見出し画像

ふたりでありひとり

歯磨きをしていると、リビングの方から「おわいのけいちゃん~、おわいのけい!♪」という歌が聞こえてきた。そう、私は夫に「おわいのけいちゃん」と呼ばれている。私の名前から二転三転……七転くらいした超変化形だ。特に私を呼びたかったわけでもなく、ただ「おわいのけいちゃん」の歌を一人で口ずさんでいただけだったそうだ。

こんなかわいらしい夫との日々が毎日しんしんと積もってゆくので、エピソードに事欠かない。

大抵私は朝起きて一番、大きめかつ長尺のおならが出る。寝ている間に溜まっていたおならが一気にプーーー!と押し寄せてこの世界へ出てくるのだ(私だけ?と思うのだが、同じような方いませんかね?)。そんなとき、夫は決まって、ほとんど進んでいないほどの小走りで、あるときは無表情であるときは笑いを噛み殺しながら、こちらに駆け寄ってきてくれる。なんでも、駆けっこのスタートの合図のピストルが鳴ったのかと勘違いし、走り出してしまうようだ。また別の日には、プーゥー (⤴⤵)という珍しい音程のおならが出た。「『ZERO』の音程と同じだね!」と、うまいこと言えた!とでもいうように目を輝かせて伝えてきた。

ベッドの縁で膝を打った。後日、私の膝にできた内出血を見て、「あっ、紫!お芋みたい。秋だねぇ」と秋めいてゆく季節の移ろいを私の痣からしみじみ感じていた。感受性が豊かなのだろう。そう言われると、確かにサツマイモの皮の色をしていて、焼き芋が食べたくなった。

急に思い立ち、早朝ウォーキングをしたことがある。子宝祈願を兼ねて竹橋駅から歩いて水天宮へ参った。前日の夜に思い立ったことを翌朝に一緒に実行してくれた。お参りした後、喫茶店でモーニングを食べ、人形焼きを買って帰り、しっかりと昼寝をした。

急に思い立ったことをひとりではなく、一緒にできる人がそばにいることはなんてありがたいんだろう。ここにパートナーがいることの良さが詰まっていると私は思う。

ふたりでいるときと同じくらい、私はひとりでいることも好きだ。ひとりのときも夫がいることの心地よさを感じて過ごしている。帰ったら夫がいることや、それぞれで楽しんでいるけど夜には一緒にいられることがわかっているうえで別々にひとりの時間を過ごすことは、とても楽しい。

きっとそれは、ひとりだけど独りではないから。夫と一緒に過ごせることの安心感を携えて過ごすひとりの時間は、一人じゃなくて、二人でもない、その狭間に落ちた、とても幸福で贅沢なひととき。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?