見出し画像

震災は私を構成する。

「とあるひとりの被災者だった自分」が、徳島に進学してから「貴重な経験を持った若者」に変わった。それと同時に震災と向き合う時間が増えた。

見えてきたのは震災は私の人生に多大なる影響を与え、これからもきっとそうなること。


過去は今日を構成する。

グランマ・モーゼスというアメリカの著名な画家がいます。特に彼女に詳しいわけでもなく、絵を気に入っているわけでもないのだけど、ただ彼女が残したある言葉が好きです。

人生における今日は、いつも過ごしてきた過去の集積

過去に関する名言の定番は、やれ振り返るなとか、やれ変えることはできないとか、あまりポジティブには書かれないですよね。無限の可能性を潜めた未来の対比として動かしようのない過去はあまり良い扱いは受けていないようです。

ただ、変えられないからといって無用なわけではないでしょう。未来に焦点を当てると存在感は薄れてしまうけど、今に焦点を当てるならば紛れもなく過去は財産です。

その点を一言で言い表している彼女の言葉がはとても素敵です。そして、今日という日、私自身を構成しているのは紛れもない過去なのだと。


震災と東北の私。

私があの震災を経験したのは中学1年がもうすぐ終わろうとする春先でした。

今までとは明らかに違う揺れ、見慣れた光景を黒く染める波、水すらも手に入らない日々、家族の安否すらも分からない浸水した学校での孤立、愛犬の死、インフラが絶たれた生活、泥に染まった私の街、、、


それらの経験を語るたびに人々は顔を曇らせ、言葉少なく「大変だったね。」と声をかけてくれる。けれど、それらは東北では決して珍しいことじゃなくて、むしろ大半が経験している出来事なのです。
(比較するものじゃないと言われるけど、私よりもよっぽど辛く苦しい経験をした人は多くいると思ってる。)

東北で生まれ育った私たちにとって震災は、皆が等しく経験している痛みであり、おかしな話かもしれないが、被災しているのは当たり前のこと。つまり人生の経験として通過してきたものであり、特別な経験という認識がなかったのです。

それをはじめて特別なもの(或いは人生に影響を与えた出来事)と認識したのは高校3年生のとき、実に震災から4年半が経っていました。その認識とは大学進学を考える際に、「まちづくり」を学びたいと思ったこと。その根本には「震災で失われた故郷が創造されていく姿を間近で感じたこと」にあると気付いたのです。

それは同時に震災が自分の人生に影響を与えていると初めて自覚した瞬間でもありました。


震災と徳島の私。

晴れてまちづくりを学ぶために徳島に進学した私は、間も無くして震災を経験した貴重な若者として話をすることになりました。その後も学校や防災イベントなど県内各地に読んでもらい震災経験を伝えました。

それは初めて私が震災と正面から向き合った日々でした。当時の自分の行動、何を感じていたのかを思い出し、地元の被害を調べ、どうすれば伝えられるかを考え続ける。それは東北にいたらできない経験だったかも知れません。

徳島に来て震災と向き合うことで、私の人生にとって震災というのは大きな存在だということをより深く知ることができたのです。



震災は私を構成する。

今の大学の進学を決めたのも被災地での生活があったから。大人数の前の講演やプレゼン力が磨かれたのは体験談を話す機会があったから。他にもたくさんの行動の根本に震災の存在があります。

もしかしたらそれは私自身の強い想いである「とてつもない理不尽である震災に意味を持たせたい」によって昇華させているのかもしれません。

なんにせよ震災は(今のところ)私の人生に最も影響を与えた出来事であり、今後もそうであり続けるのだと思います。それは決してネガティブなことではなく、過去の集積のうちの一番大きな部分であるということなだけなのです。

きっと震災を経験した多くの人と同じように、震災は私を構成しているのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?