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マイタケ その1


  大正末期生まれで、長寿だったとは言え、勿論もうすでに他界している我が父・・時代は、昭和40年代・・
書家で当時・・習字の塾を営み生計をたてていた関係で、当然父には、生徒さんがいて・・さらには、その家族・・とか、縁、というつながりがの輪が広がってゆくわけで・・その記憶をたぐっていってもかなり自分の年も・・中学生にはなっていて・・まだ高校生にはなっていなかった頃の話つっ〜かぐらい時代で、記憶は薄いのだが・・・別に無理矢理思い出そうソウとも思わないあたりの自分・・ただ・・カメラには興味を持ち始め、父親の所有していた二眼レフカメラに6枚撮りのフィルム入れてもらって学校の行事とかに参加し始めた時期ではあるが・・
 今でこそ、自分で・きのこ探し撮ったり、栽培物きのこの知識もある程度になり、自然の中で、きのこ写真とか撮ってたりしてるが・・
自分自身の中にはと言う前に、世の名食文化の中に、”きのこ” という位置づけは・・おそらく、高級料理におけるマツタケ・・と、海外で犬が探してくるきのこがあるらしいぞ・・くらいだったのでは・・
まだ、現代のようなスーパーも無く、たまたま東京生まれの東京育ち・・池袋は西武まで地下鉄は丸ノ内線で一駅・・そこでの話はまた違う時に・・

 時代は現代に瞬間移動・・コンピュータはMac・・クワッドコアデュアルCPUがどうしたって・・みたない画面の壁紙は・・勿論エロチックな女性のお尻だったり・・一応自分で撮影した花の写真とか・・その中で・・あまり色的に綺麗とい訳ではないのですが、万が一誰か来たら、さりげなく自分で採った・・それもマイタケの写真を使ってたりする^^;
 自慢したくなるって、何故マイタケのきのことしての地位が高いのかは、その名の由来どおり、それは、見つけた時に舞い上がるほど嬉しい・・ということで、それは、見た目が美しいとかでは全くなく、一度もでも天然マイタケを食した事があれば、その美味しさの記憶の表現だと思う。
 

 一度も食した事、無ければ・・実際に時自分もそうっただっわけで・・、あれ?マイタケかなぁ〜・・もう疲れていて、頭の中は、もうそこまで斜面降りて行く元気ないので、どうせ、カワラタケとか、近くまで行けばあぁ〜残念でしたきのこ・・カワラタケあたりじゃねぇ〜と、悪い結末の方へ持ってこうとしてた。
それでも、今はマイタケ探す為になら、どれだけでも歩くようになっていて、見つけた時の笑顔は・・真に舞い上がるほどに嬉し顔になるって事は事実・・^^

 まぁ〜今はそんな話をする為に画面の前に座ってるはなく・・自分のPCの壁紙、自分撮り採りのマイタケ・・何気にじっと眺めていると・・
あれ?・・・そう言う事か・・時代はまた、自分がまだ昭和40年暮らす父親の自宅兼、習字の塾件の頃の玄関先に
 親父繋がりの生徒さんの父親だっただか、とにかく名前も関係も殆ど記憶に残っていないが、時代的に、まだ交通機関は・・・・で、新潟から恐らくひたすら一般道を走って、東京は文京区大塚4丁目くんだりまで来たのだろう、よく分からないまま、当時その場にいた家族+親父にの知り合い総動員で、そのおっしゃんが持ってきたものを、茎のあたりをサキ、その中に居る虫出しを始める・・
 玄関入って直ぐの場所が台所で、その裂いたもの、アミ焼きはじめて・・ちょいっと醤油など付けて食べると、え〜何この美味しさは・・・・
今思い出すと、それが山採りのマイタケだんたんだなぁ〜
 勿論まだ、マイタケの養殖が出来るようになるには・・これから四半世紀超えてこないとで・・コマ打ちの原木栽培のシイタケが木箱に2本入って送られてくるようになるにも、まだこれから数年かかる。

 きのこ・・と、言う表現を使わないのは、とにかく、きのこと言うには、まだ、”茎があって傘のあるもの” であって、東京は文京区、近所にあった大塚公園の休憩場所は、きのこ山・・で通用し、何十年も経った現在もそのままだそうです。

 時は現在に戻ってくる・・きのこ・・がと言う前に、まだ自分自身の年齢も経験値低すぎってものあるったが、それでも、あの時食べた、今はきのこという言葉使うが、マイタケ・・美味しかったなぁ〜・・
自分自身が、その為に買ったカメラで、きのこにレンズを向けシャッター切る用になるなんて、微塵もおもってもみなかった頃の、よもすれば消え去っていた記憶の断片でした。

シイタケ に続く・・

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