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先日オンラインで参加していた、「21世紀を生きるこどもたちをどう育てるか」。
この中で、「いまの人たちはヘッドファーストの方が多い、ただしこれから未来を見据えていくにはフットファーストでいかないとたちゆかなくなる」というお話をうかがい、はっとしました。


実はGoogleで「ヘッドファースト」「フットファースト」を検索しても、ダイビングの動画ばかり出てくるので、専門用語としてこのような言葉は存在していない可能性があります。とはいえ、言葉を聞けばなんとなくニュアンスは伝わってくるので、私の頭のなかで脳内再生されているヘッドファースト、フットファーストについて事例を交えつつ考察していきたいと思います。

ヘッドファーストとは

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講演会の中で出てきた「ヘッドファースト」とは、頭先行。つまり、「物事を解決するにあたり、まず頭で考えてから行動すること」をさしています。

実は、今の日本社会においてはたいていの方の思考が「ヘッドファースト」ではないかと思います。

営業マンが営業活動をするときに、時間をかけて具に営業先のデータをインプットし、入念にシュミレーションをしてから営業に回るというイメージです。
そのときに、「こういう質問の仕方は相手に失礼にあたるのではないか」「ボロクソに言われたらどうしよう」など、実際まだ起こってもいないのに頭でダメなことをイメージしてしまいます。そして、そうならないようにするにはどう対処していけばいいかという逆算から、失敗しない無難なところで話を進めていくやり方です。

フットファースト

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フットファーストは文字通り「まず足から=とりあえず動く」ということをさしています。「足で稼ぐ」といったところでしょうか。

さきほどの営業マンの例でいうと、最低限のデータだけをインプットして、とにかく営業先に足を運ぶ。実際に営業先の方と何度も何度も会っていく中で、とにかく質問を重ねながら相手の反応をみていく。時には失礼な質問もあるかもしれないけれど臆せず質問をしていく。この繰り返しの中でこうしたほうがいいのではという方向性を見つけ出します。時には軌道修正をし、微調整をしながらよりよいものを探り当てる、というやり方です。

教育の世界で「ヘッドファースト」「フットファーストを当てはめるとどうなるか

例えば、あなたは今、中3のお子さまのいる保護者だとします。進路を一緒に考えていくなかで、お子さまにどのような声がけをされますか?

今までのご自身の失敗体験や経験をもとに、少しでもかわいい息子には失敗させまいと、頭の中で勝手にこういうビジョンを思い浮かべていませんか?

少しでもテストでいい点数を取ってほしい
→少しでも上位の高校に入ってほしい
→少しでもいい大学に入ってほしい
→少しでもいい会社に入ってほしい

と、「少しでもいいところ」をまず頭で考え、「少しでもいいところ」を目指すために、ついこのような言葉がけをする方がいると思います。

・テストで〇〇点以上取らないと××高校には行けなくなるよ
・通知表で「オール3」以上取れないと都立の学校受けられなくなるよ
・このままじゃ行く高校なくなるよ
・大学いきたいんだよね。。。
・ちょっとでも内申あげないと大変なことになるよ
では、次のような声掛けはいかがでしょうか。

・現時点では評価が××だから、チャレンジ校は、相応校、安全校はこのあたりの学校だね。これを頭の中にいれつつ進路の冊子やネットで気になる学校を調べて自分の行きたい学校をピックアップしていこう。
・実際に学校を見学していろいろ質問してみよう。
・将来自分がやりたいと思っていることはなにかある?
・もし、まだ自分の将来が見えていないようなら今の自分と相性のあう学校を一緒に探して、次の進路の時にまた将来のことを改めて考えてみよう。

私の中ではおそらく前者の声掛けがヘッドファースト、後者がフットファーストであると考えています。
どちらがいい、悪いということはないとは思いますが、大事なことは「主人公は親ではない」ということです。主人公の子どもがいかにしてストレスなく進路を決めることができるかを考えながら声をかけるということを心がけています。

教育における「ヘッドファースト」は心配性な親ごころが詰まった結果の産物だと思います。
それが悪いというわけではありませんが、子どもにとってがプレッシャーとなる声掛けは、本番に力が発揮できなくなったり、急に親に反抗的な態度をとるようになったりする傾向にあります。

自分はどういう親でありたいか

自身が子供時代の時はまさに親が「ヘッドファースト」な人でした。
期待に応えたつもりでも更に上の目標を設定される。そのため時間管理もばっちりされる。
心身ともに自由が奪われた形では、最高のパフォーマンスをすることができなくなってしまう、という負のスパイラルに陥ってしまった時期もありました。もう少し楽な形で学生時代を送りたかった、と当時を回想することもあります。

そんな自分が大人になって実際に子を持った時にどうかというと、これが不思議なことに親と同じようなことをしてしまうのです。数年前までは完全にヘッドファーストな人間でした。やはり、自分と同じ失敗をしてほしくないという思いが勝ってしまうようです。

数年前からさまざまな教育や子育て関係のセミナーに参加するにあたり、自己内省をすることができました。
いままでの高度成長期のような社会がこれからも続けばある程度ヘッドファーストの方がいいのかもしれない。でも、これからは必ずしもいい学校を出る→いい会社に入ることが最高のシナリオ、とは言い切れないのではないかと考えた時、ある程度子どもに任せよう、というフットファースト寄りな考えに移行しました。

フットファーストになるということは、数多くの恥をかいたり失敗をしてしまったりする場面も多く出てきます。でも、取り返しのつかない決定的な失敗をしなければいいのでは、という発想に変わりました。

先日、「1回の成功をするまでに50回の失敗を経験することとします。3ヶ月で50回失敗するのと3年で50回失敗するとしたら、あなたはどちらを取りますか」と問われたことがありました。
私はこの問いに対し、迷いなく「3ヶ月」のほうを選択します。
同じ50回失敗するなら早いうちに細かい失敗を重ねたうえで1回の成功につなげたい、と考えるからです。

失敗しそうになった時、親が先回りして失敗しないようにナビゲートしてしまうとなかなか失敗を経験することがありません。それを繰り返してしまうと、ある時取り返しのつかない大きな壁にぶつかってしまった時、再起不能になってしまう危険も秘めています。
再起不能に陥らないためにも、細かい失敗は見守る。失敗した中で学びを得て、同じことを繰り返さなければいいのです。

人生100年時代。1度や2度の失敗は糧になり次につながるはずです。
もしかしたら、失敗を失敗と自覚しないまま軌道修正することもできるかもしれません。そこまできたら怖いものなんて何もありません。
これからも、「かわいい子には旅をさせよ」と、成功する喜びと失敗する勇気を与え、常に見守り続けていきたいと思います。

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