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「じぶん革命塾2020」でともに起業に関するエッセンスを学んでいる大谷育美さん。モンテッソーリ教育の英語幼稚園を福岡県北九州市で展開しています。
実は、私も2014年に再び東京に転居するまで14年ほど北九州市に住んでいました。その時は彼女とは知り合いではなかったのですが、今年はじめに訪れた萩合宿時に知り合いました。今回のセミナーで、以前私が毎日のように買い物に行っていたショッピングモール内でモンテッソーリ教育の英語園をされていると知り、また驚いたことに共通の友人も存在していたということで更に親しみを感じました。
私がインクルーシブ社会の実現を大テーマに持っているということ、セミナー内でいつも素敵な笑顔をふりまきながらモンテッソーリについて語る育美さんのお人柄に惹かれて、グループ内で一度モンテッソーリ教育について話をしていただきたいと急遽企画されたものです。
モンテッソーリ教育の概要と今後の展望について話しました。

モンテッソーリ教育って、なに?

最近、リーダーとして注目されている著名人がモンテッソーリ教育を受けています。
Google、Amazon、Facebookの創設者、オバマ元大統領、英国王国、ビヨンセ。日本では藤井総太棋聖が受けていたということで話題になっていました。

モンテッソーリ教育のルーツとなるマリア=モンテッソーリはイタリア出身。初の女医としても知られています。
女性と男性のジェンダーの壁にぶつかるなか、医師免許を取得。
その後フランスに渡り障害児教育に携わるとともに、セガン、イタール(アヴェロンの野生児)について学ぶこととなります。
ここで、障害児に対して教具を使うことにより同じくらいの生活レベルができるようになるということを発見します。それまでは、動きの激しい子に対し、何もない部屋におくるみで巻き付けて動かさないようにしていました。彼らに動く自由を与える、指先を使うような教具を与え、子どもの命を尊重するようにしたとき、ふと思います。

「健常児にこの教育を施したらすごいことになるんじゃないか」と。

早速、イタリアに世界初開園となる「Casa de bambini(こどもの家)」をイタリア・ローマのスラム街・サン=ロレンツォに建てます。(1907年1月6日)。

この地域は、親も子供もとにかく荒れている地域。盗み、破壊行為をしたり、ろくに食事も与えられず、いわゆる「教育」を受けていないいない子ども達50人くらいを一つの場所に集め、一人一人に対し、身だしなみを整える、手を洗って清潔にするところからはじめることにしました。

医師の『視診』の技術をフル活用し、とにかくみること、手段として観察するということをしました。

そうすると、1年で驚きの変化がみられるようになりました。
自分たちが暮らしているコミュニティを自分たちの力でよりよくしていこうとする姿を子どもたちの中にみつけることができることとなります。
このことは、のちに「サン=ロレンツォの奇跡」と呼ばれるようになりました。

世界中から視察に訪れる人たちが行列になってやってくるようになり、モンテッソーリ教育が知れ渡ることとなります。

モンテッソーリが発見したこと

モンテッソーリが発見したことは、主にこの二つ。
① 子どもの本来の姿
② 子どもの発達
医師の技術をフル活用し、とにかくみること、手段として観察するということをしました。

子どもの発達に関して。
従来の教育の考え方として、生まれたばかりの子どもはゼロスタートで何もできない存在であるとされており、そこから少しずつ積み上げるということをしていました。

モンテッソーリは生まれながらに自己教育力をもち、自らを発達させたり、リセットしたりして6歳ごとの発達段階を経て一人の人間になると唱えます。

3年スパンで上がり下がりを繰り返す(6歳ごとの発達段階)、発達の四段階を唱えています。

図中には赤と青の矢印があります。
赤い矢印は、身体的にも精神的にも猛烈に発達している時期。0歳の子と3歳の子を見間違えることはあまりないのではないでしょうか。
これに対し、青い矢印は緩やかな成長を表している。4歳と6歳の子なら見間違えることもあるかもしれません。

この図中は6年ごと×4段階=24歳までで一人の人間が形成されるとしていますが、大人においても同じことがいえます。
四柱推命を例にとると、男性は6年、女性は7年おきにサイクルを繰り返していると言われており、とても興味深い視点となっています。

育美さんが関わっている子どもたち


育美さんが関わっているのは第一段階の子どもたち。とにかくパワーがすごいのだといいます。
冷静に考えてみると確かにそうだよな、と感じさせられます。

思えば、生まれ出てくるその時、母親に対して子どもが自分で教えてくれます(陣痛をおこす)。しかも、自分の力で産道を通って出てくるのです。

また、1歳になったら大体歩き始めます。その時、親や周りの大人は特に歩き方を教えることはありませんよね。自力で勝手に立ち上がって歩き始めるのです。このことを「自己教育力」といいます。自己教育力に背中を押されながら自分で発達していきます。それを信じるのがモンテッソーリのイメージです。

実は、人間という生き物は第一段階で脳の90%ができあがる、といわれています。
つまり6歳までに90%できた中で生きている。シナプスの数などが決まってしまう(3歳までに80%ともいわれている)のです。
だからこそ、第一段階の重要性は特に大事なのです。

日本では保育士、幼稚園教諭の給料が安く、「ただ子どもを預かり、子どもと遊ぶだけなので誰でもできる仕事」と言われてしまう傾向にあります。

第一段階と同じくらい大事なのは第三段階(思春期)。
身体的にも精神的にも子どもから大人になっていく時期となります。親に反発する、自分が自分じゃない時期ともいわれています。

第一段階と第三段階では同じようなことが起こります。いわゆる「イヤイヤ期」も「思春期」も、親にとっては試練のような時期のイメージがあるのではないでしょうか。
第一段階で子どもの自己教育力を信じ乗り越えられたら、第三段階の時に同じことが起こっても、もう大丈夫。それだけ、第一段階は大事なのです。

発達の四段階を軸にしてそれぞれの発達段階に応じた環境を大人が用意すれば、子どもは自ら学び、人間本来のポジティブな姿を見せることができます。

人間のポジティブな姿とは、素直、従順、自身、自己肯定感、社会性、多様性、自律、自他尊重、チャレンジするイメージをいいます。
人のため、コミュニティのため、「私にはできる」という有能感をどの大人も子どもに求めてきます。
そこに対して、正解・不正解というものは特にはなく、子ども自身がポジティブな要素を持っていればこの子自身の人生が前向きで明るいものとなります。

過去、育美さんご自身は高校で英語の教師をしていたことがあり、不登校、ひきこもり、精神科に入院している子たちを指導されていたことがありました。
その時感じたのは「ポジティブな姿が抜け落ちていた」ということ。
第一段階以降に取り返すことはできるが、それをするには血のにじむような努力がいります。プレゼントできるのは大人を含めた環境次第。どうやって環境を作ったり、モンテッソーリ教育をするのかがカギとなります。

モンテッソーリ教育の三角形


モンテッソーリ教育の三角形とは、子ども、環境、大人という三つの要素が平等に関わり合っていて成り立っている状態を指します。
大人が子供に教えるということでもあり、大人は子供からも学びます。
更に、大人は環境を整える役回りとなります。環境から子どもが学ぶのです。そして子どもから大人はフィードバックをもらう。
いつも、これら三方向の関わり合いでモンテッソーリ環境を作るのです。

モンテッソーリ教育の大きな特徴として、大人は「教えない」「ほめない」「叱らない」というところが挙げられます。
大人は教えない。過剰に褒めない、叱らない。大人は環境を整え、子どもを導く。
Not teacher but director. の精神ですね。

モンテッソーリ園では、こんなときどうする?


ここでは、具体的にどのような方法で子どもたちと関わっているのかを教えていただきました。

【事例1】
子どもが洗濯のお手伝いをしています。
洗濯物を干し、バケツを持って教室に入った時にある子が、水をこぼしてしまったとします。
このとき、まず、先生方はこのあとどうしたらいいのかをいくつか提示します。
「雑巾でふく?」「先に水を片付ける?」「モップでふく?」といった感じで子どもに問いかけます。子どもが「雑巾でふく」と答えたら、「じゃあ、雑巾を取りに行こう」とその次になにをすればいいのか、導いていきます。
「どこが濡れている?」と子どもに問いかけながら、ふきかたを見せます。そうすると、それを見ていた子どもも一緒にやりはじめるようになります。
【事例2】
子どもが教具を使って数を数える練習をしています。
一生懸命ビーズを並べながら1000までひたすら数えています。
このとき、ほかの子は邪魔することなくビーズを数えているところを見ています。教師はちょっと困ったところだけたすけてあげる程度にして、基本、子供にまかせるようにしています。

イタリア語では手を使う仕事のことを「モンテッソーリのおしごと」といわれています。


お仕事の活動の特長としては、大きく二つ。

① 自己選択
教具を250位置いている。
子どもが何に興味があって、何がやりたいか、何が満たされるのかを自分で決めていく。日々意志の力を訓練する。

高校生で「将来の自分像が見えてこない」という生徒から、よく得意なこと、好きなことを聞かれることがあるのですが、モンテッソーリの子どもたちは1歳2歳の時から自分の意思を訓練しています。
いわゆる「フロー現象」を体感することですっきりしていきます。

② 一連の論理性を身につけることができる。
準備、作業、片付け、環境の中の論理性を身につけることができる。

1000個のビーズを数えるのには準備のほうが大変です。そして、それを片づけるのも大変です。
実は、環境の中にも論理性がうまれていて、いきなり1000のビーズを選ぶことはないのだそうです。
いろいろな論理性、自分がどこに向かっているのかという視野の工夫がされているのです。
しっかりと順序だてて考えているところが反映されています。

また、先生方の声掛け、関わり方がとても特徴的なものとなっています。
子どもがバケツの水をこぼした時は、対処法を伝える、選択肢を与える。意志の力を使うよう心掛けています。
また、子どもの導線の邪魔にならないようにもしています。大人は空気にならないといけません。あくまで主役は子どもなのです。

活動に関しては事実を伝えるようにしています。特に、大人の主観的な感情は植えつけないよう気遣っています。
アート活動で大切な声掛けは、「誰かのために」を強要しないようにします。
どんなことを表現したかを聞かないようにします。自分で語り始めるのを待ちます。自分の感情に素直に、自分の内側に向かって活動をしていきます。更に、自分で自分を認めるので過剰な承認も不要です。

まだうまく話せない子どもに対しては気持ちを言葉に交換するようにします。泣いてしょうがない子は一般的な幼稚園においては抱っこをして背中をとんとん、とたたきますが、モンテッソーリでは声掛けをするようにします。「お母さんがいってしまったからさみしいね」、などと声掛けをしています。

育美さんの教育観


受入と共感が大事。スキンシップを過剰にしないというのは教育者として大切なことです。ただし、親はスキンシップが必要となります。

朝はできるだけ徒歩で登園するよう指導しています。
育美さんの園では、抱っこでは登園しないようお願いしています。
お母さんと離れるのは精神的につらいけど、抱っこしていると身体的にも離れないといけないからなお辛くなってしまいます。
最初から2つの困難を子どもに与える必要はないのです。
自分の足で歩いていけば身体的なセパレーションはまぬかれることとなります。

徒歩通園とともにお願いしていることは「手ぶら園児禁止」。
子どもは手ぶらはダメ。
それはなぜかというと、自分のことは全部人任せになってしまうから。
自分の足に責任を持つ、荷物に責任を持つ、ということが責任感につながるのです。

日本における学校教育は教員の主観が出ており、視点が子どもにないのではないかと感じている育美さん。
私自身も、もう少し学校現場で勉強する必要があるのではないかと感じています。
「教える」は自分で「体験する」には勝てないのです。

0歳はお母さんが必要。1歳はコミュニティが必要。
昔はお母さん一人で子育てしていなかった。
おじいさん、おばあさん、近所のお兄さんお姉さん、などたくさんの人が子どもの周りにはいました。
子育てする人間が一人ではなかったから3歳までのコミュニティがあったのですが、今は完全な核家族化となっています。

Q&A

Q:小さい子どもにおいてはクレヨンを投げるという行為がみられることがあるが、誰かを攻撃するためなのか、どこかにむかっているのかがわからない。
A:そういう時は「投げたいんだね」っていってボールをあげる。
脳の神経がつながっていく過程の中で、いつか肩を鍛えなければならない時がくる。肩をふりかぶって投げるようなら、外に連れ出してボールで投げさせるとクレヨンを投げなくなる。

言葉を発しているときは動きが制限されます。発達が交互にやってくるのです。
実は、子どもは自分のことがわかっています。だからしているのです。それが、自己教育力です。
そこを大人は止めずになにか代替で発達欲求を果たすと全然違ってきます。自分が尊重されるという経験を出してあげる、ということが大事です。

Q:子どもにけがをさせてしまったときの対応は?
A:その子も悪気があるわけではないがデリケートな問題。
度が過ぎていくと、保護者と話し合う機会を設けるようにします。
理由があるようでないのです。愛情不足とか言うけど、一概にそうとも言い切れない部分があります。
発達上の問題を抱えている子もおり、一人一人深いところで出てきます。

理由があって押してしまう子がいたりすることも時折みられます。
その裏には「これがしたかった」とか「自分が持っているものを他の子に取られたくなかったから押す」という言葉が隠れています。
そういうときには「押すんじゃなくて返して」と言うよう心掛けています。そういう意味で言葉はとても大事です。


モンテッソーリ=宇宙を与える


ホリスティックとは、全体像を与えるということ。
モンテッソーリ教育では宇宙を与えています。

モンテッソーリ教育は「Cosmic education」ともいわれています。

これがあなたの住んでいる宇宙だよ
→あなたはここの中で生きているんだよ
→銀河系、太陽系があって、地球という惑星に住んでいるんだよ
→その中にアジアがあって日本があって福岡がある
→(ちっさ~:子どもたちの反応)

子どもたちのその感覚が素晴らしいのです。

学校の地理の教育では「私たちの町以外は広くて未知の世界だから行かない方がいい」「うちの中学校はこういうところがいいけど隣はこうだ」と言って、あたかも敵対するかのように違いを分けてしまう傾向にあります。モンテッソーリ教育は宇宙をあげる。それが「Cosmic education」といわれる所以です。みんな同じ宇宙の中にいて、たまたまタイミングがあってこの世界にいるんだ、と学びます。

地球の資源は限られている、だからみんなで分けるしかない、肌の色、言葉、なにも関係ない。
みんな同じ人間という捉え方を3歳にします。その子供には偏見、差別は世界の中には存在しないのです。自らのコミュニティをよりよくしようという延長線で、「子どもからはじまる平和教育」と言われています。

冒頭にも述べましたが、Googleはモンテッソーリの教育を受けています。限られた宇宙の限られた資源をどうやって使えるようにするのか。
だからこそみんなで作れるものを作ろう、みんなで使える社会のシステムを作ろう、という発想につながったのです。

子どもたちが大人になった時にどんなにいい社会が生まれるか。モンテッソーリはそこを目指してやっているのです。
モンテッソーリ教育を通じて平和と多様性と伝えたい(日本ではなかなか触れられない)と思います。広い世界を子どもたちに与えたい、宇宙を与えたいのです。

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