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If

もしも私が30年前の私に戻って偶さかあなたと再会し、あなたに好意を告げられ久遠の愛を誓われたとしても、私はそれを拒むだろう。なぜならあなたはその20年後に、私をひとり置いて死んでしまうのだから。
好きだ、と密やかに囁いたその唇を奇妙な形に歪め、決して逸らすことのなかったその両目を頑なに閉じ、私の首筋に触れたその指を氷のように冷たくして、永久に沈黙するのだから。
そしてその死が私のあらゆる言葉を根こそぎ奪い、息の仕方を思い出せないほどに頼りない日々を与え、どんなに長い時を経ても鋭い痛みを私に与えつづけることを、のちの日の私は知るのだから。
だから私はあなたと絶対に恋に落ちはしない。あなたが伸ばす手を払いのけ、あなたが呼びかける声に耳を塞ぎ、あなたの涙が頬を伝うに任せて私は歩き去るだろう、あなたを置き去りにして。20年後の私がこの世界に、ひとり残されることのないように。

もしも私が神でさえ知らない人の寿命を知ることができるのなら、私の命が潰える頃合いに息絶える人を探すだろう。その人の胸に強く耳を押しあて、最後の鼓動を打つ日が私とほとんど同じであることが分かればもう迷うことはない、私は躊躇なくその人を選ぶ。
私の生涯心拍数がその人のそのそれより何万回か少なければなお嬉しい。私は誰かの死に怯えることなく心静かに自らを滅ぼすことができるし、その人の去ったあとに続く茨の道をうなだれながら歩く必要もないのだから。

そうした人を選んだ私は、シングルマザーというあまりに直截すぎて本来の意味から遠ざかるばかりの奇妙な名称を返上し、その人とともに穏やかで起伏の少ない日常を形成する。波乱万丈の方角へと舵を切った現在の私の生活とは似ても似つかぬような日常を。
その人は心身健やかで滅多に病気にはならず、人生なるものを丸ごと肯定している。繊細なあなたを支えることに必死だったかつての私のようにひねもす体を強ばらせることもなく、鼻歌混じりでしなやかに街を歩き、凪の心でスーパーマーケットのカートを押すだろう、その人と肩を並べて。5分をあけずにやってくる彼からの不穏なメールの着信音に怯え、震える指で液晶画面をスワイプしていた、あの頃の私とは別人のように。
私たちは手分けをして家事をこなし、それぞれの仕事に集中する。ときどき諍いをおこすこともあるだろうが、然して問題ではない。なぜなら、私たちには仲直りをする時間が潤沢にある明日が間違いなくやってくるのだから。最後に彼から送られてきたメールに返信した私の言葉が果たして適切であったのか二度と彼に訊ねる術のない、今の私とは違って。
家の中はたとえ灯りがなくても眩いほどに明るいだろう。今の私たちがすべての灯りを点しても心の暗がりから逃れられないのとは、対象的に。

当時小学生だった娘は、新しい友だちができるとその子の家族構成を確かめずにはいられなかった。おばあちゃんとお母さんとお姉ちゃんと住んでるんだって、と私に報告し、お父さんはいない、と言い添える。ことさら重要なことのように、うんと声を落として。
中学生のとき、お父さんがいないってばれちゃった、と何度か悔しそうに呟いた。高校生になると、海岸に打ち上げられた白い貝のように固く口を閉じた。父の不在の理由を問い質されることのないよう、あらゆる隙間を塞ぐように。
もしもその人が彼女の父親ならば、こうした一連の行動は影を潜めるだろう。その人を煙たがったり遠ざけたりしながら成長し、いつかマフラーに似た親子関係を編み上げるだろう。首にぐるぐる巻きにしてもなお余るような長さの、凍てつく世界からあなたを守護する暖かいマフラーのような関係を。首を無防備にして吹きっさ晒しの夜を歩いている今の彼女の存在自体が、まるで嘘みたいに。

もしかしたら彼こそが、神でさえ知らない人の寿命を知ることができる人だったのかもしれない。私が彼より遥かに長く生きることができると気づき、私を選んだのかもしれない。実際、彼は私の死に怯えることなく自らを滅ぼすことができたのだし、私が去ったあとに続く茨の道をうなだれながら歩くこともなかったのだから。
私が若くしてこの世を去ることが分かるが早いが、私が伸ばす手を払いのけ、私の呼びかける声に耳を塞ぎ、私の涙が流れるに任せて彼は歩き去っただろう、私を置き去りにして。しかし彼は私を選び、20年後の私をこの世界に一人とり残して、比類のない深い哀しみを私に与えたのだった。
だから私は二度とあなたと恋に落ちはしない。

娘は恋をした。娘は恋をしている。娘はまた恋を止めるだろう、恋が恋で終わるうちに。恋が愛に変わる前に。
彼女の明日もわからぬ病気は、今日び燃えあがった恋を明日も燃やしつづけることを妨げる。彼女は言う。明日新たな炎症が私の体内で発生し、万が一それが重篤なものであれば、良くも悪くも可燃性の恋などたちどころに燃え滓になってしまうのだから、と。
相手が結婚の夢を語るたび、子どもが大好きなんだと笑うたび、一緒にいたい、ではなくて、ずっとずっと一緒にいたい、と彼女に向かって無邪気に語るたび、彼女は恋を終わりにする。私は結婚を約束したくない、私は子どもを産もうとは思わない、私に明日はないかもしれない、と伝える代わりに。

もしも娘が神でさえ知らない自分自身の寿命を知ることができるのなら、彼女の恋は変わるだろうか。ときどき小火はあったとしてもその身を焔で包まれるようなことのないまま彼女の命があと半世紀続くことが分かれば、彼女は今日の恋を明日の愛へと進ませるだろうか。相手が結婚の夢を語ればそっと頷き、子どもが大好きなんだと笑えばともに瞳を輝かせ、一緒にいたい、ではなくて、ずっとずっと一緒にいたい、生涯きみと一緒にいたい、と彼女に向かって熱く語れば、私もずっとずっと一緒にいたい、生涯あなたと一緒にいたい、と澄んだあの声で木霊を返すだろうか。

わからない。

仮定は便利だ。仮定は甘美だ。仮定は私たちをわずかに救済し、仮定は私たちの汚濁をつかのま浄化させる。私たちの欠損を補填し、私たちの懇願に踵を返し、私たちの懊悩に心地よい解を差し出す。

だから私はときどき満身創痍のこの身を仮定の海に浸す。仮定は優しく私の傷を労り、張りつめた筋肉を緩ませる。痛みはほんの少し和らぎ、哀しみが微かに麻痺する。しかし仮定の海に沈むことのできない私の両目は覚醒したままで、私の生きる現実からどうしても目を離すことができない。

もしも私が30年前の私に戻って偶さかあなたと再会し、あなたに好意を告げられ久遠の愛を誓われたとしても、私はそれを拒むことなどできないだろう。あなたはその20年後に私をひとり置いて死んでしまうとしても、私はあなた以外を選ぶことなど到底できないだろう。
あなたの死が私のあらゆる言葉を破壊し尽くし、あたかも酸素の薄い世界に放り込まれたような息苦しい日々を私に与え、どんなに長い時を経てもあなたの像が私の脳から消去されることのないことを、はっきりと予感したとしても。

私はあなたと恋に落ちるしかなかったのだ。あなたが伸ばす手を払いのけ、あなたが呼びかける声に耳を塞ぎ、あなたの涙が頬に伝うにまかせて私は歩き去ることなどできなかった、あなたを背後に置き去りにして。

20年後の私がこの世界に独りとり残されようと、私は私の手を握るあなたの温かな手をしかと握り返し、あなたと肩を並べ、このほの暗い世界を歩くしかなかったのだ。

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