専門家とは何だろう?わかりやすさの罠(下)(清水勝彦研究室ブログ)

「専門家」「プロ」と紹介されるような人達がいる。「専門家のコメント」というとなんとなくわかった気がする。他の人と何が違うのだろうか?
知識や経験の「量」と思っている人は多いが、よく考えたほうがいい。多くの本が「日本企業はイノベーションがない」「日本企業の国際化が遅れている」と判でついたように同じことを言っているのは、自ら世界で戦って手に入れた「知識」ではなく他の人が言っていることを繰り返しているだけのことが多いからだ。また「10年の経験というけれど、実は1年の経験を10回繰り返しただけ」の人も多い。

量だけではなく見識、つまり知識や情報を「目利き」できることこそがプロではないかと思う。そして、知識も目利き力も完成はない。「自分は専門家だ」と上から目線になった時から陳腐化が始まる。NHKの番組「プロフェッショナル」では、多くの登場人物がその「姿勢」こそが重要であると指摘することを忘れてはならない。

「誰が本当のプロかを見極める目」はどうしたら持てるだろう?それはわかりやすいかどうかではなく、自分の問題である。問題の定義(またの名を本質)を考え、トレードオフを自分なり受け入れる(またの名を決断)し、「プロ」の意見を鵜呑みにしないことを繰り返すことでしか生まれないように思われる。アナリストだろうが経営者だろうが職人だろうが、結局は「姿勢」なのではないだろうか?なんて反省していてはいけないんだけど。


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