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何を残すか、何が残るのか、何を残さないのか、何が残らないのか

なぜ、伝統は残すべきなのかしらん。

現在から過去の連続を見た時、それは残ったと言えるものになるのか。


「工藝」と言われるようなものの職人さんのジレンマは、後継者不足でなんとか伝統を引き継いでもらいたい(あと、必ずしもそうでもない)一方で、家庭内での事業な部分が多くソトモノにその工程を教えられるだけの体系や仕組みが全然成り立っていないこと。雇う場合の雇用体系が確立されておらず、そういう不安定さの中でガッツリやり続けていける人(しかも今後のことを考えると若者であって欲しい)がなかなか見つからない。じぶんの仕事を通して肌感でそんな感じがしていて、先日トーキョーに行って聞いてみたときもやぱりそんな感じだった。

「体験によってまずは知ること」と「ミスマッチをなくすために正直に見せていくこと」「適性を(両者ともに)見極められること」が大事な気がする。(伝統)工藝に限らず、色んなことに言えるだろうけれど。

色んな製造工場にも仕事で行っているのだけれど、いつも「ああいう場所」に行って思うのが、「都道府県」とか「地域」に(もちろん、そこから始まったのにはちゃんと理由があって、その土地に依存すると思っているのだけれど)あまりにも縛られすぎると身内目線でしかプロダクトを見れなくなるんじゃないか、っていうこと。良いものなんて掘ればどこにでもあって、気づかれてないだけなんじゃないか、っていうこと。作り手と使い手の接点のミスマッチが主な原因なんじゃないか、っていうこと。ストーリーがあれば買う理由にはなるかもしれないけれど、だからと言って全てにストーリーを求めてないし、気疲れする。

もう、イイモノづくりに飽和感があって、あとはどれだけ伝えるべきとこに伝えらえるか、伝える能力(接客、発信...)が身につけられ使えるか、だと思うのだが。現場の接客は、ほんとクリエイティブ。日々勉強になる。なんせ、対人だからフィードバックがリアルにあってその後の関係性が築かれるのがおもしろい。それが、組織に属さずひとりの人として見てもらえる魅力でもあると思う。

ただ最近思うのが、良きものづくりも、いま既に固められた形をさらに一から要素分解するとまだまだ可能性を秘めているということ。あと、伝えられるところのリサーチもまだまだ未開な部分が多い & 伝える能力(メディア)も今後どんどん変化していくので面白い。結果、やぱり何だかんだ【ここ】が面白くて離れられないのだろう。一度愛想尽きて離れたけど、。多分、飽き性なのと片足出す性格位でちょうどいい距離感なのかも、と思っている。あたしには。

本をたくさん買って、たくさん読んで、たくさん書きます(たぶん)