通院付き添い

退院しても通院はある。むしろ、入院中はスタッフの方々に対応してもらった院内の移動なども、家族の仕事として負担は増える。

病院で診察券を機械で読み取ると、このレシートみたいな紙が放出される。これの順番どおりに、色々な科をめぐるスタンプラリーの様なこと。

父のかかりつけ医院は大型の病院ということもあり、同じ建物内の移動で済むものの、患者でごった返し、更には老人特有の待ち時間で腹をたてクレームとばかりに騒ぎ立てるバカも居て、なかなか疲れる。

老害は「不安を背負った人に見られる」なんて診断する人もいるけれど、病院なんて不安と暇を持て余した人間が多いので、凝縮された気持ち悪さもある。どなるオッサンを上手くいなす看護師の手慣れたスキルに脱帽。

でもって、先日の他の病院検査の結果も見ながら、今後の父の治療計画となる。結論としては「治療後よりも肺癌に進行が見られるものの、速度は遅いので年明けからの治療へ」となった。

他の部への転移も以前と同じ状況で進行は遅い。という事で、年越しは実家で過ごすことが決定。父は分かりやすいくらいに喜んで饒舌になっていた。

ここまでで3時間くらい。ここから処方箋もらって、病院前の薬局で薬を受け取るまで、更に1時間以上待ち…。

これは付き添いの方が疲れるよね。この後、昼飯をファミレスで外食し、家の食材を買い足しして、結局一日がかりとなった。

入院は本人の気持ちになれば嫌なものなのだろうけれど、働き盛りの家族としては疲労でしかない。しかもお金は出て行くばかり。救いようがない。
お金だけで解決させようとすると、それはそれで後ろめたさというか、嫌な気持ちも伴う。何を選択しても気持ち良い物ではない。前向きの物事じゃないからね。

これらが終わるのは当人が死んだ時。つまり文字通りのデス・ロードです。ゴール=悲しみしかない上に、途中経過もゴールを引き伸ばすだけで、確実な解決策でもない。建設的な物事では無いことに、リターンの無い支払いばかりを続けてる。お金も時間も。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。