目一杯の祝福を(または衣装が与えてくれた力の話)【しまさんの読むラジオ】
さて、先日は自分が参加してたミュージカルプログラムの、参加を通して感じたこと、チームのことを書いたのですが、今度はこぼれ話的なものをひとつ書きます。
▼この前書いたプログラムの総括
この総括でも少し触れたのですが、役づくり上大切となる「衣装」も、もちろん自分で考えて、自分で作るなり買うなりするのです。
その衣装が、演じる中での自分を力づけたと感じた話を書きたくなったので書きます。
あ、今回もちゃんと曲の題材があります。
YOASOBIの「祝福」です。
(余談ですが、ガンダムファンなのにみたことないんだよな、水星の魔女…)
僕の衣装は「逃げ」で「隠れ蓑」だったはず
すでにこのミュージカルの話を読んでるから知っとるわ!って人もいそうですが一応復習。
で、今回僕は「気品の緑」であったので、()内のモチーフに沿って言えば「ヨーロピアン」になります。
その大陸が決まった翌日には、「衣装はどんな感じで作るか」のレクチャーがあり、まずは演出側で調整するために、どんな衣装を着るのか、を教えてね!とお知らせされました。
大陸が決まり、衣装はこんなふうにしてね、というのが発表された時点で、すぐに「これを絶対に着る」という心づもりが決まりました。
それは、「スカート」です。
「男がスカート?」
実は、ヨーロッパには、男性の履くスカートの民族衣装があります。スコットランドの「キルト」がそれに該当します。
なので正しくは、「キルト」を履くことにしたのです。
理由は3つ。
ユーロピアンな男性の衣装で一番最初に思いついたのが「イギリス」のイメージだった
Twitter(現X)で見つけた、ロングスカートを履きこなす男性に憧れた
「男らしくいろ」という世の中と、そこに適応できない自分が嫌いすぎたので象徴的に着たかった
これらに共通するのは、「別の人になれる」こと。
以前、こんなnoteを書いたのに、結局「僕は僕である」ということを拒否したかったんです、少なくとも舞台の上では。
一方、このミュージカルにおいては、
着飾る分にはいいけど、
自分のありのままを演じて欲しい
と言われます(指導されますし実際指摘された。)
なので、衣装は「逃げ」で「隠れ蓑」であったわけです。殻にこもる、というか。本来そうあってはいけない、ものでもあったのかも分かりません。
衣装が教えてくれた、「僕たちが描くストーリー」
そんな背景は特に伝えず、衣装を申請したところ、演出は1発OKを貰い、作り、着れる状態するまで約1ヶ月くらい。
緑のベストとシャツ、緑と黒のチェックのキルトと、少し軍服風に。
初めて着たのは約1.5か月前くらい。
そのときは、みんなで衣装ファッションショー的なことをしたので、緑大陸の人で並んで衣装を見せるという時間もありました。
で、各大陸1人だけ、衣装の事を聞かれるんです。緑は僕にマイクが向けられました。
「どんなイメージの衣装ですか?」
「これスコットランドの軍服らしいんすよ、スカート。役が護衛なので、軍服が良いかなと。」
とまあ、そんな話をした記憶。
そのときは特段気にしてなかったんですが、「他の女性陣の衣装より短いスカート」「ハイソックスが若干短い」のもあり、陰で弄られてたみたいですね。知るか。
そんな声も聞こえてたけど、先述のように
ので、貫いてたんですよね。本番もほぼ変えずに。
衣装自体は、そんな「現実世界に対する政治的主張」まで包み込んだものだったのですが、そのつもりで着た衣装が、予想以上に自分のキャラクターを強化したことを感じたんです。演じてる中で。
ミュージカルの中盤、全ての大陸が交流していく中で、それを快く思わない大陸のボスが、大陸同士で、「われらの仲間を守る」ことを大義名分に、戦争を始めます。
相手がけしかけてきたからには、自分たちの仲間を守るために戦わねばならない。だから戦う。
そういうシーンを演じた時に、「逃げ」で「隠れ蓑」のはずの衣装が、「これなら戦える、1番の怒りとともに「護衛として」演じられる」と思えてきたのです。
衣装を着ての練習を重ねる度に、そのシーンの時だけ何もかもを剥き出しにして、なんなら人を何人でも殺せてしまいそうな、怒りをもって演じれてたんです。(今できるか、と言われたらできない気がします笑)
自分が嫌いだった「やさしくて、気の回るところ」を「泣き虫」と訳していいなら、そんな自分が全くいない、「男らしくない服装をした、いや男らしさを全否定した衣装を着た、怒り狂って戦う男」になっていたんですよね。
それまで弱気で、自信が無いはずの自分が、(異常なまでの)強さを持った瞬間だった気がします。
でもそのシーンは中盤。
それでは終わらない。
その後のシーンは、戦争で嘆き悲しみ、でも立ち上がり、世界は時を遥かにすぎて、平和になり、全ての人が手を取り合う世界になります。
その「たがいにみんなで手を取り合う世界」を表現しなければならないのです。ここまで怒り狂った後に。
このミュージカルプログラムは、普段の生活にはない、多くの「自由に考え、表現する場」が沢山あります。(といいつつもnoteで好き勝手書いてますが笑)
「手を取り合う世界」のシーンでは、ダンスこそ決まってるものの、その表現はどうするかが決まっていません。役柄ももちろん決められてません。
そのダンスがかなり激しく、難しいので、ダンスするだけでも大変なんですが、慣れてきてからは「どう演じようか?」を考え始めてました。
しかも、怒り狂ったそのあとに(いくつか場面が挟まって時間があるとはいえ)。
そんな中、仲間に言われたのが「そのシーンの時には、もう「素の自分」としてそのまま居てみれば?」でした。
そのままの役ではなく、もう戦争で死んだことにしちゃえ、と。
素のままの自分を演じる、ってどういうことだ?と悩んでいるさなか、出会ったのが「祝福」のこの歌詞だったのです。
ここから先、「自分」という役を選んで、演じることにしたのなら、自分で選んだ道を、定められたストーリーの中にとどまらず、そのまま飛び出せばいいじゃないか。
もう、「緑大陸の護衛役」という呪縛なんか解いて、感じるままに踊ればいいじゃない。歌えばいいじゃない。さあ。
そういうことなのかな、と、偶然移動中に聴いたときに感じたのです。
もっと、強くなれる
あの衣装も、最初は逃げていたのかもしれない、ただ隠れたかった、現実世界が嫌いで逃避の先に生まれたものなのかもしれない。
でも演じる舞台とは向き合い続けたことが、現実世界においても役立つものをたくさん掴ませてくれた。
(という話は以前書いたnoteにたくさん書きました。笑)
衣装をもう着てないけど、僕は、前よりもっと強くなったと思います。
怒りの力を湧き立たせてくれて、戦争のシーンを演じる時に力をくれた、不思議な衣装。
世界の皆で手を取り合う世界でも、舞う元気をくれた、そんな衣装。
着なくなっても、力をまだくれている気がします。
すでに1.5か月がたちましたが、それでもこんなnoteが書けるくらい、印象が残っているし、力をくれる。
これまでの僕は、「なんでこんな時代に生まれちまったんだ」「毎年生き延びるのに精いっぱいだ」と半ばあきらめることが沢山ありました。
でも、少しくらい生まれてきたこと、生き続けること、その全てまではいかなくても愛せるようになりたい。
世界がどうなるかわからないけど、いやすでにたくさんの怒りに包まれてるのかもしれないけど、いま僕にできることは「目いっぱいの祝福を」届けることなのかもしれない。
後悔ないように、日々を生きて、「誰かに祝福を(God Bless You」届けること。
これからもそうやって日々を生きていこうかしら。
▼YOASOBI「祝福」全歌詞
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