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「ティーチング」から「コーチング」の時代へ。その背景とは

ここ数年、再び真剣に「きょういく」と向き合うようになって改めて感じることがあります。

それは、これからの時代は「ティーチング」ではなく、「コーチング」を欲する時代になるであろう、ということです。

思いに至った背景を記しておきたいと思います。

戦後の人材不足。そしてもてはやされた「金の卵」

遡ること、70年あまり。
敗戦国・ニッポンは、壊滅的な状況でした。
一番の働き手であり、これからの日本を背負うはずだった若手世代が戦争に駆り出され、多くが「お国のために」その使命を果たしました。

ぽっかりあいたこの世代の穴埋めを急いでする必要があり、とにかく、従順な働き手を量産するための方策としてとられたのが、いわゆる「詰め込み教育」といわれるものでした。
義務教育を終えた中学生は「金の卵」として集団就職をし、働き手として社会に羽ばたきます。

金の卵≒量産された金太郎飴

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ほどなくして高度成長期に入り、日本経済は飛躍的にあがります。
家庭を持つ年代となり、第二次ベビーブームを迎えます。
この頃はいわゆる「一億総中流社会」といわれ、際立った貧困もなければ目立った金持ちもいないという時代。
どこを切り取っても同じ柄が出てくる金太郎飴のようでした。

都心では平均値と期待値の底上げが激化

この頃辺りから、「自分たちは中卒で苦労してきたから、子どもたちにはそういう思いをさせたくない」「周りより少しでもいい教育を受けさせて一流企業に就職させたい」という親の意向が反映され、いわゆる「受験戦争」というものが激化してきます。
そして、年を追うごとに、子どもの思いが置き去りになるような形で中学受験、小学受験と受験戦争は低年齢化していきます。

地方にはあまり情報が入って来ず、そもそも選択肢が限られている

一方、地方では、学びの場が限られているという問題があります。
今でこそネットの時代に変わり、地方にいても情報は取りやすくなりましたが、圧倒的に学校の数が少ない。
したがって、選択肢そのものがそもそもありません。

実は我が家も、以前は福岡県に住んでいたことがありましたが、夫のキャリアチェンジを機に東京に戻りました。
親族が関東にいるという理由もありましたが、東京という場には選択肢がたくさんあるので、子どもたちに行きたい学校を自由に選んでもらいたい、という強い思いがありました。
福岡はまだ恵まれた環境ではあると思いますが、それでも都心に比べれば選択肢が限られています。地元で小学校受験をしようと見回しても、国立が1校、私立が2校。地方になれば更に選択肢が狭まってしまうのではないでしょうか。

そして、自由がきかなくなった子どもたち。

都市部では、低年齢化するお受験戦争。
地方では、学び舎の選択肢がない状況。
加えて、第二次ベビーブームの時代に受験戦争に飲まれた世代が親となり、一層成績と評価に敏感になりました。

一方で、たった一人で35人もの大所帯を抱えるクラス担任。
旗を振り続けなければならない先生は、全員を平均的にみるのがやっと。
そして、平均を中心にどうしてもまわってしまうので、上位のふきだまり、下位の落ちこぼれが少しずつ目立ってきます。

実はいま、「特別支援学級」や「インクルーシブ教育」のニュアンスは以前のそれとは少し変わっていて、UNESCOの認識とも多少のずれが生じています。
それにともない、最近は地域格差だけでなく学校間格差も感じるようになりました。

評価を気にする親。先生。
それに振り回される子どもたちの中には、健気に「いい子」を演じてしまう子が出てしまいます。
そのうち、心に余裕がなくなりイライラしたり、人間関係がギスギスしてきたりするのです。

「井の中の蛙」にならないで、もっと大海を知ろう。

私たち大人は、子どもたちに与える選択肢が少なすぎると思います。
職場では今まであたりまえのようになっていた年功序列、終身雇用も崩れつつあり、必ずしもいい大学→いい会社へ進む道が「勝ち組」であるとは言い切れなくなりつつあります。
職場は少しずつ変化しつつあるのですが、教育に関しては教育勅語以降、約150年の歴史そのままです。そもそも学校が閉鎖的な空間になってしまい、地域、社会との交流がちゃんとできていないのが現状です。

社会に出た諸先輩方は、実に、多様な人生を歩んできています。
たくさんの苦労を重ね、たくさんの出会いと経験をし、今に至っている諸先輩方のストーリーに耳を傾けることで、自分のこれからの人生の参考になるはずです。
今よりほんの少しだけでも視野を広げてみると、いろいろな選択肢があるということに気づくはずです。
小学生、中学生のうちから人生の諸先輩方の話を聞き、なりたい自分と向き合って若いうちにどんどんチャレンジをして、世界にも目を向けてみる。そのなかでたくさん失敗を重ねていただきたいなと思います。
若いうちの失敗はリカバリーできます。ぜひ、安心してたくさん失敗してください。
たくさんの失敗を学びに変えた時、成功につながるはずです。
ただしそのとき立ちはだかるのが、大人の固定観念。評価と成績に左右されることなく、子どもの可能性を最後まで信じていただきたいと願います。

だからこその、コーチング

今までは、平均的な人材を量産するために、効率を優先したティーチングが主流でした。
これから世界はまだまだ人口増加が続くものと思われますが、日本国内のみで考えると、少子化が加速度的に進んでいきます。
AIの普及により、事務的・機械的な仕事や、一つの大きな仕事をトップダウンで分担してこなしていく仕事は減っていき、代わりに、自分の特性を活かして人と共創していく仕事がこれからどんどん増えていくものと思われます。
少数精鋭で、いかに生産性をあげていくかを考えていくために、未来を担う若者の得意な分野をどんどん伸ばしてあげる仕掛けが必要です。このときのかぎになるのがコーチングであり、的確なアドバイスと枝分かれした選択肢であると思います。
先細りした1つの道をきわめるのではなく、「こんな道も、あんな道もあるよ」という枝分かれした選択肢を提示して、不安を和らげてあげることができればと思います。

おわりに

アフターコロナで少し学校の様子が変わるかとも期待していましたが、いまのところ変わる様子はありません。それどころか、元に戻すためのしわ寄せがいろいろなところに出て来ています。先生方も子どもたちも疲弊しきっています。
評価と成績で決まってしまう現状では難しい部分もあるかもしれませんが、少しずつ評価と成績だけでない進路の選択肢も増えてきています。
若いうちにいろいろなことを経験させて、それを人生の糧にしてもらいたいな、と思います。

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私がいま、一番理想としている学び舎は「松下村塾」です。
松陰先生は29歳で亡くなっていますが、門下生は錚々たるメンバーです。
地方において、これだけの有能な人財を生み出した要因はなんだろう、とヒントを得たくて今年2月、久しぶりに萩の松下村塾を訪れました。
その道中、道の駅で松下村塾の再現シーンを見る機会に恵まれました。
松陰先生が実に穏やかな口調で門下生の話に耳を傾け、ひとつひとつ丁寧に答えている様子を見て、「これって今でいうところのコーチングをしているのでは」と思いました。
私自身、コーチングの技術を全く持ち合わせていませんが、少しずつでも身につけて、1ミリでも松陰先生に近づけるような存在になりたいと思います。




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