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「女なんかに負けるな」に声をあげてくれた、”彼ら”へのリスペクトを込めて

母は、私の発信をよく追いかけているようだ。

母の姉妹ラインでは定期的に情報がシェアされているようだし、実家に帰省すればインタビューが掲載された雑誌や新聞がそれとなく本棚にしまってある。

この歳になると、親に発信を追いかけられるのはやっぱり恥ずかしいと思う自分がいたりするものである。

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先日、久々に実家に帰った。夕飯を食べ、みんなで食後のコーヒーを飲みながら団欒しているとき、ふと母が切り出した。

「そういえばさ、志帆がTwitterでシェアしてた記事を見たのよ。ほら、"女なんかに負けるな"って指導者の話。」

母が口にしているのは、HUFFPOSTの島沢さんの記事のこと。スポーツ界のジェンダーバイアスについて切り込んだ記事で、ジュニアスポーツ界のリアルがそのままに書かれている点に共感し、Twitter上でシェアさせていただいた。

「あの記事読んでさ、志帆が小学生の頃を思い出しちゃった。志帆もよく”女に負けるな”って言われてたなあって」

ウンウン、やっぱりそうだよね。

「あのとき、自分の子供がそんな風に言われて本当に悔しかったんだけどね。でも、私の代わりに本気で怒ってくれたのよ、Mさんが。」

「Mさんが、対戦相手のチームの代表に怒鳴りこんでさ。”サッカーのときは女の子かどうかは関係ねえだろ、お前のチームとは一生試合しないからな”って。ああやって怒ってくれた大人がいたから、志帆は今までサッカー続けてこれたんだと思うんだよね」

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すっかり忘れていた。
確かに、そんなこともあったと当時のことを思い出す。

Mさんは、小学生時代に所属していた少年団チームの長をされていた方で、チームメイトのお父さんでもある。男子だらけのチームでサッカーをすることも、両手を広げて歓迎してくれた1人だ。

HUFFPOSTの記事にもあったけれど、小学生の頃の私は”女なんかに負けるな”発言をされても、それが差別だなんてこれっぽっちも思っていなかった。むしろ「女子でサッカーをしてるんだから、そんな風に言われても仕方がない」くらいの感覚だったのだけれど。

Mさんが顔を真っ赤にして怒鳴り込んでいく姿を見たときに、”悔しい”と思ってもいいこと、それを素直に表現してもいいと気がついたのは覚えている。心に残ったモヤモヤは、自分が悪いからと飲み込んでいいものではなく、声をあげてもいいんだと肯定されたような気持ちだった。

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母のMさんの話から、もう1つ思い出したエピソードがある。

中学生の頃、中学の男子サッカー部と女子クラブの掛け持ちをしており、週末は試合がある方に優先的に参加するようにしていた。

中学1年生くらいまでは背丈も体格もさほど変わらず、ベリーショートだったこともあり、男子の中に混ざっていても気づかれなかった。中学3年生にもなると身体的な差が目立つようになり、試合前から「あれ、女じゃね?」なんて言われることも増えていく。

試合前にザワザワされたり、試合前の握手を自分だけしてもらえないことなんて日常茶飯事で、もはや何も気にしていなかった。試合が始まって、サッカーさえ対等にできればそれで十分だったのだけれど。

ある日、試合前からジロジロとみられ、やっぱり握手を拒否されて始まった練習試合。マークをついてきた相手に「お前、女だよな?」と直接話しかけられた。「そうだけど、なに?」と言い返すと、話しかけてきた奴の近くにいた相手選手が「やっぱり女らしいよ」「お前、絶対負けんなよ」と茶化しはじめる。自分がドリブルで置き去りにすれば「おいおい、しっかりしろよ」と笑いながら茶々を入れ、ヘディングで競り負けるた選手には「お前も女なんじゃねえの」とヤジが飛ぶ。

さすがに、その試合は心がやられて、ドッと疲れた。
けど、相手選手には何も言えず、家で泣きながら親に愚痴った記憶がある。

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さて、この話には後日談がある。

チームメイトの親が「私が言ってあげるよ」と教頭先生に相談し、教頭先生が相手チームの中学校に抗議の電話を入れてくれていた。「そのような教育方針のチームとは今後一切試合をするつもりはありません」と。

結論、相手チームが謝罪をしにきた、ということまでは聞いている。教頭先生から「相手が謝ってきたけど、一生練習試合はしませんということにしたよ」と報告を受けたことも覚えている。「また同じようなことを言われたら、絶対に言ってね」とも。

怒りの声をあげてくれることの心強さと、守ってくれる大人がいることの安心感を、同時に心底感じた瞬間でもあった。

(ちなみに、この教頭先生、定年退職後にクラフトビール職人になっている。昨年の年末に工房に顔を出したら、すごく楽しそうにビールを注いでくれて、とっても美味しかった。かっこいい大人は、幾つになってもかっこいいままだった。教頭先生のビール、ぜひご贔屓に。)

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「ああやって怒ってくれた大人がいたから、志帆は今までサッカー続けてこれたんだと思うんだよね」

差別を受けたとき、声をあげたくても声をあげられない、そもそも差別ではなく自分が悪いんだと閉じ込めてしまう。そんな経験を小学生の頃からし続けてきた。

大好きで仕方がないサッカーが、周りにどやされ苦しいものになりかけているとき、Mさんや教頭先生のように怒りの声をあげてくれた人がいたこと。「君が受けているのは差別で、悪いのは君じゃない」と明確に示してくれた人がいたからこそ、サッカーもここまで続けてこれたのだと強く思う。

大人になった今だからこそ、客観的に当時自分が受けた差別を見ることができるようになり、冷静に声をあげることもできるようになってきた。けれど、その前提には、まだ声をあげられなかった頃に自分の代わりに声をあげてくれた存在がある。彼らがいたからこそ、今、私は声をあげることができるのだと思っている。

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3月8日、国際女性デー。世界中の女性の権利を守り、女性の活躍を支援するために世界中で祝われている記念日。小学生の頃の私と同様に、差別をされていると気がつくことなく、心に声を閉じ込めてしまっている人はまだまだ社会に存在している。

スポーツ界のジェンダーバイアスに対して、選手が勇気を出して声をあげる姿を見ることも増えてきた。スポーツ界に限らず、自分が受けてきた差別に声をあげ、社会を変えようと闘う姿も日々目の当たりにする。

この日に限らず、声をあげ続けてきた方々へ、そして、立場に限らず一緒に声をあげ続けている方々へのリスペクトを込めて。そして、私自身も声をあげる立場になる覚悟と共に、このnoteを記す。

ps 忘れかけていた記憶を思い起こしてくれた母、ありがとう。全部を追っかけられるのは少々窮屈なので、適度にこれからも見守っていてください。



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