャッチャー)だ。後日、家出をした兄のあとをフィービーは追いかける。困り果てたホールデンはフィービーを動物園に連れて行く。降り出した雨の中、園内の回転木馬に乗り続ける妹を離れて見つめるホールデンの姿と、厭世一色に染まっていた心の鮮やかな変化を描きながら、物語は終わる。
 私のキャッチャーの役目も終わったのだろう。これからは、彼女を信じ、遠くから静かに見守る人(ウオッチャー)でありたい。

十一月某日 木曜日
 追憶が用意する距離は、ものごとの触れられないほどの熱さや、痛みを覚えるほどの冷たさを、ほどよく温かいものに変える。そして、舌が麻痺するような辛さや、口が歪むほどの甘さを、微かに苦いものにする。ぽかん十号。山田稔さんの『Мさんのこと』を何度も読む。私もこんな風に書きたい。
 書いてみませんか、と編集者の真治さんより執筆打診のメッセージを受けとったときの驚きは、おそらく生涯忘れないだろう。夫の死を知らせる電話を受けたときの驚愕にも匹敵するほどのものだった。嬉しい報せであれ、悲しい報せであれ、まっ先に噴出する感情は当惑なのだと知る――その後の展開は天と地ほどに違うとはいえ。病院からの連絡を、私は何度も聞きかえした。真治さんからのメッセージを、私は何度も読みかえした。内容がまるで頭に入ってこないという現象も、そういえば同じだ。
 今朝、ポストの中に大きな封筒が入っていた。封を解き、本を取りだす。外階段に立ったまま敬愛する山田稔さんの文章を読み、次に掲載された私の文章を飛ばす。それから、玄関の上がり框に座り、錚々たる執筆者の、それぞれ個性的かつ唯一無二の文章を堪能する。真治さんの文章にスカッとしたり、クスっと笑ったりする。最後に、内堀弘さんの『青猫書房のこと』を読んで、深い溜め息をつく――「「忘れられるべく、忘れられる」のは阿部さんの希望だったのかもしれない。それでも忘れないごく少数の人がいて、私はその一人だ」。私もこんな風に書けたなら。
 寝しなに、内堀弘さんの『ボン書店の幻』を書架から取り出し、久方ぶりに紐解く。遠い日に父が貼った付箋が、はらりと散る。

十一月某日 土曜日
 きみから私をゆっくりと引き剥がし、その背中に枕を添わせる。夜が終わったことを、きみに気取られないようにそっと。そうすればきみは眠ったままだ。長い耳を羽のように広げ、小さな四肢をきちんと畳んだ形で、私がきみの朝ごはんの準備を終え、やわらかくその名を呼ぶまで。しかし、今朝のきみは違った。糖蜜色の鼻を布団から覗かせ、何かを感知した探査機のように左右に動かしたのだった。白く濁った目と、哀しいほど遠くなった耳の代わりに。
 私は、きみの艶やかな頭を撫でる。仕事に行かない土曜日は一時間だけ遅く起きる習慣を、きみが知っているとは思わない。況してや、今日は土曜日であるにもかかわらずいつもと同じ時間に起きる理由を、きみが気づくはずもないだろう。でも、すべては憶測に過ぎないのかもしれない。きみが何もかもわかっているということを、私が知らないだけなのではないか。途方もない寂しさや底なしの哀しみを、この小さな身体のどこかにそっとしまっているということを。私は滑らかなその頭を、大丈夫、大丈夫といいながら撫でつづける。
 週末。母が終日自宅にいるこの二日間は、人繰りに苦労する。私の予定を睨み、娘の仕事や私的な外出時間を聞きとり、都外に住む兄夫婦と連絡を取りあい、神のような隣人の都合をうかがって、緻密な介助シフトを組まなくてはならない。一人ではできないことが増え、予想できないことをするようになった母を独りにすることのないように。併せて、老いと病を抱えるきみの様子も、気にかけてもらわなくてはならない。
 おなかがしっかり膨れて、すっかり重たくなった瞼の降下に抗いながらきみは視ている。囁くように電話をしたり、首を傾げながらスマホを見つめたり、背中を丸めてノートに向かい、母ときみの今朝の様子を書き綴っている、ぼんやりとした視界の先に浮かぶ、霧の中の私を。
 八時。寝ぼけ眼の娘とその腕に抱かれるきみに手を振りながら、扉を閉める。それから、手の塞がっている彼女の代わりに、私が鍵を閉める。施錠の合図であるカチャっという音は、いつも胸を刺す。出かけることに何ら不安を憶えなかった日々のことを、私はもう覚えていない。
 姿なき追いすがるものを振り払うようにして門を越え、山茶花の垣根に沿って歩く。昨日まで孤独に咲いていた花は、たくさんの花に囲まれて早くも散っている。めぐる季節の中で咲き、終わる季節の中で散ることの当然に、束の間陶然とする。そして、蕾のまま咲くことなく崩れ、終わりを待たずに捥がれる花のことを考えながら坂を下りはじめたとたん、どうっと風が吹き、真紅が私の前を横切った。あたかも素早い猫のように。色が吹き溜まりに重なり、葉に戻るまでのドラマを観終えると、きみも眠りに戻ったかな、と思いながら歩く速度を上げ、駅までの道を急ぐ。

十一月某日 金曜日
 時間は押しているのに門を押さず、しばしその場に佇む。数日見ないうちに、庭は装いを変えた。腰ほどの高さになっていた秋桜は、身体を二つに折り、梔子の青い実が、また少し朱に近づいた。柚子の木の下には、狩りを永遠に終えた蟷螂が居る――在る、というべきか。その静けさに慄いた足先が、熟れた柘榴を蹴る。血濡れた何かに見える、と思ったとたん、さっきまで観ていたBBCニュースの画像が再生を開始する。修復したばかりだった感情の堤防が、もう一度決壊する。
 入管法改定で忙しくしていた日々は過ぎたが、忙しさは変わらない。不条理が跋扈し、寛容は夢物語となり、諍いはついに終わらず、差別が人の習わしである限り私の仕事は忙しいままだ。二十五年。罪深いことをしてきたわけではないが、罪とわかっていることを糾弾するでもなく、その原因を根絶やしにすることも叶わず、深く傷つき、遥かな道を来た人たちがこれ以上傷つくことのないよう、不十分なシステムの中でできることを僅かに提供することでそっとお茶を濁してきた私の欺瞞から、目を離すことができなくなっている。とりわけ、この六週間は。
 同僚たちもそうなのかもしれない。十月七日以降、声高に話し合う代わりに、言葉にならない思いを目で語り合っている。私たちは恐らくぎりぎりのところで踏みとどまっているのだろう。
 なぜ?そして、何のために?  

 職場に向かう電車の中で、左川ちか全集をひらく。夜の森のような感情から束の間逃れるように、詩と散文の森に身を隠す。「いまはあまり夢を見ません。見てもすぐに忘れてしまひます。疲れてゐるからではなく、夢を見ても最初に聞いて貰へる友達も居なくなったし、そればかりか現実は私にとってすべて夢だからです」(左川ちか『童話風な』抜粋)。

十一月某日 日曜日
 先々週は渋谷のデモに参加した。その後も殺戮は止まらない。今日は新宿のデモに参加した。それでもたくさんの命が消されていく。
 先に書いた「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデンが、傷心を抱えながらニューヨークを放浪するシーンがある。大人社会の虚偽や欺瞞などを目の当たりにすることで満身創痍となった彼は、言葉こそが人の元凶であると結論づける。言葉が人から無垢を奪う、言葉が人を汚すのだと。そして、真実を生きるためには、人の世から離れ、耳は聞こえず口もきけないふりをして生きよう、と決意する。尤も、最後は妹とのフィービーの無垢に、言葉もろとも救われるのだが。
 言葉は、人間の醜い活動を活写するためにあるのだろうか。侵略、戦争、爆撃、破壊、迫害、虐殺、殲滅…。他方、人間の内側にとどまる善を伝えることもできる、と思いたい。だが、そうしたことを語る言葉が、昨今容易に浮かんでこない。
 声を上げる人びとと肩を並べて繁華街を練り歩きながら、私はときどき目を閉じた。目の奥の闇の中に、夜の海を照らす灯台のように、輝くものを、導くものを探すために。決して事態を変えない祈祷、かくも聞き届けられない主張、それでもあなたを独りにしない共鳴、いつかあなたを救うかもしれない連帯…。

 手に言葉を握りしめ、醜い私たちは歩く。腕に言葉を携えながら、あえかな光を求めて歩きつづける。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?