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選ばれなかった、ごめんね

今週はハロウィーンで沸き立つ我が校だがもう一つ大きなニュースにみんなそわそわしている(*アメリカの私立校で教師をしています)。

毎年春先に特別授業が3週間ほどあり、その選択科目の発表がこの時期に行われるのだ。
私立校だけあって特別授業の内容も豪華である。
キャンパスに残る生徒たちはプロを招いた映画作りのコースやこれまたプロによるテニスやバスケットのクラス、ミュージカルやエンジニアリングのコースも他所からプロを呼び集中講座が行われる。
そして同時にキャンパスの外で行われるコースもある。いわゆる”修学旅行”で10−15人ほどがグループになり国内外の旅行をしながら文化や経済や歴史を学んだり、ボランティアや研究をしたりする。
今年はアフリカ諸国、インド、中米、フランス、そして日本への旅行が決定しており、ひと月前に生徒たちは希望のコースを第5希望までリストにして申し込んでいる。
どのコースに決まるかは校長先生によるランダムで公平なくじ引き(Lottery)で、引率者や担当教師が参加する生徒を決めることは出来ない。

私が歴史を教えている10年生クラスにいるP君はどうしても日本に行きたかった。彼は別に日本贔屓というわけでもアニメが好きとか寿司が食べたいとか、そんな理由で日本を第一希望にしたわけではないことをここ2週間ほど毎日私に話しに休み時間に教室を訪れていた。

”僕は、ミスシマが行く旅行に行きたいんだよ。アフリカでも南極でもどこでもいいんだ、でも今年はニッポンに旅行でしょう?ミスシマと一緒に日本に行けるなんてもうそんな機会はないよ!必ず僕をリストに入れてね!絶対だよ!”

笑いながら私に決定権はないことを毎度告げてはいるが、そのたびに彼は
”Use your magic!(魔法を使ってよ)”とちょっと戯けた様子でヒラヒラと手を振って教室を出る。

私の生徒たちはみんな可愛い。日本に行きたい全員を選んであげたい。
だけれども人数制限があるからには誰かが選ばれ、誰かは選ばれない。
そして日本への修学旅行は毎回人気が高くウェイトリストには何十人もの名前が書かれ、たとえ何かの事情で一人二人選ばれた生徒が旅行を断念したとしても、その空きスポットに選ばれるチャンスはとても小さい。

つい2時間前に校長先生からそれぞれのコースの担当教師宛にクラスの名簿が送られてきた。
まるで見てはいけないものを見るようなドキドキを抑えつつ、薄目を開けて生徒たちのリストを見る。
学年順に並んでおり、最初の5人は12年生だった。かつて私の授業にいた可愛いあの子やあの子の名前が見えてちょっと口元が綻ぶ。
次の5人は11年生だった。そこにも去年私が担当したクラスの懐かしい名前が並んでいた。日本で美味しいラーメンを食べたいと言っていた彼も、渋谷のスクランブル交差点を何度も渡りたいと言っていた彼女も、リストに入っていた。
そして次の3人は10年生。
アルファベット順に並んだ頭文字はB・・・H・・・そしてZ。
Pはなかった。

選ばれなかった、ごめんね。

明日学校に向かうのが本当に憂鬱だ。
私のせいではないけれど、くじ引きだってわかってたけれど、競争率が高いことは承知してたけど、それでもP君の残念な顔を見るのが想像するだけで辛い。

教師はみんなに公平であるべきで、”お気に入り”を贔屓したりするのはもちろんタブーだが、もし私に選ぶ権利があったのならばP君を選んでいただろうなと思う。
誰にも言えないけれど、P君にも言えないけれど、そうしただろうなと思う。

”先生と一緒ならどこでもいい!”

そんな風に真っ直ぐに言ってくれる生徒を選んだだろうな、私、単純だからさ。

シマフィー


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