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無理にがんばって気分を変えようとしなくてもいいという話

春なのに卒業ですか?
 
ここ最近はラジオを聞いていると新旧の卒業ソングがよく流れる。それもそうだ、3月だから。
その季節になると人はそんな気分になる。
 
そして外側の季節とは別に、個々人の内面にも季節というものはあるようで、ここ最近同じ曲ばかり頭の中でループしている、同じような雰囲気の音楽ばかりがグルグル回ってるというのはよくある話だ。
どうもこの頃そういう気分らしい、と。
 
心理学には「気分」と「情動」という言葉がある。
別に心理学でなくても日常的に使う言葉なわけだけど、心理学的にその2つの言葉の違いを挙げるなら、気分(mood)の方は比較的長期的なもので、「ここ最近なんとなく憂うつだ」みたいなのが気分で、それに対し情動(emotion)はどちらかというとシュッと上がってシュッと下がりがちな短期的なもので、「イラっとした」り、「怖っ!」って感じたりするものを指すことが多い。
 
どんな気分にも生存のためには必ず意味があるんだと思う。
ところが私たち人間は、時に、気分を変えていかないといけない場面があったり、気分に流されてはいられない場面があったりするもんだから、どうもこの社会はなかなか生きづらい。

だけど私は、気分ってそんなに無理して変えようとしなくていいと思っている。ある意味、そのまんまの気分に流されて生きる方が健康なのかもしれない。
なんとなくどんよりした気分、なんとなく静かにブルーな気分、心がポカポカ暖かい気分。
もちろんその気分の中にひたるのもいいし、その後には少し俯瞰してみて、ああ今、自分はそういう気分なのだ、と自身をモニタリングしてみる。
そんな気分を抗う(あらがう)のではなく、向き合うというか受け止めるというか。
今、自分はそういう気分なのだ。
聞きたい音楽があるなら聞き続けてみればいいし、居たい場所があるなら居ればいい。
今、自分はそういう気分なのだということを認知することに意味がある。
そのうちその「気分」と何か対話ができるかもしれない。

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