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ボンタンアメの風景

ボンタンアメをひとつ握りしめている。
あまり早く食べてしまうともったいない。
でも美味しいので早く食べてしまいたい。
長く手に持っているとオブラートが溶けてしまう。
次のトンネルが来たらこれを口に入れよう。

小学一年の夏、宮崎の田舎から1時間ほど離れた別の田舎まで、土曜日にひとりで汽車に乗っていた。母方のじいちゃんが国語の教師、高校の校長先生を退職したのちに自宅で習字教室を開いており、そこに通っていたからだ。

学校が半ドンで終わると、駅近くにある父方のばあちゃん家で急いで昼食を食べ、駅まで二人で歩き3両編成の汽車に乗る。
運転士のおじさんにばあちゃんが挨拶をし、おじさんはいつも通りに私を運転席のすぐ後ろの4人席に座るよううながす。
サンリオの稽古バッグにはパンツ、靴下、シャツなどの替えが入っていて、時々はこっちのばあちゃんがあっちのばあちゃんに贈るお菓子や果物も抱えて乗っていた。

いつも左側の席に座りばあちゃんにバイバイと手を振る。ばあちゃんにとっても私が汽車に乗って遠くへ行くのは土曜日のトップエンターテインメントであっただろう。それ以外は至って普通の日の普通の出来事しかない日々が続くのだから。
土曜の昼間、田舎から田舎への汽車は混んでいない。
まぁ、いつ乗っても混んではいない。
窓を大きく開けて、小さなテーブルに水筒とボンタンアメを置く。
当時はそばに小さな灰皿もついていた。
他にもお菓子を持って乗っていたのかもしれないが、記憶にあるのはボンタンアメだけで、大人になり汽車に乗るというイベントがある時には(それがタイでもヨーロッパでもメキシコでも)ボンタンアメを思い出していた。
”南国特産”とパッケージにあるが、自分は南国しか読めず、特産とはなんとなくすごく美味しいもののことだろうと考えていた。

ボンタンアメはアメではない。
私が知っていたアメとは固くて口の中でゆっくりと溶かすか、ガリガリと噛んでしまうか、のハードキャンディだったので、もちもちでぐにぐにのこれもアメと呼んでいいのかなぁと不思議だった。グミなどはない時代のぷにぷにのお菓子はボンタンアメと決まっていた。

昭和の子供のおやつは今ほどバラエティに富んでいるものではなかったのかもしれないが、スーパーや駄菓子屋に行くと目移りするほど食べたいものがひしめき、その一つか二つしか買ってもらえない。20円とか50円でいっぱい食べられるものは何なのか、いやしんごろの小さい私は毎回レジ前で悩む。

ボンタンアメは残念ながらその一つや二つの選考からは必ず漏れていた。
大好きで、大切に一つ一つ味わって食べるのに、どうしても買ってもらいたいお菓子ではなかった。
テレビで見たりキャラクターがついたチョコレートやクッキーやガムなんかがそれで、ボンタンアメは買わずともなぜだかポケットに入っているおやつだった。
お母さんや、ばあちゃんや、キヌ子おばちゃんやなんかに貰うおやつだった。

薄いオブラートに包まれ、小さなプレゼントの様に小箱にぎっしり並んでいる。
四角く淡いオレンジ色は、鼻に持ってくるとかすかに甘い柑橘の匂いがする。
ボンタンアメはばあちゃんに持たせてもらうおやつの中でトップクラスにオシャレで、可愛くて、大切だった。だから箱を開けて一気に全部食べられない。ちまちまと噛んだり舐めたりして、子供のくせにもったいぶって食べる。

汽車の窓から海が見えてくる。もうすぐ鵜戸神宮じゃろうか。
ざわざわとそよぐ濃い緑の植物の向こうに海が光り潮の匂いがする。
このへんにくると2列目のボンタンアメを食べる。
あと何駅かでじいちゃんが待つ駅に着く。

今日の晩御飯は何じゃろうか?
見たいアニメがあるけどエンエチケーしか見られんじゃろうか?
庭の夏みかんはもう食べらるっどかい?
いとこの姉ちゃんは自転車に乗せてくるっじゃろうかい?
この前見たカマキリはまだ生きちょるじゃろうか?

ぷー、と合図が鳴りホームに停まる汽車を降り、駅員さんがひとりしかいない改札で切符を渡す。待合室でじいちゃんが手を振っている。
いつもの様にねずみ色の帽子にねずみ色のズボンを履いている。
駅の外の壁に立てかけるようにじいちゃんの大きなゴツゴツした自転車が置いてあるはずだ。

ボンタンアメ、ひとつとっておいてあげればよかった。
毎回じいちゃんの顔を見るたびに思うのだが、毎回汽車を降りる前に全部食べてしまっていた。

それから時が過ぎ、私が高校生になる時に両親が鹿児島県に引っ越しをした。
もうその頃にはボンタンアメをくれる人はおらず、わざわざ自分で買うこともなかったのでしばらくはボンタンアメを忘れていた。
が、その何年か後に両親が家を建てた場所は、ボンタンアメを作る工場が窓下に見えるところだった。あそこから宮崎の田舎の汽車に乗る小さな私の元までボンタンアメは長い旅をして来ていたのだなぁ、と思うとその工場を見下ろしながら、自分とボンタンアメの運命の再会を嬉しく思った。

もっと大人になると、ボンタンアメは時々母から送ってくるケアパッケージに入れられて海を渡って私の元にやって来ていた。毎回は入っていない。
何ヶ月かに一つ、大きな荷物がアメリカの自宅に届けられていたが、その中に時々芋けんぴや海老センやふりかけに紛れて一箱か二箱入れてある。

勿体無いので一つづつ、口の中で転がし、ゆっくりと溶けるのを待ち、ぷにぷにがなくならないうちに奥歯で食感を楽しみつつ。
6歳の頃の私と何一つ変わらない食べ方で、ボンタンアメを食べている。

なぜだか濃い潮の香りや甘い醤油で煮た魚やばあちゃんのシワシワな手の感触やじいちゃんが漕ぐ自転車がキコキコと軋む音、母が点てたコーヒーや弟の笑う声まで、全部合わせて私のボンタンアメの風景。

シマフィー


*過去記事に加筆・編集しています

アメリカのスーパーにもあるんですよ、でも名前はボタン(Botan Rice Candy)でパッケージも不思議にレトロです、なんでやろ?


*トップの写真はセイカのHPからお借りしました。

**ボタンキャンディーの写真はTarget.comからお借りしました。

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