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千の夜をこえて

題名を見た瞬間に、Aqua Timezを想起した同世代の皆様こんにちは。
iCAREぼんです。

このnoteが調子良くかけていれば、今日この日が娘が生まれてからちょうど1000日目です。大変めでたい!誕生日は毎年来るけどこういうアニバーサリーは1回しか来ないのです。
少しばかり大げさに、娘にはケーキや好きなことをして喜んでもらおうと画策しておりますが、見方を変えれば、父として千の夜を越えたタイミングということでもあります。(厳密には夜超えてなくて明日ですが)

切のいいタイミングですし、
同僚のたちやまさんが5/18「ことばの日」の制定に関わっていたということで、「#忘れられないことば」にも乗っかりつつ
Aqua Timezの歌詞にもあやかり、
「今あなたに伝えたい、伝えなきゃならないことが〜」
と筆をとってみた次第です。

この1000日間で動画や写真はたくさん残っているけれど、
父がこの頃どんな事を考えていたのか、
ということはほとんど残っていないと思うので
いつかそれが気になった娘にむけてこれを残してみようと思います。
(今に於いては、同僚の皆さんに笑ってもらえたらと思います)

この駄文をラジオのように楽しんでくだされば幸いです。
そしてこれを機に、「父親ってどうすればいいの??」という質問が
分不相応の僕に来ないことを祈っております。w

生命保険が父親の第一歩

ここで白状します。僕は世間のいう「父親」としては、
かっこいい部類ではありません。
最初は特にひどかった方だと思います。

妊娠が発覚してから、いつ生まれるのか、
なんて名前がいいか、
パパと呼ぶのはいつか、いつ恋をするのか、
お酒はいつ飲めるのか、
そういう全て、楽しい想像だけ、ずっとしていました。
ほんとこの時期とくに楽しかったです。とても。

ママの体を気遣いつつ、
すくすくと大きく育っていく我が子をみて
ある日ふと、自分が「父親」になることを自覚しました。(遅)

ママの旦那であることは、僕の得意分野でしたが、
「父親」になるについては、未知の領域でした。(そりゃそう)

言い訳というか、悲しい話として笑ってほしいのですが、
父を亡くしてからこの10年を随分とのんきに生きておりまして、
まず父親を思い出すところからスタートしました。
そして、良い父親、理想の父親とはなんだろうと悩んでみましたが、
理想の父親像は、
「死んでも苦労をかけないこと」というレベルでしか描けませんでした。

そしてちょっと考えるのを諦めた僕は、
とりあえず生命保険に入りました。笑 
外資の高いやつに。
これでもか!というやつに。

僕の子どもが生まれる前にできた父親の第一歩は、
僕の生きた後にできる父親の第一歩でした。

免罪符パパの誕生

父親として死ぬ覚悟(保険にはいっただけ)からしてしまった僕ですが、
「生きている父親として何をすべきか」というのが全く分からないまま、
我が子はお腹ですくすくと育ち、ついに生まれました。
大人よりも成長速度が早い。。
父親人生の幕開けは、確実にビハインドから始まりました。

そしてこれが意外とコンプレックスとして根深くて
人に相談できなかった事を覚えています。

【父親像がしっかりしてない父親】であると周囲にばれたくなかった。
お恥ずかしいですが。
父親である以前に新卒2年目の見栄っ張りな僕でした。

そして、その免罪符としてか、当時は「パパ」っぽいことを全うしていました。パパとしてやれることに齧り付いて、過剰にやってた気がします。

実際、育児家事に積極的なパパは、結構僕に向いてました。
うんちをかえたり、ミルク作ったり、妻の一人時間のためにワンオペしたり、全然苦じゃなく、娘と妻に尽くすのも割と好きな性格だったこともあります。

世の中のお父さんは、きっと、自分の父親とか、理想像があったり、
30代-40代で人生経験も豊富で、経済力やあれやこれやが、いろんなものが備わっているのだろうとちょっと羨んだり、
自分は全然持っていないなと凹んだりしながら

今できること、とにかく続けていました。

父親とは、関係性のことだ

多分きっとこの父親コンプレックスから開放されたのは、
生まれて500日くらい、ちょうど半分くらいな気がします。

「父親とは、関係性のことだ」という言葉に出会ったときでした。
誰が言ったのかは忘れてしまいました。
当時ネットのありとあらゆる父親的な話を集めており
エッセイや映画もたくさん見ました。
(若干脱線して見た「ゴッドファーザー」はめちゃ面白くて123通しで見ました。)

父と娘のこの親子という関係性をどう進んでいくか。
これは双方向で決めて作っていくものだということ。


よっ友みたいな父親になるときも
親友のような父親になるときもあるだろうし、
いい上司のような父親になるときもある。

父親と娘としての関係性は今から一緒に作っていくものだという理解をして、ふと肩の荷が降りた気がしました。
娘らしさとか理想の娘とかを求めないのと同じように
理想の父親や、そのための行動にこだわらなくても良いのだと考えるようになりました。
そう、これなら、すごくなんとかなりそうじゃないですか?
変な自信まで出てきました。

関係性という理解をしたときに、
友達や家族や恋人や先輩や後輩との関係性を思い出して
「この子に何をしたくないか」ということがたくさん見つかる様になりました。
人間関係は、僕はたくさん失敗してきています。これも恥ずかしながら本当に。
今でも失敗してることもあると思いますが、それを糧に頑張れるような気がしました。

人に嫌な思いさせたことは、この子にはしたくない。
されて嬉しかったことは、この子にはしたい。

今も多分、友達が記念日を祝ってくれたのが嬉しくて
1000日生誕祭をしようって思っているのだとも思います。

おわりに


そうこうしていたらあっという間に1000日経ちましたが、
僕は世間のいう「父親」としては、かっこいい部類ではありません。
等身大で、関係性を積み重ねていこうという姿勢で生きてますが、
この関係性をつくることもまだまだ下手くそなんだと思うので、
なんとか勉強を重ねながら
父親として、また千の夜を越えていこうと思います。

最後に、ママと娘に、一緒に千の夜を越えてくれた家族に、
感謝を込めて、
ぴったりな曲をお届けしたいと思います。

それでは、Aqua Timezで「千の夜のこえて」



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