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あの思い出の蝶を探して

「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」


突然ですが、この言葉を知ってますか?

ある話の登場人物の台詞です。
一定以上の年齢の人ならピンときたかもしれない。

これはヘルマンヘッセの『少年の日の思い出』という短編の中に登場する台詞です。

「一定以上の年齢」と述べたのは、この話は一時期まで国語の教科書に掲載されていたから。

自分も中学の授業でこの話を知りました。

簡単にあらすじを説明すると、物語は作者の友人が少年の日の思い出を語るところから始まります。

熱心な蝶の収集家だった友人は、ある日隣人の少年が珍しい蝶の孵化に成功したことを知る。
その少年エーミールは非の打ちどころのない品行方正な少年だった。友人は子供らしくないエーミールに対し苦手意識を持っていた。

蝶を見せてもらうおうと、エーミールの家を訪ねた友人。しかし友人はたまたま出かけていたのか不在だった。友人はエーミールの部屋に入ってしまい、そこで目的の蝶を見つける。

蝶を見つめる内に自分のものにしたくなった友人は、蝶を盗み出そうとする。しかし途中で我に返った友人は慌てて蝶を戻すのだが、ポケットに入れていた蝶はボロボロに崩れてしまっていたのだった。

罪悪感で落ち込む友人は母親に全てを話す。母はエーミールに謝りに行くよう告げ、謝罪が済むまでは家には入れないと言います。
意を決して謝った友人に対して、エーミールが見せた態度は怒りでも悲しみでもなくただ軽蔑の眼差しだった。友人は世の中には取り返しのつかないことがあることを悟る…といった内容

子供の頃の思い出、なんて甘い記憶ではなく苦みのある記憶。

あらすじを振り返ると改めて何とも言えない気持ちにさせてくれる作品だ…

そんな記憶の片隅にあった話を思い出したのは、SNSである画像を見かけたことがキッカケでした。

それが下の画像。

ちょっとやってみたかったけど、自分が探した限りでは見つからなかった。

ガシャポンのパッケージですが、キャッチコピーが秀逸だと思いませんか?

「ヘルマンヘッセの短編小説の~」といちいち説明を入れるんじゃなく、劇中の台詞を使用することで自分みたいな人に刺さる。

このキャッチコピーと考えた人、天才だと思う…

で、懐かしい気持ちが蘇ったとともに、久し振りに読み返したくなって『少年の日の思い出』を探してみたという訳です。

まず、Amazonで「少年の日の思い出」という検索ワードで調べてみた。

ヘルマンヘッセというと『車輪の下』などの名作で広く知られてる作家だ。
短編集も出版されているに違いない。

すぐにヒットした。
しかも『少年の日の思い出』というタイトルになった短編集。恐らくこれだろう。

ところが、ここで大きな問題が。

商品レビューを流し見した時に「翻訳者をよく確認しないといけない」という旨の書き込みがされている。

どうも、この短編集に掲載されている『少年の日の思い出』は、教科書で読んだ話とは翻訳者が違うらしい。

調べてみると、この短編集の訳者は岡田朝雄さん。
ドイツ文学者であり東洋大学の名誉教授でもあるらしい。

改めて商品紹介を見ると、興味深いことが書かれている。

Amazonの商品紹介ページより抜粋

これまでの誤訳を詳細に正す…

これまでの誤訳…

誤訳?!

誤訳とはどういうことだろう?…気になる。

だが、自分が今探しているのは教科書で読んだ方の『少年の日の思い出』。

こちらも情報はすぐに出てきました。

翻訳者は高橋健二さん。
ドイツ文学者で日本のドイツ文学の傑作を翻訳していた方とのこと。
特にヘッセの作品はほぼ全てこの方が手掛けてるみたい。

翻訳者は分かったけど、高橋さん訳の短編はどうしたら読めるのか…
高橋さん訳の短編集をAmazonで探したが見当たらない。

教科書を購入する訳にもいかない(そもそも今の教科書に掲載されてるかも分からない)。

読めないと分かると、どうしても読みたくなる…

何とか手に入れる手段はないかと調べてみたら、同じことを思っていた人がいたらしくヤフー知恵袋に答えが載っていた。

そこで紹介されていたのが、こちらの『教科書名短編-少年時代(中公文庫)』

これは1946年度から2012年度までに発行された中学生の国語教科書に掲載さた短編の一部をまとめた短編集。

この短編集すごく良いのでお薦め。

ヘッセの『少年の日の思い出』も勿論良かったけど、教科書に掲載されてる短編が集められてるだけあってどの話も面白い。

正直、懐かしいというより知らない話の方が多かったのだけど、一つ一つの話が味わい深い。何かで読んで印象に残ってた『盆土産』を再び読めたのは思わぬ収穫だった。

話が逸れてしまった。
本題へ。

改めて『少年の日の思い出』を読みながら、当時のことを思い出した。

初めて読んだときは静かに衝撃を受けたことを覚えている。

主人公の少年はエーミールと仲直りできる訳でも許して貰えるわけでもない。軽蔑を受け入れて生きていくしかない。

当時はこの話の意味も良く分かってなかったように思う。
物語はハッピーエンドだったり、物語内でキチンと解決するものだと思っていた。

こうした苦みを受けたまま終わってしまう話というのが新鮮だったのだ。

「人生には取り返しのつかないことがある」
何十年も人生を生きてるとこの言葉の重みは実感できる。

この話が掲載され続けてるのも良く分かる。
当時の自分に響いたからこそ、時を経てもこうして思い出したのだろう…

さて、目的の話は読み終えたがもう一つ気になることが残っている。

それが誤訳問題。

気になったのでこちらの本も購入してみた。

岡田朝雄訳のヘッセの短編集

それが岡田さん訳の『少年の日の思い出』。
2つを並べて、最初に高橋さん訳を次に岡田さん訳を読んでみた。

・・・・

・・・・

うん、ほぼ同じだ。

台詞など細かいニュアンスは異なっている(特にエーミールの台詞は高橋さん訳の方がキツイ言い方になっている)が、話自体に大きな違いは感じなかった。

じゃあ誤訳とは何か?

これは後書きを読んで理解したが、登場する蝶の種別が違うらしい。
岡田さんはドイツ文学を専攻していく中で蝶の名前や標本作成の用語の表記が気になったらしい(ちなみに岡田さん訳の短編集では蝶の標本の写真と種類を明記しているのでより内容がイメージしやすくなっている)。

岡田さんは高橋さんと交流があり、その際にそのことを進言したとも述べている。
なので、自分が読んだ高橋さん訳の『少年の日の思い出』が既に手を加えられたものである可能性が高い(少なくとも蛾の名前が変更されていることは確認した)

誤訳を正すとあったので、てっきり「この翻訳は間違ってる!けしからん!」という風なのかと思ったら全然違った。

にしても、2つの訳を読んでみて思うのがヘッセの文章の素晴らしさ。

特に好きなのが「もうすっかり暗くなっているのに気づき、私はランプをとってマッチをすった。すると、たちまち外の景色はやみに沈んでしまい、窓いっぱいに不透明な青い夜色に閉ざされてしまった」(高橋さん訳)

他に「すると私たちの顔は快いうす暗がりの中に沈んだ。彼は開け放たれた出窓のところに腰をおろした。そこでは彼の姿はほとんど暗闇にまぎれていた」(岡田さん訳)

どちらも情景が脳裏に浮かぶ素晴らしい文章。
ヘッセも凄いし、それをこうして日本語に落とし込むお二方も素晴らしい…

海外小説の翻訳版を当たり前に読んでいたけど、その裏にこうした翻訳者の方の努力や推敲があるって改めて知れたのも良かった。

ということで、思い出の作品を探したら意外な発見があったという話でした。

ちなみにこのシリーズハマってしまい、他の作品も集めてたりする。



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