学ばない語彙
1学期が終わろうとしている(*アメリカ東の私立校で教師をしています)。
感謝祭の休みが終わると、あとはクリスマスの休暇まで駆け足で、バタバタと過ぎてしまうので今週の休み期間は生徒たちの作文を読み返したり発表のビデオを見直したりしながら保護者宛にレポートを書いている。
どんなタスクがよく出来ているのか、学年標準に足りていないのか、授業態度や遅刻、そしてこれから授業中や補習でどんな練習でスキルアップをしたらいいのかなど、細かに書く。
私は必須科目の世界史(主に中世から近代にかけてのヨーロッパ・アメリカ史)を10年生に教えているが、彼らの作文の技術はピンからキリで、同じ様な環境で育って勉強してきたであろう生徒たちなのに表現力や語彙力の差が大きい。
原因はなんとなくわかる・・・・読書をしてこなかった生徒たちは作文の力も低い。更に言えば、ご両親や兄弟が読書をしない家庭の子は語彙力も構成力も学年標準に3年から4年ほど遅れている印象だ。
同じ様な簡単で口語的な単語を使いまわしている生徒の作文には大きくVと書いている。Vocabulary (語彙)が足りないことの意味だ。
2学期はどんな方法で語彙力を伸ばすタスクを盛り込もうか、と考えているときにふと大学院時代の教授の言葉を思い出した。
”君、そんなことも知らないの?”
私は日本語が母語だが英語で学び、教え、生活を始めてすでに30年以上になる。
生徒たちは15歳なので、私が英語圏に暮らし教えている時間の半分しか英語を使っていない。それでも時々彼らが使う単語がわからないときもある。
単純に考えると私の方が使える単語は多いはずだが、生徒たちの語彙バンクと私の語彙バンクは中身が違うのだ。そしてそれは子供時代から成長期にかけて英語を使って生活をしていたかどうかで変わる。
つまり私はどんなに英語が”上手”でもネイティブ”みたい”でも、結局は”学んだ”英語を使っているということだ。(もちろんそれは悲しいことではない)
逆に私は日本語が母語なのに知らない言葉もある。
それは大学の専門用語だったり社会で使う言葉だったり、冠婚葬祭や税務署や裁判所で聞いたりする言葉だ。
”大人”になってからは外国でしか生活しておらず、英語では知っていても日本語では聞いたことも見たこともない単語が存在するのだ。漢字を見て大体の意味の予想はついても聞くだけでは はぁ? と思う言葉もある。
読書をしていてなんとなくしか理解していない単語もあると思う。
先の教授が ”知らないの?” と笑った単語は wand だった。
魔法の杖、というあのハリポタなんかが持っているあの棒だ。
それはハリポタ以前の話で、25歳の私はwandという単語に遭遇する機会がなかったため、”幼稚園児でも知っている”レベルの単語を知らず教室で笑われた。屈辱的だったが、知らんもんは知らんので ”知らんです” と正直に答えると
”日本には魔法使いはおらんのか!” と更に笑われた。
英語学習者はいろんなハンデがあるもんじゃなぁ、と思った出来事だった。
そして大人になりしばらく経ったある日、母と着物の話をしていた。
私は毎年卒業式に着物を着ることにしているが、いつも洗えるポリの着物を着ていた。だが以前、母の着物をいくつも持たせてくれたために、シルクの着物もたくさんあり、もったいないので着てみようかな、とスカイプで話していた。
”そんで〜今度は せいきぬ の着物を着ようと思うちょる” と話す私に、母が
”あぁ、しょうけん ね” と正した時に心の中は恥ずかしさで動揺していた(笑)。
互いの頭には 正絹 という漢字が浮かんでいるのに、私はそれをどう読むのか知らなかった。母も あら、シマチャンこんな漢字の読みも知らんと? と思ったであろう。私は賢い方の子供なのだ(弟は賢くないけど可愛くて優しい方の子供です)。
語彙とはとてもプライベートなものであり、大きくても足りなかったり、充実していても抜けているものがあるものだ。
自分のことを振り返りながら、生徒の作文に大きく書いた V の文字の脇に Variety(バラエティに富んだ言葉を使うよう)、と付け足した。
シマフィー
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