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想定外を愛そう in Taiwan

和紙の繊維のように思考が絡まり、意識が朦朧とする。目を開けると、天井から真っ白な光が垂れてくる。眩しくて邪魔臭い。

「ここはどこだろう...。」

眠い目を擦りながら周囲を見渡すと、視界の奥にうなだれた人を捉えた。その人は無機質で真っ黒な椅子に座り込み、両腕はなにやらカバンのようなものを抱えている。目を凝らすと、それはキャリーケースだった。

思い出した。僕は今、空港の中にいる。

記憶の海の底から、眠りにつく前には抑え切れなかった興奮が、今ではただの疲労へと変わり浮遊してきた。固いベンチの隙間に体を埋めるようにして寝ていた、あの時のツケが返ってきたのか。全身がビキビキと悲鳴を上げている。

ここは台湾の桃園国際空港だ。2月の後半ということで例のウイルスが警戒され始めた頃だったが、「中国に渡航したことはありますか?」と「ダイヤモンドプリンセス号に搭乗したことはありますか?」という2つの質問にNOと答えるだけで、「はい、どうぞ!いってらっしゃい!」と元気よく受け入れられた。心配性な僕は咳をするだけで隔離されるのでは、と疑っていただけに拍子抜けした。一か月後では考えられない状況だ。

僕が搭乗した飛行機は、貧乏大学生の強い味方であるLCCだった。格安の値段が売りだから、フライト時間が多少は悪くても許せてしまう。さて、到着時間を確認しよう。

チケットには23:30と書いてある。思っていたより悪くはなさそうだ。この時間なら空港から出発する地下鉄にも間に合うだろう。地下鉄の終電を調べると23:30と記載されている。終わった。

完全に終わった。これでは飛行機が着陸すると同時に、地下鉄の終電が出発することになる。大学生に優しいと信じてLCCを選んだのに、結果的にLCCにボコボコにされている。

ということで、台湾の空港で一泊することになりました。

つい先ほどまで酷い眠気に襲われて石のようなベンチで少しだけ寝ていた。しかし、寝心地が最悪で体が固まり、動こうとすると肘掛けに頭をゴツン、とぶつける。鈍い音が鳴るので周りには聞こえないが、一人で頭の痛みに悶えていると、いっそう孤独感が強まる気がした。

僕はこの手のベンチを「ベンチ石」と呼んでいる。


もっと寝心地の良い椅子を探そう。


空港にベンチ石とは別のベンチがあるかは些か疑問だが、探さないことには夜通し石の上での生活になってしまう。さすがにこのままの体勢で一夜を明かすのは今後の旅行に響きそうだった。今はとにかくケツが痛い。あと頭も。このままではマズイという焦りから、重たい腰を上げ、僕の冒険が始まった。


さあいこう。




もう見つけた。2分もかからなかった。

近すぎた。面倒くさがらずに反対方向に歩けば良かった。


目の前に現れたのは、先ほどまでのベンチとは打って変わった柔らかいソファだった。手を当てると、触れた先からゆっくりと沈むようにして僕の手を包もうとする。反発することなく受け入れてくれるところが、素直で可愛く思えてくる。

でも、丸い。ありえないぐらい丸い。とことん丸い。

さらに、円の中央には仕切られた固い板が差し込まれており、寝転がるスペースは半円しかない。

それでも文句を言わずに寝てみる。


寝づれぇ、、、。

体の半分が宙にふわふわと浮いているような感覚。写真を撮ろうとスマホを構えるだけでバランスを崩しそうだ。頭部にセットした無印良品のネッククッションが辛うじてバランスを保っているが、左半身は転げ落ちないように変な筋肉を使っている。相変わらず全身がバキバキに痛む。


よし、体を曲げてみよう。


なんか収まった。体制は苦しいが、安定している気がする。円周に体のラインを乗せることでしなやかなカーブが生まれ、それが僕の体重を逃してくれる。

キタ。オレの時代が来たぞこれ。

安堵感から来る睡魔に包まれながら、深い眠りに入っていく。全身に蓄積された乳酸がようやく行き先を見つけたように、こわばった筋肉が緩やかにほぐれていく。溶けているみたいだ。


「ニーハオ!」

頭に響くほど通る声。

突然、誰かから話しかけられた。顔を上げると、目の前には恰幅の良いオバハンがいた。はち切れそうなほど膨らんだ下腹部がピンク色のロングTシャツをパツパツに引き延ばしている。体型だけでなく、笑いかけてきた顔までもが、ワンピースに出てくる黒ひげの女版みたいだ。

このオバハンは中国語しか話せないようで、ありえないぐらい一方的に自分の主張を押し付けてくる。ひどい。頼むから寝させてくれ。

面倒なものに巻き込まれたくないので初めは無視していたが、ついに耐え切れなくなり、僕は渋々とスマホのグーグル翻訳を起動した。


ウィーン


オバハンの口元に持っていく。

オバハンが話す。

「なんでここで寝てんねん?」

僕が話す。

「地下鉄がないからです。」

「ゼハハハハハ!」

オバハンが爆笑する。

僕も爆笑する。


盛り上がった二人はそのまま一夜を明かした。結局、僕は一睡もできなかった。

旅は予想できないが、それは人生も同じ。そして、これからは困難を含め全ての状況を楽しむ気持ちが大切になってくる。難しいけど、頑張ろう。

これからの可能性に賭けてくださいますと幸いです。