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【苦しい人生は無意味】僕の考える幸せな生き方について

こんにちわ。しまさんです。
今回は幸せな生き方について書いてみようと思います。

仕事も趣味も人間付き合いもお金も家族も、結局のところ自分の人生の幸せに繋がらないのであれば意味がありません。それは誰もがわかっていると思います。

幸せの形は人それぞれですが、幸せな生き方に僕は一定の型があるように考えています。誰に対して押し付けるつもりもありませんが、仮に迷っているなら参考程度にはしてみて欲しい幸せの条件を詳しく書いてみようと思います。

苦しい人生は無意味

結論から先に言うと苦しい人生は無意味だと言うことです。
人生は誰もが一度しか経験できません。その一度しかない人生が苦しいならそもそも生きない方がマシなのです。遅かれ早かれ死ぬのですから。
こういうことを言うと、その人生の苦しみの代償としてそれでも「財産が残る」とか「子孫は残る」とか「人に喜んでもらえる」という考え方もできますが、それらはあなたが苦しまなくても残せるしできるものですので、交換条件として成り立っていません。
あなたが苦しむのをいますぐ辞めて、物事をいい方に捉えるよう考えを改め、将来の不安にも楽観的に向きあい、今を幸せな気持ちで生きることで、失うものや、残せなくなるもの、できなくなることは何1つないと言うことです。
なので残念ながら人生の苦しみは何かと対価交換されるものではなく、タダ苦しいだけなのです。

世界はあなたの認識によって成り立っている

この世界はあなたが認識しているから存在しています。それを証拠に世界を消したいならあなたが死ねば世界も無くなるでしょう。
人にとって物事の感じ方や向き合い方は違います。それは同じ物事でも10人いたら10種類の見方があるからです。世界に75億人の人がいるなら世界は75億種類存在しています。
あなたの人生にとってあなたが世界を創造している張本人であり、他の誰もその世界を本当の意味で理解することはできないし踏み入ることもできない。ということを念頭においてください。世界が先にあってそれを認識しているのではなく、あなたがいるから世界が存在しているということです。つまり、苦しんで生きるも、幸せに生きるもあなたの自由だと言うこと。

死を意識することで生きるのが楽しくなる

いつでも死ねる。いつか死ぬ。そうしたことを意識して生きることで能動的な生き方ができます。

誰もあなたを不幸にしたいとは思っていない(本人を除いては)

自分を不幸にするのはいつも自分です。頼まれたわけでもないのに、自ら不安要素に目を向けて自分の首を絞めることが苦しみの始まりになります。誰もあなたを不幸にしたいわけではないのです。なので、当然あなたは不幸になる必要はありません。

ですが、例えば不安や愚痴を習慣的に口にする人たちとは付き合わない方が良いです。どうしてかと言うとそう言う人たちは集団になりやすく、またその集団に参加してしまうと互いに不安を掻き立て合うので結果としてそこにいる人たちは大半が苦しい人生を送ることになるからです。なので、自分がどのようなコミュニティに所属するのかは重要。

仕事か趣味か家族か友人か健康か環境か

人生の幸せを左右するものとして仕事・趣味・家族・友人・健康・環境など様々なファクターがあります。ですがこれらの「どれが一番大切か」を考えることが苦しみの始まりだと僕は考えています。これらの幸せのファクターは相対的に成り立っているからです。どれも大切です。その都度気分で大切だと思うものを最優先にすればいいと思います。友人が大切な日もあれば家族が大切な日もあっていいのです。

それを前提として、僕がそれでも一番大切なものを選べと言われたら迷わず「仕事」と答えます。なぜならこの中で唯一お金を生み出すものだからです。お金が一番大切なわけではないですが、お金がないことで失うものは多くあります。きっと僕ももっと年を取ったら健康や家族が大切だと思うのでしょう。

稼げる仕事ではなく探求できる仕事をすること

僕は仕事人間です。趣味もないですし、友人もそこまで多くありません。恋人もいませんし、独身です。それでも毎日が幸せ。
なぜかと言うと、仕事が好きだからです。
重要なのは、仕事は好きだけど「ずっと」楽しいわけではないってことです。時々嫌なこともありますし、楽しいこともあるので「楽しいから続けている」と言う言葉だと誤解があります。
それでも仕事は好きであり、続けているのは探求し続けられるからです。
僕の仕事はデザインですが、デザインは技術領域に関しては何十種類もあり、思考方法に関してもこれまた何十種類以上あり、それら1つ1つが習得に膨大な時間を要するので、ほぼ無限と言っていいほどに深度が深いものです。なので飽きないわけです。

探求できる仕事は飽きません。特にデザインは毎日いろんなことに挑戦できるし、試行錯誤をして新しい何かを形にしたりできるので喜びになります。

では、稼ぎについては何も考えていないのかと言うとめちゃくちゃ考えています。ですが、デザインの場合にはなんやかんや言うても稼げる額は運任せな要素も多分にあります。極端な話、デザイン依頼が来なければ稼げませんので。その運任せな要素も僕に取っては好きな部分です。ある日突然稼げなくなるかもしれません。ですが、それは裏を返せば突然売り上げが上がることもあり得ることを意味します。そのドキドキ感も含めて「今の自分貧乏だなワロタw 次は何が起こるのかね」と楽しんでるわけです。

持って生まれたスタイルは変えられないと悟るべき

僕は人それぞれの生き方のスタイルがあると考えています。
バイオリズム、物事の捉え方、楽しいと思うこと、つまらないと思うこと、、など。これらを変えることはできません。
なので、誰かに憧れて自分を変えることをする必要はないと思います。一時的に自分を変えることはできても、またすぐ元の自分に戻るからです。
そして真面目な人だと元のダメな自分(と思っているのは自分だけですが)に戻った時に「やっぱり自分はだめだ、、」と被疑してしまったり自信を無くしてしまったりします。自虐のわかりやすいパターンです。

あなたが努力して何かになろうとしても報われることは少ないと思います。
なぜなら、それを天然でできている人には勝てないからです。

なので、あなたはあなたが天然でできていることをより伸ばすべきだし、そうすればきっと誰にも負けない自分になれると思います。そして、当然ですが本人の幸せに比例して収入も上がると思います。

無駄に恋愛をしないこと

恋愛は楽しいですよね。わかります。でも僕は全くと言っていいほど恋をしません。どうしてかと言うと恋をしている自分がまずダサいから嫌いですし、さらに費用対効果も見込めないからです。なので探求もできません。だってそこに答え(相手)がいますからね。相手がいることに関してはわからないことは相手に聞けば教えてくれます。
僕は、二人の関係を二人で大切にするよりも、信頼しあっているのならその二人で背を向けあい外の世界を大切にしていくことの方が有意義だと考えています。

そうは言っても恋は突然訪れるものですので避けようがありませんよね。そう言う時は徹底的に恋をするしかありません。どこまでも素直にどこまでも好きになる。仮にうまくいかなくても徹底的に恋はしないと、自分の気持ちにしこりが残ってしまいます。ですが、無駄な恋はリターンのない時間と出費を使ってしまうのでしてはいけないと思います。

生きてることそのものをよく咀嚼し味わうこと

人生はスルメです。噛めば噛むほど味が出てきます。
そんなに難しいことではありません。
例えば、ジムに通い始めてみる、普段は買わない野菜で料理してみる、朝起きる時間を変えてみる、あまり会っていない人に会いにいく、、、そんな誰もができることをすればいいだけです。
そしてその些細な変化を楽しんで見てください。
人は案外と目の前のことを見れていないことがあります。将来の自分や、過去に起こった出来事、周りの目線、不安なことなど頭の中で想像しているだけの存在しないものに意識を向けがちです。
決してそれは悪いことではないのですが、時折意識して目の前のことをちゃんと見てみると情報の鮮度が上がり、人生が豊かになります。

幸せと不幸は両方あって始めて感じ取ることができる

苦しい人生は無意味だと冒頭で書きましたが、正確には苦しい「だけ」の人生は無意味だと僕は思います。なぜなら幸せは苦しい時期があるからこそ感じられるからです。

例えば、僕がデザインのことをnoteで書いていて楽しいのは、初めはデザインができなかったからです。僕は初めから歩けるので歩き方についてわざわざ書きたいとは思いません。

同じように、ご飯が美味しいのはお腹が空いているから、稼げると嬉しいのは稼げなかったことがあるから、仕事環境に感謝できるのは環境がなく苦労したことがあるから、他にもあると思うのですが書ききれません。

嬉しい出来事はその逆を経験したことがある人でしか感じることができないものです。なので、幸せだけを求めるのではなく、不幸である時期も味わい楽しむことです。
不幸の周期は誰にでも公平に訪れますが、そういうものだと素直に受け入れて流れるままに身を委ねていれば幸せの周期が回ってきます。

高額なものではなく良いものを買うようにすること

僕は高級時計や高級車に全く興味がありません。それなりにいいものだとは思いますが、時間を見るならスマホで十分ですし、移動をするなら軽トラックでもフェラーリでも同じだからです。
なんなら軽トラの方が機材を積めるし狭い路地もスイスイ走れるので好きです。

でも、自分が良いなと思ったものはつい欲しくなってしまいます。
例えば、先日全く興味がなかったのにニアオートマタの2Bのフィギュアを買ってしまいました。あまりにも造形が美しくて感動したので手元に置いて毎日眺めたいと思ったからです。

それ以外にも、仕事道具は常にその時の最高のものを借金してでもなるべく買うようにしてきました。道具を揃えたらあとは自分の問題なので、自己成長を純粋に追い求めることができて仕事が楽しくなるからです。
Mac book Proはフルスペックしか買わなかったし、机や椅子も自分が一番良いと思ったものを金額を気にせずに即決で購入しました。

また服に関しても「着れれば良い」という程度のこだわりしか僕はありません。
でも、唯一僕が金額を見ずに買っていたAVAというブランドがあります。
デザインから裁縫までをしている個人で行なっているブランドなので、一点モノの服も多く着ていて愛着が湧きます。また着ているだけでメンタルがクリエイティブな方向に保たれる効能があるから新作が出た時はいつもチェックしていました。今でも大好きなブランドです。
(ただ僕が太ってしまったせいでAVAを着れなくなってしまい今は頑張ってダイエットしています)

良いものがたまたま高額なことはありますが、高額なものが必ずしも良いものだとは限りません。
本当に欲しくて買うのであれば良いと思いますが、“高額だから”という理由だけでそのもの自体をよく見ずに買ってしまうと、後から購入したことを正当化するために虚栄心を生み出しますのでご注意ください。

収入額に固着しすぎないこと

お金をたくさん稼ぐことは無理をすればそれなりに誰もができると思いますが、自分が幸せに生きるために必要な額と考えると、実はそんなに多くは必要ありません。
自分はどの程度の収入があれば十分なのかを今一度考え直して、仕事をするのも1つありかなと僕は思います。

「ともかく稼ぎはあればあるだけ良い」と考えることで実は失うものがあるからです。それは時間と余裕です。僕は空の青さやご飯の美味しさには常に感動していたいので、時間と余裕は無くしたくありません。

具体的な例としては僕は年に250万円程度の所得があれば十分幸せに生きていけます。それ以上は外注への依頼費用や、新しい人脈との交際費、仕事の機材環境、日常の食材費など自分の時間を増やしてくれるものに投資するようにしています。

年間250万の所得であれば、僕の場合にはその年の前半以内で稼ぎ終わることも少なくありません。そしたらその年の後半はある意味休日になるわけです。大切なことなのでお伝えしておくと、もともとそうだったわけではなく、そうなるように独立当初から「年に250万円の“所得”が欲しい。それ以外は寝ていたい。」と明確に意識してきました。

でも僕は前述の通り、仕事が趣味みたいな生き方をしているのでつい仕事をしてしまいます。それで収入が増えすぎそうだなと思ったら所得250万円を超えるお金は積極的に環境投資へと回すようにしています。それでも前年度も250万以上が残ってしまいました。
基本的に仕事しかやることがないのでしてしまうからです。でも無理してしているわけではないので良しとしています。

志の高い人であれば「年収1000万円稼ぐには!」「もっともっと稼ぎたい!」と考えがちですが、そうした考え方で僕は幸せな人生を送れるようにになるとは思いません。
必要で稼ぐのであればいいですが、ただ闇雲に稼ぎたいだけであり、結局は使わないお金ならあってもなくても同じですし、僕の手元にあるよりも社会で回っていてくれていた方が富を創出してくれるので有意義だからです。

御察しの通り、僕は収入に対して普通とは逆の考え方をしています。
つまりはじめに250万円と所得額を決めてから「それをいかに早く効率よく無理せず稼ぐか」を考えています。
それ以上の所得はひとまず必要ないからです。先日もこの考えに従い所得250万を超えた分の売り上げを使いフルスペックのMacを経費で購入しました。容量が大きく処理速度の早いPCは同じ仕事をするにも時間を大幅に短縮してくれるし、デザインでもできることが増えるので毎日ワクワクできそうだな!と思ったからです。

このnoteもそう。
noteはyoutubeなどと同様に資本集約型の収益モデルが構築可能です。
育てるのに時間も根気も必要ですが、読者がついてくれたら僕が寝ている間もnoteが稼ぎ続けてくれるようになります。
すぐに収益にはなりませんが、労力に関係なく掛け算で売り上げを出してくれる媒体なので時間を見て更新するようにしてるわけです。

この章の結論として、収入に対して変に謙虚になる必要はありませんが、身の丈に合わない欲は身を滅ぼすよということです。また、これは僕の経験上言えるのですが、お金は稼げば稼いだ分だけ不思議と出ていくものです。

なので、欲しい額をはじめに決めてしまうこと。自分が欲しい収入はいくらなのかをある程度明確にすることで、時間と心のゆとりを増やすことは可能です。人は無限に頑張れてしまいますし、身の丈に合わない収入額に固着するとお金のために苦しいことをしてしまいがちです。それで毎日何かに追われて生きているのでは本末転倒。ぜひお気をつけてください。

衣食住と仕事があれば人は幸せに生きられる

今の時代、衣食住がまともにできていない人は少ないと思います。なら幸せだと僕は思います。衣食住ができている上で、仕事も楽しいのであればそれ以上は必要ないのではないでしょうか。
幸せな人生を生きるコツは、多すぎる幸せを求めすぎないことだと僕は考えています。大きな幸せの後には、大きな不幸が来るようにできているような気がするからです。

幸せに生きたいのであれば不幸も含めて人生を味わい尽くすこと。

そんなところですね!まだ書けそうですが今回は疲れたのでこの辺で
読んでいただきありがとうございました。

記事を読んでいただきありがとうございます◎普段はアートディレクター・デザイナーをしています。「つくることは生きること」そんな思いでnoteを更新しています。