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逃げたい

子どもを持ったことが無いから親の気持ちはわからないのだけれども、高齢化した親の一人暮らしがいろいろと心配で気にかかる。放って於けば良いとも言えぬのが家族ということなのだろうか。親子と言えど他人、遠く離れて暮らしても家族。この関係は時に感情に対して罪深い間柄でもある。

各所に転移する程の肺癌末期。初期の診断では余命半年と言われ、その半年が経ったのが3月末。今は新しい薬を投与しはじめ、2週間毎の3回投与をもって治療の効果を判断する。

今回から使用している薬はオプシーボ。去年のノーベル賞の際に話題となった薬。今では特に新薬ということでもなく、また万能ということでもない。どちらかといえば、副作用が人によって異なる上にタイミングも読めないという一面もある。

要介護4の認定を受けた後も、肺癌の進行によって運動能力は低下が著しい。特に家の中の移動、ベットからトイレまでの10mに満たないほどの移動でも息切れが目立つ様になった。最近では2Fへの階段の移動も苦しいと言う。もちろん階段以外は杖を持っての移動が多い。

そんな状況の中で一人暮らしをしている。適した施設が無いとも言えるのだけど、本人は実家での暮らしを望んでいる。幸い息切れはするものの、最低限の暮らしをするくらいの行動は出来ている。

介護サービスを使用して週3回は訪問を受け、簡易な身の回りの世話などはしてくれているし、少しでも変わった事があれば担当者から僕らへ連絡もある。

僕の家から実家までがクルマで1時間前後。この距離感が中途半端だ。家に通うには少し距離がある。とはいえ、行こうと思えばすぐにでも行ける。僕の感情の煮えきらなさはここにある気がする。

父を放っておけないのだ。父自身が望む生活をおくるのは良いのだけど、なかなか無関心ともいかず。週に1度は顔を合せているけれど、最近はコミュニケーションに気を使いすぎている。
なるべく否定をしたくないのだけど、いろいろ気になる話しは多い。でも、そこを乗り切るには僕自身感情を全て殺すしかないと悟った。

父の意思に対しては基本肯定。ちょっと気にかかる内容があれば、遠回しにわかりやすく理解してもらえるように話を持ちかける。例えば免許返納など。頭ごなしに否定はしない様に心がけたけれど、なぜ頑なに運転をしようとするのか理解できず。ストレスに重なってイライラが半端なかった。

今は社会に対して迷惑かける様なことはなさそうなので、「○○をしたい」という希望があれば、どうしたらそれが出来るかを一緒に考えて提案することにしている。が、たまにそれを否定される。イラッとする。

そもそも家族として一緒に過ごしてきた人が、日々衰えて行く姿を見るだけでも辛いのに、なぜイライラさせるのか。そしてそのイライラしている自分や怒りを持った自分に対して、とても後悔するのだ。コレがまた辛い。

今、僕自身何かをしたいという気持ちは無い。ただ、このストレスな状況を一秒でも早く抜け出したいと願う気持ちだけが日々大きくなる。

父はなんの為に生きているのだろう。目的がなければ生きていく権利はないのだろうか?否、そんなことは無い。生を持っている全ての人が、生きる権利を持っている。

だからこそ、日々すこしずつ自分の感情を殺す。だんだんと日常でも感情を殺す事が増えてきた。諦めなのかもしれない。生きるチカラが弱まっているのは僕の方かもしれない。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。