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「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」が肩の荷を少し下ろしてくれた

読みました。岸田奈美さんのエッセイ本を!!「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」

15時頃に自由が丘のブックファーストで購入して、17:00に読み終えて本を机に置いたところで、至福の昼寝タイムを終えた彼氏が、本、どうだった?と聞いてきました。

「はあぁあ〜、、、読んでみて、ぜひ。なんか。うん、読んだらいいよ。」

という、ただでさえない語彙力がさらに乏しくなって、相手にはこの本のことをかけらも伝えられずに、せめてこの気持ちを残しておこうと今に至っております。

岸田奈美さんの文章は飾らなくて素直で、頭の中の言葉がそのまま文章になって相手に話しかけて来てくれます。こんなにたくさんの感情を、特に辛いという感情をこんなにも味わうくらいなら、いっそ生きていない方がラクなのではないか、そういう辛さを経験して今に至るのだと思うから、だから明るくて豊かな文章が書けるのだなぁと、経験の分だけわたしの心にはふかぁく残りました。

読み終わる頃には、ぼうっと考えてました。もし自分だったら?今どう生きてる?逆に同じ様な境遇じゃなかったとしても今、私って何ができるんだっけ?と。

私が最初に岸田奈さんの文章を読んだのはnoteの投稿でした。赤べこの話、その後、お母さんに死んでもいいよと言った時の話。

心のどこかで、なんとなく埋まらない寂しさみたいなものってどこからくるのでしょうか?あの時〇〇さんの期待に応えられなかったなあという苦い気持ちや、私がああしてたら今家族はこうだったかもしれないなぁという後悔や、人と比べてできないことが目立って孤独を感じる時なんかがわたしの場合はそうかなぁと思います。

でもねやっぱり同時に思うのは、それほど他人の中にわたしはいないということです。

相手には相手の人生があって、親がいて、その人のコミュニティがあって、それぞれの悩みを持っていることを考えます。

わたしはずっと、言葉は人を助けるものだと信じてきました。きっとこの本で勇気づけられたり、今の自分を認めてみようかなと思える人がいたり(自分を大切にできたらもう半分解決した様なものです)どんな家族の形でも自分の家族のことを振り返ってみる人がいたり。

noteのURLで簡単にやりとりできてしまうやり方ではなくて、せっかくのこの重みを感じて、表紙のイラストやページの数字を見て楽しんで、巻末近くにある写真のサプライズに思わず笑みが溢れてくる、このエッセイ本という形で、自分の大切な人へお勧めしてみたいと思います。


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